ギターを始めたきっかけがテツandトモ。

そして、弾き始めたのがフォークソング。

 

これまでの流れはこちらから↓

ギターヒストリー 活動開始まで

 

中学生だった私はある本に出会い、その後のギター人生が大きく動いていった。

中学2年の頃の話である。

 

その本は、私より少し前にギターを始めた父が持っており、一人で伴奏とメロディーを弾く「ソロギター」というスタイルの教則本だった。

 

 

模範演奏のCDも付属しており、有名曲をギター1本で弾いたヒーリングミュージックCDとしても楽しむことができる。

 

この頃の私の原動力は「ギターが上手くなりたい」というものだった。

その思いは今も続いているし、後に来るギター人生上最大のターニングポイントにも直結することとなる。

 

私の場合、コードを押さえて鳴らすことはすぐできるようになった。

 

アルペジオ、ストローク、など鳴らし方はまだまだだだったが、かぐや姫の曲でアルペジオを習得し、テツandトモの曲でストロークを練習していった。

 

そこに現れたこの本と演奏スタイルがソロギターだった。

 

 

このようなイメージである。

 

歌には自信があるわけではなく、ギターを弾いて歌いたいとは思っていなかったし何より演奏することに楽しさを感じていた。

 

「このスタイルなら、演奏が鍛えられそうだ!」

 

この本のおかげで、ソロギターというスタイルにはまっていった。

遅かれ早かれこのスタイルには出会っているとは思うが、その人に必要なものが必要なタイミングで来る、という「縁」を信じたい。

 

そう思うことはこの後もたくさん出て来る。

 

 

この本の中で最初に練習したのは「真夏の果実」である。この曲の弾き方は

 

♪ 涙が〜(伴奏) 溢れる〜(伴奏)

 

といったメロディーを先に弾いて、間に伴奏が入る構成だった。

今になって思うのだが、私のオリジナル曲はこの構成が多い気がする。これが理由なのかもしれない。

 

ちなみにこの時点では、父親のクラシックギターを借りて弾いていたが、

その後、割とすぐにアコースティックギターを手に入れることができた。

 

母が昔持っていたものを、母の実家の物置から引っ張り出したものだった。

 

「私が昔買ったギターが物置に入っているかも、欲しい?」

「欲しい!」

「送ってくれるって、よかったね。」

 

購入から数十年経ってネックは少し反っていて弾きにくくなっていたが、クラシックギターには無いピックガードを見て、テツandトモやかぐや姫で見ているギターと同じことに嬉しくなったのを覚えている。

 

どうやらこの子はギターを弾くのは続けるらしい、と思ってくれたのかこの時の母と祖父母の行動にはとても感謝している。

 

かぐや姫を聴きながら、ソロギターを弾きながら中学生時代を過ごした。

そして高校生になってあのアーティストと出会うことになる。

 

 

taji

 

まず感動したのは、声に力みが全く感じられないこと。

空気を少しブレンドした透き通った、表現するなら「鈴」のような声だった。

 

そして2時間近いライブで、ステージ上では一度も水やドリンクを飲む姿を見せなかったこと。

 

歌が上手くて感動した。のは当たり前。

それ以外の部分に着目してしまうのは、私の一人のミュージシャンの端くれ目線と思っていただきたい。

 

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夏川りみさんの曲で好きな曲が1曲ある。

 

「愛よ愛よ」

奄美の方言で愛は「かな」と読む。

歌詞の中に「がんばらないで」というフレーズがある。

 

昔、24時間テレビで萩本欽一さんが、あの過酷なマラソンを走っている時「頑張るな、歩け!」という言葉に救われたという。

 

皆、もう既に頑張っているのだと思う。

だからこそ、そんなに頑張らなくていいという声が必要ではないだろうか。

 

しかしながらラグビーW杯で、屈曲な男達がスクラムを組んでいる姿には「頑張れ!」が似合うのではないか。

 

さて、この曲がライブで歌われたかどうかはこの後もツアーは続くので明言は避ける。

代表曲の1つで間違いないだろう。とまで伝えておく。

 

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歌が上手い、というのは基準が難しい。

 

確かなことは、自分の心を揺さぶる歌や声は人それぞれ違うはずだ。

 

そう言った意味では、私の人生の中で一番心を揺さぶられた歌を歌っていたのは実は先輩の竹田さんだったりする。

 

 

当時2009年。

その時のライブ映像が残っている。

 

生まれて初めて生でこんなに上手い歌を聴いたというのもあったと思う。

もしかしたら「一番」はタイミングで違ってくるのかもしれない。

 

 

 

さて、2009年から8年後。

私は一緒にその曲を演奏している。

 

もし時間があれば聴き比べていただきたい。

 

竹田さんとの音楽活動に関しては、いずれ時系列をまとめて書き残しておきたいと思う。

 

歌を聴いて感動し、いつしか横で一緒に弾くようになった。

今でもその関係性でいられること、それはとても幸せなことだ。

 

しかし、お客さんの立場でじっくり聴くことができなくなったのは、少し寂しくもあったりする。

 

 

taji

玄関を出ると、水の中に飛び込んだような涼しさが一気に体を包む。

既に冬は目前まで来ているのがわかる。

 

「夜空ノムコウ」の歌詞にある「冬の風の匂いがした」まではもう少しかと思うが、北海道の秋を楽しみたいと思う。

 

