振り返り① ②はこちらから

北海道胆振東部地震から1年 振り返り①

北海道胆振東部地震から1年 振り返り②

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昼前から、ラジオやツイッターで、携帯電話が使えなくなるという情報が入ってきた。

電気が止まり、基地局アンテナの電池が切れる。ということだった。

 

地震の被害の情報もラジオから聞こえていたが、いつもより情報量の少なさを感じた。

それは伝えている内容ではなく、映像も見られなければ携帯ニュースを見るのも電池節約のため極力控えたため、色々な方向から情報が入らなかったからと考える。

 

これも後から聞いた話だが、車でTVを見て携帯も充電していた人が多かった。

万が一に備え、私の家ではそうしなかった。

 

 

昼食を終え、ラジオの被害情報などを聞いていた。

札幌市内でも道路の陥没、液状化が見られること。

ラジオから音は聞こえるが、電気が無い世界はとにかく「静か」だった。

 

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そしてついにその瞬間がやってきた。

 

送れていたラインが送れなくなった。

ツイッターも同様の状況になった。

 

そしてニュースの通り、昼過ぎに携帯電話は「圏外」になった。

 

14:49の画面が残っている。電波は圏外。

 

 

 

さて、こうなるとどうしようもなかった。

職場に連絡を取りたくてもできないし、携帯から情報を得ることもできない。

もはや、ラジオの情報だけが頼りになった。

 

17時43分、明るいうちに食事を済ませると、あっという間に外は暗くなった。

 

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暗くなってからはロウソクの灯りで過ごした。

9月6日の夕方頃には早い場所では電力が復旧していたようだ。

しかしまだまだ札幌中心地も真っ暗であり、すすきのの大交差点、ネオンが一つも点灯していない街中の写真を後から見た。

 

こうなるとどうなるかというと、夜、札幌では普段見えないものが見えるようになった。

目の前に、いつもは明るすぎて消えてしまっている「星」がたくさん現れた。

 

後にこの日に撮影した星空を集めた写真展も開かれた、今後札幌の夜空があのレベルまで暗くなることは無いだろう。

このことをポジティブに感じた人は私の周りにも多かった、そんな不思議な経験になった。

 

しかし、情報が無いというのはなんとなく焦るものである。

停電復旧の見通しは?明日は地下鉄は動くのだろうか。職場はどうなっているだろうか。確認したいことはたくさんあるが自力ではどうしようもなかった。

 

停電してから初めての夜「20時41分 寝ることにする。」とメモに残っていた。

 

電気がなく、明かりがないと現代人はできることが少ないということを思い知った。

本も読めない、TVもない、ギターを弾こうにも暗くてよく見えない。

 

何かをしたくても、できない。

寝るしか選択肢がないのだ。

 

今になって「寝ることにする」という言い回しが、その時のもどかしい気分を表現しているような気がした。

 

 

④へ続く。

 

taji

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北海道胆振東部地震から1年 振り返り①

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AM9時頃に家を出て、近隣のコンビニ、スーパー、ドラッグストアなどを目指した。

 

道中、周りを見渡すと、予想はしていたがどの店も長蛇の列ができていた。

買うものとしては、割とストックがあった食材よりもガスボンベがまず優先だった。

 

1軒目のドラッグストアに到着、入り口から100人くらいの列に並んだ。

そこからわずかな時間で私の後ろにも長い列ができた。

 

30分ほど経ち、直射日光がそろそろ辛くなってくる。

その間、携帯でニュースを見るが停電に関しての情報は錯綜していた。

間もなく復旧するというニュースを見ては、関係者の皆様お疲れ様ですと感謝の気持ちが湧いたし、文明の力を感じたというか、ちょっと手こずった程度だろう。と思っていた。

(実際はまだまだ復旧まで遠い)

 

かと思えば、復旧まで1週間以上というニュースも出ていたり「数時間での復旧を指示」という謎のニュースも見かけた。

その時のニュース画面、時間は9時40分となっている。

 

やっと列が1/3ほど進んだところで、先に買い物を済ませた男性が並んでいる人に聞こえる大きさの声で、

「全然ダメ、ほとんど何もない。店員さんに欲しいものを言って、それを取ってきてもらう感じ。自分たちで見て回れないし、これじゃダメ、物もほとんどないし。」

 

と身内に向かって喋っていたが、周りもバッチリ聞こえた。

教えてくれたことに感謝しつつ、ここでガスボンベは買うのは難しいと判断。

私と弟は列から離れ別の店に行くことにした。他数名もそれを聞いてか移動していた。

 

