【ジャンプ】

ジャンプの難しい順に並べると

① アクセル(8.2)
② ルッツ (6)
③ フリップ(5.5)
④ ループ (5)
⑤ サルコウ(4.5)
⑥ トゥループ(4)

(3回転の点数)

となる。

殆んどのジャンプは後ろ向きで踏み切ってとぶ。

アクセルだけが前足で
踏み切って空中に飛び出す。

「牧原さん。熱心に何を読んでいるの?」

呼ばれて、僕は読んでいたフィギュアスケートの本から顔を上げた。

栄養士のここなさんだ。

「フィギュアスケートの本をね。
ちょっと勉強中。

未央が得意なトリプルアクセルって一番難しいジャンプなんだ。

これより難しいジャンプは四回転になるんだね。」

「そうよ。女子で国際大会でこのジャンプが成功したのは、

1988年、伊藤みどり
1991年、ハーディング
2002年、中野由佳里
2002年、リディリナ
2004年、深田未央

の5人だけよ。

国内大会を含めてもこの5人の他に、

2005年、マイズナー
しかいないのよ。」

「へぇ。未央が軽々と飛ぶから、そんなに難しいイメージじゃなかったよ。」

「未央ちゃんは天才なんです!
3回転-3回転のセカンドジャンプに④ループも入れられるし。
セカンドに④ループを入れられるのは藤堂美紀と未央ちゃんぐらいよ。
韓国のキム・ヨンアは⑥トゥループのみだし。
もっとも、ヨンアはその⑥トゥループに磨きをかけてるみたいね。」

「へぇ。」

「藤堂美紀は2年前に、その④ループをセカンドに入れて世界女王になったのよ。
でも昨年はジャンプが不調だったわ。
エッジの矯正もあったみたいだけど…。
一度調子を崩すと、立て直すのにワンシーズンはかかるみたい。
今年は彼女調子が良ければいいんだけど。」

「じゃあ目下のライバルは藤堂美紀か。」


「そうねぇ。でも、未央ちゃんは
①トリプルアクセルに
3回転-3回転もセカンドは④ループ入れているわ。
今年もぶっちぎりで優勝間違いないわ。」

「確かにそうだね。今頃フランスで1位になって喜んでるかな?」

実際、未央の実力は世界一だ。

今未央はフランスにいる。
グランプリシリーズのエリック杯に出ている。

ここで優勝し、12日後のNHK杯でも優勝し、オリンピック優勝候補に名乗りを上げるつもりだ。


準備はしてきた。

ぶっちぎりで優勝間違いないだろう。

12日後のNHK杯が、疲れが出てないか心配ではあるが…

そこまで話をしていて、アシスタントの坂井勉が
慌てふためいてやってきた。

「牧原さん!大変です!」
「どうしたんだ?」


「未央さん、2位です!
ジャンプが、ジャンプが全部ダメだったと、さっき電話が…」

「そんな!」

ここなさんが青ざめた。

「坂井君!至急、フランスから送られてくる動画を解析室に!きっと渡辺さんメールに添付して送ってるはずだから!」

僕は坂井君に指示を出した。

「はい!」

何があった?未央?

「ここなさん、ジャンプの立て直しに
ワンシーズンかかるって言ってましたよね。」

「ええ。」

「でも、僕達は、10日ほどで何とかしなくてはいけません。次の試合までに!」

12日後のNHK杯までに、何とかしなくては。

ここで、オリンピックメダル争いから落ちるわけにはいかないんだ。


だけどその時、僕の耳元では

ジャンプの立て直しにはワンシーズンかかると言う。言葉が鳴り響いていた。


つづく

【グランプリシリーズ】

「なんだこれ…」

僕は、今シーズンの未央の試合スケジュールを見て呟いた。

「いくらなんでも、このスケジュールはキツいでしょ!?」

隣にいた、未央のマネージャー渡辺さんに言ってみる。

「仕方がないわ。そう上から(ISU)の命令だもの。」



11月14日~16日
フランスでのエリック杯(初戦)


