日清戦争・日露戦争・日中戦争・大東亜戦争 | 熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

熱血講師 ショーン 近藤 Leadership & Language Boot Camp

日本人精神を復古させ、日本人が真のリーダーシップを発揮し、世のため人のため活躍出来るよう、語学教育とリーダーシップ研修を通して皆様と大きな力を作り上げていく熱血講師 ショーン・近藤の公式ブログです!

日清戦争・日露戦争・日中戦争・大東亜戦争

 

前回のブログで日清戦争以降の日本が経験してきた戦争について多くの日本人が正しく認識されていないと感じていますので、今回のブログでこの点について少しだけ述べさせていただきたいと思います。

 

多くの日本人は、自虐史観を植え付けられていますので、「明治以降の日本は悪であり、帝国陸軍・海軍は暴走し、軍部が政治を支配し、そしてまた天皇陛下を陰でコントロールし、陛下の決心へ大きな影響を与え、結果、大きな戦争へ帝国を突入させ、多くの国民が徴兵され戦線へ送り込まれ命を落とし、そして多くの国民は貧困に喘ぎ、苦しい時代を生き延びなければならなかった」という感じの歴史観をお持ちではないでしょうか。

 

つまり、我々の先人は無謀であり、正義の国、米英に対し勝つ見込みのない戦争を仕掛けた、と。果たしてそうなのでしょうか?日本は昔から「和」の国であり、聖徳太子が制定した17条の憲法にも「和(やわらぎ)を以て貴しと為し~」という文言から始まる位「和」を重んじていた国民性を有する民族です。決して好戦的な民族ではありません。では、如何にして日本は戦争への道を突き進むことになったのでしょう。

 

時代は、明治維新前後の時代まで遡ります。世界を見てみますと、世界の90%近くは西欧列強の影響かにありました。アフリカの一部とアジアから中東にかけての一部を除きほぼ西欧列強の植民地化にありました。アジア諸国も西欧列強の植民地にされ、日本の隣国である中国(清)にまで英国の手が迫ってきておりました。そして、イギリスが清に仕掛けた戦争が、かの有名な阿片(麻薬)戦争です。イギリスは、大量の阿片を清に売りつけようとしていました。常識では考えられないビジネスを持ちかけ、断られたら武力で恫喝するというやり口です。結果、清は西欧の武力に蹂躙されたのです。この状況を知り得た日本は、フランスやイギリスが虎視眈々と日本を狙っているということを知り、新政府樹立を目指したのです。

 

麻薬を売りつけられ、断りを入れたら武力で制裁され、領土を取られ、賠償しなくてはならない。これって、納得できない手法ですよね。こんなやり方に西欧列強は疑問すら持つこと無く、「これが我々の正義」とばかりに人々を殺戮し、搾取し、支配下に収めていったのです。

 

これは、大変なことです。自分の家の隣まで、暴力団が来て、「おい、覚醒剤買え!」といって脅しに来ているようなものです。「いやいや、そんなもの買いませんよ。」と断りを入れた途端、無勢に多勢で滅茶苦茶にやられるわけです。警察に電話しようものなら、今度は誘拐され、リンチされ、最終的にはコンクリート詰めにされて海に沈められる、みたいな感じですよ。そして、いよいよ、暴力団は、その家から金や財産を搾り取るだけ取ったから、次はこの隣の家を狙おうというような状況です。こりゃ、自衛しないとまずいじゃないですか。基本、あんまり喧嘩とか殴り合いとか嫌なんですけど、とりあえず何とか戦えるように準備しておかないと何してくるかわからないということですよ。全く穏やかではありません。

 

