日韓併合は、1914年に起こった第一次世界大戦の前、1910年に大日本帝国と大韓帝国との国家間で締結された正式な条約により効力を発揮したものです。これにより、大日本帝国は、韓国を合法的に併合したわけです。
この事実に関して、多くの在日の方々や、左翼の日本人の方々、そして北朝鮮の方々や韓国の方々が非難しているわけです。果たして、大和魂を日本人精神として時代を創ってきた我々先人が、言われるような蛮行をし、朝鮮民族を搾取し、そして強制的に女性を連行して慰安婦として労働させたのでしょうか?
ここで、少し歴史を振り返ってみたいと思います。先ず、朝鮮は、もともと李氏朝鮮という国であり、その立国に関しては、1300年代後半当時の中国、明の力添えを受け、当時の高麗(朝鮮)の主君を裏切った李氏が建国した国です。この様な経緯があるため李氏朝鮮は、明の強い影響下にあり、李氏朝鮮の王朝の皇位継承の認定や通貨の発行に至るまで多くの物事は中国の許可なしには出来ない国でした。朝鮮民族は、中国の奴隷民族化され、非常に暗い歴史を歩まざるを得なかったのです。
日本は、そんな朝鮮を見かねて独立させようと思ったのでしょうか?実は、当時の日本は、そこまでの余裕はありません。日本は、露西亜の南下が一番の脅威であったため、何とか朝鮮に近代化してもらい、露西亜南下を食い止めていただきたいと切に願っていました。しかし、度重なる交渉にも李氏朝鮮は日本との交渉を受諾するどころか、清と共に、日本を下に見ていました。そこでの日清戦争における日本の勝利です。その際、朝鮮の清からの独立を認めさせました。さらに、日本は日露戦争にも勝利するわけです。当時、日本の力は世界が認めざるを得ませんでした。
このような歴史の流れの中、李氏朝鮮は、大韓帝国と名前を変え、王位も皇帝とし、清に肩を並べたのです。
これまで、中国に奴隷民族化されており、人民は生きることに必死でした。従って、朝鮮は年々人口を減らし続けていたのです。とにかく食べることに困っていましたから。しかし、日韓併合以降1940年代まで人口は飛躍的増加を遂げ、2倍近くまで増えたのです。人口が増えるということは社会が豊かになったという証左です。
日韓併合後、社会は大きく良化したことは認めるべき事実です。
先ず、第1に、身分制による支配がなくなり、公平な裁判制度が不普及されたのです。そして、職業選択の自由、そして居住地選択の自由などの個人の権利も認められるようになったのです。また、大日本帝国の協力で、インフラ整備が整い、経済が活発化。また、児童に対する義務教育の普及に努めました。これには、多くの親が子供は貴重な労働力であったため文句を言う始末でした。しかし、当時、日本が進めた教育制度の改革により、後の朝鮮半島における未来の力が育てられたと言っても過言ではないでしょう。
大日本帝国は、この様に大韓帝国の発展に大きく寄与しました。また、多くの朝鮮人を教育していく中で、特に優秀なのは、日本の陸軍学校に入学させていたという事実です。
第二次世界大戦後、勃発した朝鮮戦争において韓国軍の指揮を執ったぺク(白)将軍(存命)の方のお話を直に伺ったことがあります。彼は、日韓併合時代に平壌師範学校へ進学。在学中、日本人教師から軍人を志さないか、との助言を得て満州国軍官学校に入学。満州国軍に配属されています。その後、終戦を迎え軍務から離れますが、その後朝鮮戦争に軍人として復帰し、師団長として韓国軍を率いて38度線まで韓国軍を北上させ休戦状態にもっていったのです。彼は、日本人により受けた教育に非常に感謝しておりましたし、日本人は、朝鮮人を迫害した事実もなかったと明言されております。朝鮮半島に当時住んでいた多くの日本人は、朝鮮民族の土地に住まわせていただいているという謙虚な気構えで生活されていたようで、朝鮮人と非常に仲良く生活されていた、と証言しています。そんな、多くの朝鮮人の中にいる少数の日本人が多くの女性を引き連れて慰安婦として連行するなんてことは、ほぼ無理だったということです。
この前、失脚したパクヒョンヒ大統領の父親で同じく同国大統領であった朴正煕も日本で教育を受けた一人です。彼は優秀で満州国軍官学校に入学し、成績優秀の為、日本の士官学校に進学し、帝国陸軍将校と同じ教育を受けています。彼も日本から大きな恩恵を受けた朝鮮人なのです。
日本の政治家、福田赳夫が訪韓した際、韓国側の高官が、過去の日本統治時代について非難し始めたところ、次のように言って嗜めたそうです。
「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。」
その娘さんが、日本叩きばかりするには裏があります。全て米国が動いているのです。アメリカの占領政策の一環として、日本の功績を隠蔽し、日本が一方的に朝鮮を侵略し、搾取し、苦しめたということになっています。従って今でも、韓国人が米国内に慰安婦像を建立したとしても米国は何も言わないわけです。未だに日本は米国にとって脅威であり、何とか亡国にしたい国の一つではあるのかもしれません。また、多くの韓国人も日本人も歴史を正しく認識されていないと思います。歴史は、その人の見解により異なるという顔を持ちあわせますが、それにしても多くの年老いた朝鮮の人々は日本人の行いに感謝していたのは間違いないでしょう。当時の清も李氏朝鮮も朝鮮半島の近代化を推し進めることは出来なかったのですから。
このような事実を日韓双方で共有し、愛をもって双方歩み寄る必要があるのです。私達は、様々な思惑を持ったコメンテータ―やメディアの誘導、偏重された内容を一身に信じるのではなく、自分たちで真実を追求し、自分たちの誇りを取り戻していく必要があるでしょう。
そして、日本人が持つ「和」という偉大な愛をもって様々な考えを抱きかかえていく必要があるのです。日本人は忍耐強い。この強さをもってすれば、「和」のリーダーシップを発揮して平和へ繋げることが出来るのではないでしょうか。
私は、自衛官でしたが、あまりに好戦的になってはいけないと思っています。国防は崇高な任務で、自衛隊員も他国の兵士も自らの命を賭して日々訓練しています。でも、彼らを動かす政府や政治が、悪い方向に彼らを運用してはいけないと思っています。私達は、日々愚直に頑張る自衛隊を、国民が真に信頼し、感謝できる土壌を作っていくことが大事だと強く思っています。
続く