11月28日~30日

日本でのNHK杯


いくら何でも、ISUがくじで決めたと言っても、次の試合まで12日間しかないのはあり得ない。

ISU(国際スケート連盟)が承認する国際大会の権威の高い順から言うと、

1オリンピック
2世界選手権
3欧州選手権と四大陸選手権
4グランプリファイナル
5グランプリシリーズ

だ。

4のグランプリファイナルに出場するには、

5のグランプリシリーズの上位6位が出場できる

グランプリシリーズは
アメリカ、カナダ、フランス、ロシア、中国、日本で開かれる。

今回未央は、フランス(エリック杯)と日本(NHK杯)に出場する。


これはISUがくじで決めたと言っても、腑に落ちない。

(来年のオリンピックシーズンも未央はこんな殺人的スケジュールで通知されるのだが。)

こんな殺人スケジュールは未央ぐらいだ。

「変更不可だなんで、ISUは未央を潰すつもりなのですか?疲労が溜まって怪我でもしたらどうするつもりですか?」


そうだ、最近男子の高梨大輔選手がトリプルアクセルの練習中に大ケガをしたと聞いたばかりなのだ。


「そうね、そう取れるわね。
でもほら見て。
未央は受け入れてるわ。」

カッカしている僕とは反対に、未央は黙々と練習をしている。

何度も何度も
リンクの上で、ジャンプの練習をしていた。


「抗議しようもないわ。
した所でくじ引きだから、運だとしか言われるのがオチだわ。
それに、抗議してISUに目を付けられる方が厄介よ。
未央も分かってるわ。

怪我をしない為にあなたがいるのよ。
トレーナーの牧原さん。」

僕は、唖然とした。

この時初めて
何と戦わなくてはいけないのか、ほんの少しだけ分かったような気がした。

つづく

【オーロラリンク】

未央の練習拠点は、ここ豊田市の中京大学にあるリンクだ。

2007年に完成し、国内初のフィギュアスケート専用リンク、
別名オーロラリンク。

最新設備が整う、世界屈指のリンクだ。

複数の動作解析カメラの設置。
世界各地にある競技場と同じ照明や、氷の温度等調整変更が出来る。

つまり、今シーズン初の
未央が出る試合はフランスで行われるが、
彼女はこの日本のリンクで
フランスにあるリンクと同じ感覚で練習する事が出来る。


そして今、帰国したばかりの彼女は、このオーロラリンクでフリーの演技を披露している。

「牧原さん、ナタリアがあなたに感謝していたわ。
シーズンオフの間に、未央はしっかりとした基礎体力が出来ているって。」

そう隣で、未央のマネージャーの渡辺美智子さんが話した。

「だから、このフリープログラムで新しい事が挑戦できると言っていたわ。」

「トリプルアクセルを2回飛ぶ事ですか?」

「もちろん、それもあるけど…ほら始まるわ。
最後のステップ。通常30秒だけど未央とナタリアは45秒に挑戦しているのよ。」


目の前で起きている事が信じられなかった。

天真爛漫の子供みたいな彼女が、音楽がかかると表情がキリリと変わる。

初めのトリプルアクセル。
なんて綺麗に優雅に飛ぶのだろう。

中盤のジャンプに片手を上げる。
これもまた優雅だ。

美しいポジションのスピンとスパイラル。

音楽と動きがあっている。

そして最後のステップ。

未央は休む暇もなく 怒濤のステップを踏む。

これが、ナタリア・ナリモア。
チャンピオンメーカーと呼ばれるロシアの女帝。


「すごい…」

僕は呟いた。

世界女王と呼ばれる未央の技術とナタリアの芸術性。

このプログラムを持って連覇を狙うのだ。

未央が一番になるに違いないと確信した。

だが、それは未央が何と立ち向かってきたのか、またこれからどう立ち向かうのか、全く気付きもしなかった僕の甘い認識だった。

つづく