並ばないと何も買えないが、ガスボンベ以外にも必要なものはある。

 

 

2軒目、近くのスーパー。

広い駐車場の奥に店舗があるが、向かっている途中で先ほどよりも長い列を見かけ方向転換した。

 

そこから、数軒コンビニに寄った。

どこも真っ暗で、電気が動いていなく静かだった。

アイスのフリーザーは「販売中止」の張り紙。調味料、乾麺、食べ物を探した。

 

こんな時でも出勤し、レジが動かない中電卓で会計を行ってくれたスタッフの方々がいた。

そうでない立場であることに悪気がして、自分を少し責めたのを覚えている。

 

ちょうど知り合いの方が働いていた。

「こんな時にお疲れ様です。」

「なんも!お互い頑張ろうね。」

「はい、Tさんも!ありがとうございます!」

 

どのコンビニも食品はほぼ無かった。わずかに残っていたお菓子類の中でチョコレートなどを購入し家に戻った。

 

帰り道で自転車を漕ぎながら漠然と考えた。

もしかしたら1週間以上停電が続くかもしれない。そうなったらどうしよう。

実感もなく、考えたくない気持ちも相まって、具体的な行動は何も思いつかなかった。

 

 

③へ続く。

 

taji

明日で北海道胆振東部地震から1年が経とうとしている。

記録という意味でも、当時を思い出しながら振り返っていこうと思う。

 

 

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揺れで目が覚めた。

近くの棚から色々な物が落ちて顔に当たった、ギターが倒れないか心配になり飛び起きた。

 

2018年9月6日AM3時7分、北海道胆振東部地震が発生。

 

停電が起こったということを確認した。

それでもまだ早い時間だったので再度眠った。

起きたら復旧しているだろう。軽い気持ちでそう考えていた。

 

当時、実家にいた私はまた目が覚めた時にいつもの朝ではないことに気づく。

圧倒的に音が足りない。

 

いつも先に起きているはずの親が見ているTVの音がしない。

急に山奥の何もない場所へポンと置かれたかのように外も静かだった。

 

起きたら復旧などしていなかった。停電はまだ続いていた。

この時、北海道中の電気が止まる大規模停電が起こっていた。

 

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父親が持っていた災害・キャンプ用のTVとラジオが情報源となった。

まだこの時は携帯電話は使用でき、地下鉄が動いていない情報などは手に入った。

 

私の職場(病院)では、既に出勤している人がたくさんいた。

残念ながら私の実家から職場まで歩いて約3時間(Google map調べ)の距離であり、信号、地下鉄が動いていない中での出勤は難しかった。

間もなく職場から電話で自宅待機という指示が入った。

行って力になれないことを謝り、電話を切った。

 

朝食はいつもより豪華だった。

冷蔵庫の電気が止まっており、中の食材が傷む前に食べるためだ。

ガスは通っていたようだが、実家はIHのためガスコンロで調理した。

ガスボンベの予備は1本だった。

 

ラジオなどでは、停電復旧の見込みが立っていないことを繰り返し伝えていた。

そしてその期間分の食料などをまとめ買いにコンビニやスーパーに人が押し寄せ、商品が無くなっているという情報も入っていた。

 

後から聞いた話だが、地震が起きてからすぐ真っ暗な中コンビニに行ったという人もいたらしい。

なんというか、単純に初期対応のスピードには感嘆した。

 

朝食後、大体の現状が把握できた我々家族は役割分担をした。

私と弟は買い出し班で「何か買える物があれば買ってくる」というものだった。

 

2018年9月6日、晴れ。

日差しは強く、外はまだ暑かった。

 

 

②へ続く。

 

 

taji

 

夏がイメージされる雲の写真を9月になって撮ることができた。

 

どういうわけか、9月の札幌は夏を思い出すらしい。

日中の最高気温は夏日を超えてくる。

 

そんな残暑の日に不思議なことが起こった。

偶然というのはとても面白い。

 

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昼食を終え、窓の外を見ると綺麗な夏雲が見えた。

すぐさま私はカメラを手に取り、上の写真を撮った。

家の窓からの撮影のため建物や電線を避ける必要があり、望遠レンズで撮っている。

 

夏らしい雲をどう切り取ろうか、構図を探していた。

そして最も望遠側にズームした時、ファインダーの中の雲に動くものを見つけた。

 

その瞬間私は、

 

タイミング、方向、望遠、全ての偶然に感謝した。

 

 

もちろん私は、この時間この方向に飛行機が飛んでいることなんて知らない。

 