そして、9月は空が綺麗な季節だ。

北海道ローカルの情報番組で気象予報士の方が「空の展覧会」と表現していたのが印象に残っている。

 

 

個人的には、5月と9月が1年の中でも空が綺麗な季節だと感じる。

 

5月はこれから暑くなる途中であり、9月はこれから寒くなる途中である。

どちらかというと、少し紫がかる9月の空の方が好きだ。

 

9月はそろそろ終わってしまうが、ぜひ夕方の空を見ていただくことをオススメしたい。

燃えるような夕焼けをあと1回くらい見たいものだ。

 

 

玄関を出た時の寒さは、背筋が伸びる。

 

これから短い秋がくる。

 

 

taji

北風と太陽に例えると、世の中あまりにも北風ばかりではないだろうか。

私の周りだけがそうなのかもしれないが、疑問と憤りばかり感じている。

 

勉強しなさい、でやらないのだ。

恐怖でやらせても考えなくなるだけなのだ。

 

それがなぜわからない。

 

指示待ち人間とは、怒られた過去があるから結果的にそうなっているのだ。

何をやっても怒られるから言われたことだけやろう。そう考えるのはただただ賢い。

 

指示されていないことをやらないで怒られ、自ら考えて行ったことも何をしているんだと怒られる。

 

そうさせている人が、あいつは自分で考えないと罵る。

 

違う。受け止めるべきだ、その人が自分の思考までたどり着いていないことを。

でなければ1〜100まで間違いのない指示を出すべきだ。

 

70までの指示で30足りないからと怒るのは愚の骨頂だ。

その30を伝えていないことを謝罪すべきだ。

 

そして、足りない30をやって欲しくても期待してはいけない。

なぜなら指示をしたあの人は、あなたと同じ思考ではないからだ。

 

70までの思考を100まで導くのがあなたの役割だ。

 

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北風と太陽の話に戻る。

 

どちらが旅人の上着を脱がすか勝負をした。

 

北風は上着を吹き飛ばそうとするが、寒さから逆にしっかり押さえてしまった。

太陽が日差しを照りつけたら、暑さに耐えきれず自ら脱いでしまった。

 

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上着を着込むのも、脱ぐのも決めたのは「旅人」である。北風でも太陽でもない。

人は自らやることを「決める」のだ。

 

上着を脱がないからと、風を強める人ばかりだ。

どうしてなのだろう。

 

文字通り太陽になろうではないか。

 

 

きっとそれが近道である。

 

 

taji

振り返り① ② ③はこちらから

北海道胆振東部地震から1年 振り返り①

北海道胆振東部地震から1年 振り返り②

北海道胆振東部地震から1年 振り返り③

 

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9/7 AM 8:00

 

同僚の車で職場へ向かった。地下鉄はまだ動いていない。

 

この時、大きな交差点の信号は点いていた。

道中でも小さい交差点や場所によっては点いてない信号があった。

 

大きい交差点では交通整理が行われていた。

いつ復電するかわからない状況で、ちゃんと交代要員はいるのか心配になった。

 

なんだかんだ、まだ落ち着かないような街の空気を車の中から見ていた。

 

他にも職員をピックアップし、無事だったか、何をしていたかを確認しあった。

 

職場に着くと既に事務所のほぼ全員が出勤していた。

 

職場(病院)では、前日の夕方には電気が復旧していたらしい。

聞いた話だが、地震発生から間もなく大勢の職員が出勤して緊急事態に対処していたようだ。

 

自家発電を止めないために軽油を買いに走り、エレベーターが使えないため階段で屋上まで重い軽油を持ったまま上がったり、近所のスーパーへ食料を買いに行ったりと、壮絶な1日だったようだ。

 

電気が復旧しているのであれば私が何をするかはわかっていた。

出勤システムが止まっていた以上、誰が出勤していたのかを正確に把握することだった。

 

その他、建物の被害状況の把握のため内部をくまなく見て回った。

(1日目はそれどころではなかったらしい。)

普段人が入らない部屋のキャビネットが倒れていたり、エアコンの蓋が落ちていたり、コンクリートにヒビが入っていたりと、地震は確実に建物にダメージを与えていた。

 

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9/7 PM 18:00

 

勤務が終わり、朝と同じく家まで送っていただいた。

そこで見た景色は恐らく忘れることはないだろう。

 

職場を出た時はまだうっすら明るかったが、すぐに日が沈んだ。

家まで約13kmの道中、見えたのは真っ暗な街並みだった。

 

明るい朝は気づかなかったが、まだまだ停電している場所はたくさんあった。

いかに私の家の復旧が早めだったということがこの時わかった。

 

ブロック毎に行われている送電も目に見えてわかった。

車から見える右側は明るいのに、左側は暗い。

ここは点いているが、奥は消えている。

 

現代社会において、このような景色は二度と見ることはできないだろう。

 

そして、この後停電発生から2日間で北海道の99%の停電が復旧した。

地震に伴う停電が完全に復旧したのは、10/4と記録に残っている。

 

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忘れないように書いたこの記録だが、これを書いている間にも千葉県では深刻な停電が発生してしまっているようだ。

 

私が停電を経験したのは丸1日だが、それ以上となると大きな不安が想像できる。

 

 

病院にいる患者さん、救助が必要な方への対応を。

そうでない方も体調にお気をつけください。

 

1日も早い復旧を心から願います。

 

 

taji