大東亜戦争への道(現在の北朝鮮の抱える状況と酷似) | 熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

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さて、お話を第一次世界大戦後の頃に戻していきます。当時の新興国であった米国は、アメリカ大陸東海岸から西へ西へと勢力を拡大し、原住民であるインディアンを殺戮し、メキシコと戦争し、勢力を拡大し、その後太平洋を越え、ハワイを攻略。グアムやサイパンなどのマリアナ諸島も支配下に入れ、スペインとの戦いに勝利し、フィリピンを掌握していました。残る開拓地はアジア大陸です。そこに自国の利益を確立するため、日露戦争時は、日本に加担し、漁夫の利を得ようと画策しておりました。

 

日本の勝利後、満州鉄道の経営管理権を得た日本に対し、共同経営を申し入れます。日本は、米国に恩義を感じていたので、この事項について相当考えましたが、時の外務大臣、小村寿太郎は大反対。多大な犠牲を払って勝利した日露戦争、それによって得ることの出来た権益をむざむざ米国に渡すことは国益に反すると持論を展開し、結果、日本は、満州鉄道を日本のみで運営することになったのです。

 

この結論に、米国は猛反発しました。当時、米国は鉄道こそが自国の領土拡大にとって必要なものであると考えていたため、日本の結論は受け入れることは出来ないものでした。そこで米国は次のように宣伝し始めます。「日本は、満州を独り占めしようとしている!」と。

 

米国は、もともと人種差別の激しかった国です。皆さん、ご存知のように先ずは原住民であるインディアンを虐殺し、身勝手に領土を拡大してきた歴史を持っています。彼らは「開拓」という言葉を使っていました。これは、歴史を度の立場から見るかによって変わるものではありますが、客観的に見て、殺戮と占領です。そして、

 

その後、多くの黒人をアフリカから連れてきたのです。彼らは奴隷として酷く惨い扱いを受けてきました。そのような歴史を歩んできた米国にとって、新たに世界デビューしてきた強固な国家「日本」は恐れるべきものだったのです。白人ではない。黄色人種ではあるが、白人を負かすほどの力を持っている。「これは、油断ならないぞ。いずれは、米国と対立する国となるに違いない。早めに潰しておこう。」と考え始めたのです。

 

当時、米国には多くの日本人が移住していました。ハワイは現在でも多くの日系人が住んでいますが、米国西海岸にも多くの日本人が移住していました。この頃、米国では、「排日運動」が盛んに行われ、「ジャップは消えろ!ジャップを殺せ!」などの落書きが公共の場で多く書かれるようになりました。更には多くの嫌がらせ、つまり虐めも横行し、在米日本人は苦しみの中生きていかざるを得なかったようです。

 

日露戦争後の1906年、サンフランシスコを大地震が襲いました。そこで日本は、日露戦争時に米国からの支援を受け戦争に勝利した恩義を感じ、未だ借金返済に目途が付いていませんでしたが、何とか現在の金額に換算して何十億もの震災復興支援金を拠出し、米国に送ります。そのお金で米国は震災復興を進め、インフラ整備を行います。しかし、米国からの御礼もなく、また、新築した学校では、日本人の子供達の入学は断られ、その後に制定された「排日移民法」により、土地所有、帰化も何も認められない状態に置かれました。

 

このサンフランシスコ大地震の年に米国政府は「オレンジ計画」を策定し始めます。これは、対日戦争計画です。

 

私は、自衛隊に在籍していた時期に多くの米国の安全保障に関する考え方をつぶさに見てきました。軍は、常に世界情勢を見て、米国のコミットを想定した軍事行動シナリオを作っています。これは、オープンには出来ないものが含まれていると思いますので詳細は控えますが、現在でも有事に繋がるであろう地域の問題、政治的な問題から予測される外交的シナリオを含む政治判断に基づく米軍の行動方針と作戦計画を立てています。勿論、朝鮮半島有事と在日米軍の防衛、日本の戦場化についても想定しています。日本人は夢にも思っていないでしょうが、米国は、日本本土が戦火に巻き込まれた際の行動計画について考えているのです。