実際、隣家(清さん)が英国一家に麻薬抗争を仕掛けられ非常に弱っていたところ、お露西亜一家が北から殴りこみをかけてきそうな状況なわけです。そこで、日本は考えました。これは、清さんに一端の国になっていただき、様々な暴力やら脅しに屈しないような国になっていただかないとウチに飛び火してくるぞ、と。つまり、日本は中国や朝鮮が西欧列強に屈しない国になってもらわないと自国の存続にも大きな影響を及ぼすと考え、中国及び朝鮮と同盟関係を確立し、手と手を取り合ってアジア一丸となって恫喝に対抗しようと考えたのでした。

 

ところが、当時の清は、アジアの眠れる大国を自負しており、朝鮮は清の属国でした。朝鮮は、清の認可なしでは自国で通貨の発行も出来ず、また朝鮮皇族の皇位継承も出来ないという状況です。清は勿論のこと、属国であった朝鮮も日本はアジアの小国であると位置付けていました。このような自国の存続に関して危機的環境にあっても清も朝鮮も危機感をそれほど持っておりませんでした。日本は、同盟関係を確立しようと使節を領国に送ったのですが、同盟関係を締結するなんてことは、彼らにとっては「国の格が違うから日本とは手を結べない」とにべもなしに断ってきたのです。

 

日本は考えました。「こりゃ、だめだ。清や朝鮮と手を組んでも仕方がない。彼らは俯瞰で物事を見ていない。アジアを相手にしても日本の存続が保証されるわけでもない。これは西欧列強と肩を並べるべく努力して彼らに認めてもらうしかない。」と考え始めたのです。これがいわゆる「脱亜入欧」という考え方です。

 

1894年、朝鮮において「東学党の乱」という反乱が起きました。これは、もともと宗教団体が起こした反乱であり、減税や日本の進出を拒むことを目的としたもので、この運動が農民たちの間にも広がり、ついには朝鮮全土に広がった反乱です。朝鮮は、前述した通り力のない国でしたので、反乱等が起きても自国で対処できなかったわけです。そこで支配国の清に助けを求めました。「なんとかこの反乱を鎮めていただけませんか。」と。勿論、清は英国に負けたとはいえ、アジアの大国であり眠れる獅子といわれている国です。親分肌で、即承諾。清は軍を朝鮮に派遣しました。しかし、これに危機感を覚えたのが日本なのです。英国にやられた清が朝鮮の反乱を鎮圧しようと軍を送ったとなれば、更なる清の朝鮮における存在感が大きくなる。露西亜が攻めてこようものなら、朝鮮は清と協同して露西亜と対決するだろう。しかし、清は弱い。であれば、日本が朝鮮に兵を送り、何とか朝鮮半島における優位な地位と影響力を確立しておかなければ露西亜が南下してきたら、直接的な危機が増幅されると考えたのです。

 

日本は、日本の公館を守備するという名目で出兵させます。この反乱はなんとか鎮圧されましたが、清と日本は引き続き軍隊を朝鮮に駐留させました。ここでの小競り合いから戦争へと発展していったのです。勿論主戦場は朝鮮半島です。朝鮮人民からしてみればたまったもんじゃないわけです。隣国の清と日本が自分の国の中で戦争を始めちゃったわけですから。日本は、当時ドイツ式の陸軍と英国式海軍を育成し、強力な軍隊を保有していたわけですから、清のような旧式の軍隊に負けるわけはありません。なんと8ヶ月で清に勝利してしまいます。日本は、この勝利によって清と下関条約を締結します。その中身は、

1 朝鮮の独立を認めること

2 遼東半島を日本へ譲渡すること

3 台湾を日本へ譲渡すること

4 澎湖諸島を日本へ譲渡すること

5 賠償金3億1千万支払うこと

6 日清航海通商条約の締結

でした。

 

このようにして日本は、朝鮮半島から清の影響を排除し、大陸進出への足掛かりを固めたのです。

 

この日本の大勝利に驚いたのが英国、米国、そして露西亜です。露西亜は、南下政策について戦略を練りなおさなければいけなくなりました。ここから大国の思惑に日本は翻弄されていくことになるのです。

続く