どーもどーも アナウンサー高橋圭三 誕生日 9月9日 | 昭和歌謡ブログ マンボウ 虹色歌模様

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高橋圭三(たかはしけいぞう) 誕生日 1918年9月9日

9月9日は重陽の節句ですね。
中国の陰陽説では奇数が陽で、偶数が陰。

陽の最大の数である9が重なった9月9日は重陽、または重九といって、めでたい日とされています。
中国では邪気を祓い、自分や家族の長寿や一家の繁栄を祈る日で、小高い丘に登り、菊の花びらの入った菊酒を飲む習慣があったそうです。

日本でも菊花の宴が宮中で採り入れられ、江戸時代には庶民も祝うようになったとか。
菊人形もこの行事の名残のようです。



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1918年(大正7年)、そんな重陽の節句に、高橋圭三は岩手県で生まれました。
サラリーマン生活を経験した後に、1942年、NHKアナウンサーに転身。

日本のテレビの元祖的バラエティ番組の多くに司会者として番組を盛り上げました。
「のど自慢」「ジェスチャー」「話の泉」「私の秘密」「私は誰でしょう」・・・

「私の秘密」は、解答者である塩月弥栄子、藤原洸、藤原あきなどの作家、文化人が、秘密を持つ登場する人物の特技や経験を当てるクイズ番組でした。

登場する人が特徴的な衣装の時には黒いマントを覆っていたり、名前が面白い人が出てきたり。
それを当てる解答者の苦戦ぶりが面白かったのですが、特に藤原洸が表情豊かに質問するのが良かったですね。

高橋圭三は、NHKを退職したあとは、TBS「日本レコード大賞」やフジテレビ「新春かくし芸大会」の司会をやっていました。

「どーも どーも 高橋圭三です」
こちらの番組のイメージの方が強い人が多いでしょうね。

「日本レコード大賞」は1969年から1983年、「かくし芸大会」は1965年から1985年まで司会を務めていたので、子供の時からいい歳になるまで、大晦日・正月と連夜、高橋圭三の顔を見ていたことになります。

NHK時代は同じくアナウンサーの宮田輝と同期でした。
テレビに出始めたのは高橋圭三で、宮田輝は主にラジオでした。

宮田輝は、テレビでは高橋圭三の後を受けた「のど自慢」や「紅白歌合戦」の名司会が忘れられません。
また、宮田輝自身が力を入れていた番組である「ふるさとの歌まつり」も、地方の郷土芸能を見せてくれて、素晴らしい番組でした。

二人は共に、参議院選挙に出馬し当選、国会議員となりました。

1990年、宮田輝逝去
2002年、高橋圭三逝去


かくし芸大会の映像でしょうか、高橋圭三司会のモンキーダンス大会のYOUTUBEがありました。
登場人物がすごい!
演奏が寺内タケシとブルージーンズ、ダンスをするのが、内田裕也、尾藤イサオ、谷啓、植木等、白木みのる、バーブ佐竹、世志凡太、青島幸男。

みんな衣装が今でも通用しそうにお洒落です。