日中戦争は、蒋介石の仕掛けた小さな事件が発展し、戦争になってしまったというものです。日本は、北京議定書というものに則って合法的に軍を駐留させていました。これは、勿論当時の中国大陸を掌握するためという意味合いよりは、満州の保護及び北京周辺の治安維持、また中国近代化を念頭に軍による協力体制の維持というものがありました。
蒋介石の軍は中国共産党の軍と共闘関係にありました。ここで共産党軍は、何とか日本軍を戦闘に巻き込もうと思慮を巡らせていました。
当時、北京北部(盧溝橋)で夜間演習中だった日本軍に対し、銃撃をしかけたのです。勿論、日本軍の反撃があると予測しての挑発行為です。しかし、日本は中国との戦争は回避せよ、という方針でしたので応戦すること無くただ待っていたのです。しかし、翌朝、共産軍は挑発射撃を繰り返します。我慢していた日本軍ですが、仕方なく反撃に打って出ます。この小競り合いから戦争という大きな紛争に発展していくのです。
ここでも中国人の騙しが発揮されています。また、共産党は、ソ連のコミンテルンにコントロールされていましたから、どうにもなりません。ソ連の指示で日本との戦いが始まり、そして更なる指示で「局地解決は避けろ。日中全面戦争に突入せよ。」とあったのです。ソ連は外国ですよ。中国共産党も、何故中国本土を焦土化しなければならない指示を受託していったのでしょう?ここには、国民が不在だったということと共産党が中国全体を支配するための権力を確立することのみに努力を傾注させていたという証左ではないか、と思うのです。国家、国民が主体ではないのです。本来であれば、中国人が自ら考え、自分たちの国造り、国民の安全を主体的に考え、そして、歴史の中で経験してきた辛酸を再び舐めないようにするため、如何に自分たちが動かねばならないのかを真剣に考えていたはずです。しかし、自分たちの権力基盤構築と常に騙しを行ってきた中国人が将来的に騙されるであろうことを予見せずソ連の言うことを聞いていたという非常に悲しい事実があったのだと思います。
この史実の表舞台に出てこないのは力とお金のない一般市民なのです。彼らは、飢えと武力により簡単に命を落としていったのです。
日本は、全面戦争を回避するため、幾度となく和平交渉に乗り出しますが、すべて交渉決裂。結果、全面戦争に突入することになるのです。
日本軍は強かった。国民党軍は、日本軍の攻撃を受けると逃げまどい、その逃亡先で次々と国民を殺戮し、強奪行為を働き何とか生き永らえていました。自国の国民を殺すんですよ。そして、自分たちが生きていくためにものを奪う。当然、性的暴行はあったに違いありません。こんな軍隊、どこの国民が信じるでしょうか?
日本は、古来から武士道というものを崇高してきました。強気を挫き、弱気を助けてきたわけです。町を闊歩する侍は武器の帯同を許された身分の人たちです。彼らは、自分たちの武器所有・帯同に並々ならぬ責任感を感じていました。そして、自分たちが民衆の規範・模範とならねばならないことを肝に命じていました。明治維新後も多くの侍が兵士となり、武士道を重んじた軍隊を形成していきました。ここに、世にも立派な軍人規範を持つ軍隊が作られていったのです。多くの帝国軍人は立派な人々でした。大日本帝国の独立、自存自衛の為、そして郷土への愛、社会への愛、家族に対する愛を心の中心に置き、戦地に向かっていったのです。
私は、時代は違うが、この様に国を愛し、社会を愛し、国民の為に奮闘している自衛隊こそ世界に冠たる軍事組織だと思っています。今の若い隊員は、そんなに歴史を学んできていないかもしれないけれど、熱い心、信義の心、忠誠心、責任感、そして人々を護るため、国を護るため一生懸命頑張っている軍人は自衛官しかいないのではないか、と思っています(世界中の軍人と仕事をしてきた経験から)。こんな自衛隊が、国民を殺戮し、国土を蹂躙し、そして強奪していく、というのは絶対あり得ません。でも、中国では、あの当時、それがまかり通っていた。悲しいことです。一番、フィジカリー力を持つ組織が、守ってくれるのではなく、襲ってくるのですから、まさに悪魔の所業なわけです。これを助けていったのが帝国陸軍なのです。
彼らは、蹂躙した後、日本軍に何も残さないようにするため焦土作戦を実行していきます。町を破壊し、工場、病院、学校施設など様々なインフラ破壊、結果、農業・工業とも壊滅状態となったのです。
そこで、日本軍が参上するわけです。日本軍は、惨状を理解するや否や、すぐさま救済作戦を展開していきました。インフラ再構築、農業再建、工場の再稼働等、住民救済、治安維持、そして復興支援を全面的に中国国民と共に行ってきたのです。この日本軍を見た中国人は驚きます。軍隊って助けてくれるんだと。この話は、中国全土に広がっていきます。「日本軍は、人民解放軍だ!」と。
日本から農業技術者や工業技術者を招聘し、早速日本の技術を提供していきました。こうなったら、自分たちで国民に直接教育し、草の根運動で近代化を目指すほかありません。このように、日本人は、台湾や朝鮮でやってきたように近代化のために惜しみなく力を注いだのです。
この日本人の努力は、多くの中国人の心を動かしました。結果、日本が戦争に敗れ、日本に復員しなければならなくなった際、多くの日本人の子供が中国に残されてしまいました。その時、日本人に対して恩義を感じていた多くの中国人が中国残留孤児となった当時の子供達を我が子のように育てて下さったのです。
続く