ファインダーから目を離し、肉眼で確認してみた。

飛んでいる音も聞こえない、目を凝らさないとわからない遥か遠くを飛行機がゆっくりと飛んでいた。

 

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鉄道写真家の中井精也さんがこんな話をしていた。

肉眼でも、動画でも気づかないものを写真では残せる。

わたらせ渓谷鐵道と桜を狙って撮った作品です。撮っている時には気づかなかったのですが、子どもが桜吹雪をキャッチしようとして窓から手を出していたのです。後で見てびっくりしました。このように、肉眼ではとらえられない瞬間を残すことができるのも、写真の醍醐味ですね。

 

中井精也さんに聞く、「ゆる鉄」の極意

 

「わたらせ渓谷鐵道」の写真がそれである。

 

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私の場合、飛行機が写真の中にいるのを後から気づいたわけではない。

 

しかし、夏雲を撮ろうとして覗いたファインダーの中に偶然飛行機が現れたのは、上の話とどこか通じるところがある気がしてならない。

 

飛行機が通り過ぎたのは時間にして1分くらいだったと思う。

 

写真を撮っている人は、このような幸運な瞬間に遭遇したことがある人は多いのではないだろうか。(ちなみに私も何度かある)

 

偶然の幸運とはよく言ったものかもしれないが、

その偶然の幸運は、追わない限り訪れることはない。

 

とも思っている。

 

 

taji

仕事の実践法や、思考法をどんどん圧をかけて押してくる文体のブログが嫌いだ。

 

そう言うからには私も、押すではなく引くブログを目指したい。

 

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たまに仕事の話を書こうと思う。

今どんなことを思っているかを残すことの大切さは、近しい未来に過去の記事を見返した時に気づくはずだ。

 

さて、これを読んでいただいているあなたも考えてみて欲しい。

「思い込んでいること」と「信じていること」の違いである。

 

この2つの違いは「根拠」の強さであると考える。

 

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先日私にこんな依頼が来た。

(※ちなみに私の仕事は病院の総務課です。)

 

◯透析患者さんの薬を「院内処方」か「院外処方」のどちらがいいか出して欲しい。

(結局は規模によるのだが、当院は微妙なところがある。)

 

さて、この依頼が来た時に私はこう思った。

 

「それは私の仕事じゃない」

 

このようなケースは今までも医療事務課の方でやってきている。

医療事務課が算定やレセプト作成を行なっている以上、そちらの仕事であり、それに全く携わっていない総務課の私が行うのは筋違いではないのか。

 

(※ちなみに依頼主は、全くそういうことを気にしない人。)

 

一歩引いて考えてみた。本当に私の仕事じゃない「のだろうか?」

 

例えば・・・

 

①外来の会計をお願いします。 

会計の知識がない、操作方法が不明、処理が不可能、教育が必要。

→今すぐは無理だ。

 

②患者さんの採血をお願いします。

経験なし、看護師免許なし。

→やろうと思ってもできない。

 

①の方は部署が異動して、教育を受ければある程度できるようになるが、今すぐ求められてできるかと言われたら私以外、他にできる人はいる。

②は資格、免許が無いものは根拠が強い。

 

 

依頼に戻る。

それは私の仕事じゃないと思った根拠が弱く、反対にできる根拠も見つけてしまった。

 

今まで医事課→ベターなだけ、明確な理由はない。

知識がない→調べれば可能

シミュレーション→計算できる (得意分野である)

 

自分の常識から一歩引いて物事を見る。

この時、私の仕事じゃない「と思い込んでいる」だけだと気づいた。

 

私の仕事じゃない、と信じられるのは「やってみた結果」で判断しよう。

そう考え、私はこの依頼をやってみることにした。

 

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しかし、こう書くとあれなのだが、非常にグレーゾーンである。

 

これでいくと資格のいらない業務の「分業」の概念が無くなるし正直この手の仕事は当院では誰がやるのかは「明確」ではない。

 

恐らくできるし、やってもいいが「なぜ君が?」となりかねない。

今までこうだったからこう、を崩すことにもなる。

 

そんな考えが頭の中をぐるぐるした。

15%くらいまだ拒否している自分もいる。

 

しかし、私の悪い癖かもしれない「面白い」と思ってしまった。

 

やった結果、やはりこういうのは医事課の仕事だろう。となればそれでいい。

経営陣が今後の経営方針の資料として「使える」と思うものを出せたならそれでいい。

 

明らかに私の行動は、今までの流れには逆らっている。

 

果たして、出る杭は打たれる「のだろうか?」

何事もやってみないとわからない。

 

この話の続きは近いうちに。

 

 

taji