 

当時の米国は、日本を第1仮想敵国として見ていました。世界戦略と米国軍の作戦について何度もレビューし、最終的に日本を焦土化することまで計画されていました。つまり、本土攻撃が既に計画されていたわけです。

 

当の日本は、米国とことを構える気はありませんでした。日本は、日露戦争で多くの犠牲を払っていましたし、財政的にもピンチでした。

 

しかし、米国は、「オレンジ計画」を策定し始めた1906年の翌年、米国海軍艦隊16隻を日本の太平洋上に派遣します。米国は、少しずつ威嚇行動をし始めたのです。この不穏な動きを受け、日本国内にも米国との一戦もあり得るかもしれないという空気が醸成されたのです。

 

しかし、日本は、人種差別に対抗し、その思想を世界と共有するため、以前のブログで紹介したパリの講和会議において「人種平等に関する提言」を発表したのです。

 

しかし、アメリカは日本虐めを加速させていきます。「人種平等に関する提言」を踏みつぶし、1922年には、「日英同盟」を解消させます。更に、日本に対し、「これ以上軍艦製造は禁止」という内容を含む条約を押し付けてきたのです。「何の権限があって米国は、日本に対しこのような制限をお押し付けることが出来たのでしょう?」全くもって不条理です。

 

同じような状況が、今の米国と北朝鮮だと私は思っています。北朝鮮は、米国から一方的に核開発や長距離弾道ミサイルの開発を中止しろ、と言われています。北は、何故そんなことを米国から一方的に言われなければならないのか?と思っているに違いありません。米国は、国益を上げるために、理由をでっち上げて多くの国々に攻撃を仕掛けてきた歴史を持っています。金正恩が、焦燥感を覚えるのも無理はありません。「自分もフセインのように殺されるのだろうか?」ここは、お互いに自国の防衛のために武器保有を認め、必ず戦争行為を行わない、と言質を取るしかありません。米国の言い張る正義には矛盾が多く含まれているからです。ここで、世界平和に舵を切るためのキーマンはプーチン大統領でしょう。彼は、間違いなく冷静に物事を見ています。そして米国のプレスに対しても積極的かつ情熱的に、客観的視野に立って現在米国がしていることを世界に報道するように説得しています。米国を使って世界をどうにかしようとしているフィクサーの行動を制していくことが重要なのです。

 

私は、日本は、元来持つ「和」の精神をもって、米国からの真の独立を果たすべきだと思っています。様々なことが日本には仕掛けられているのは間違いないでしょう。しかし、米国の言っていることは全て正しいことではないのです。よくアメリカを見なければいけません。今や中流家庭が貧困に喘でいます。米国の推進してきた民主主義、自由主義、そして資本主義が自由経済を謳歌させ国家を繁栄させると思ってきたのにそれは幻になろうとしています。米国式では上手くいかなくなってきているのです。

 

話を、元に戻します。米国の次の作戦は、中国、イギリス、オランダと手を組んでABCD包囲網という経済封鎖を行いました。そして、日本は経済的に窮地に追い込まれたのです。これも、今の北朝鮮が苦しんでいる状況に酷似していませんか?あまり追い詰めると「窮鼠猫を噛む」わけです。日本も、開戦と対話双方で行動方針を考えていかなければならなくなったのです。

 

日本は、真珠湾を攻撃することになるのですが、そこに至るまでに相当苦しめられ、一切の障害を排除しなければ国が立ち行かなくなる寸前まで追い込まれていたのです。

 

米国、オランダ、そしてイギリスや中国の行ってきた経済封鎖は、国際理念上、平和を考えれば、本当に不条理だったということを忘れてはいけません。

 

人種の問題、そして世界の覇権というものが裏にあった時代なのです。現代の私達は、それらの課題をクリアできているのでしょうか。考えなければなりません。

 

続く