「牧原さん、何してるの?」

トレーニングジムの一室でパソコンを睨んでいる僕に、栄養士のここなさんが声をかけてきた。

「未央のマネージャーから連絡があって、ロシアから日本に戻らずに、カナダへ行くみたいなんだ。
それで追加のトレーニングメニューを考案中。
ここなさんのその荷物、未央に?」

「そうよ、忙しい未央ちゃんに差し入れよ。
日本食とビタミン剤等々。カナダではアニーに振付けを頼むみたいね!
良かったわ。聞いたけど曲はもう決まってるみたい。知ってる?ドビュッシーの月の光よ。」

ドビュッシーの月の光。
フランスの作曲家ドビュッシーの月の光なんて、超有名じゃないか!

「知ってるよ。クラシックは好きなんだ。綺麗な曲だよね。彼女に似合いそうだ。」

「私はナタリアが創る、仮面舞踏会も楽しみよ。未央ちゃんのイメージを良い意味で壊してくれそうで。」

そうだ。未央は、天真爛漫で、少女というか子供みたいだ。

ジャンプも軽くフアッと飛ぶから、本物のバレリーナみたい。

だから、綺麗なメロディーの月の光は彼女にピッタリだ。

仮面舞踏会は難しすぎる。
果たして彼女に会うのだろうか?

そんな僕の不安はよそに、しばらくして未央は帰ってきた。

つづく

彼女の練習風景を見てある事に気が付いた。

ジャンプをする時 踏み切りは右足。
着氷も右足だった。

常に右足ばかりである。
これは、右足にかなり負担がかかっているのでは?

腰痛持ちだと言っていたが、バランスが悪いのかもしれない。

使わない左足を右足と同じぐらいにトレーニングしてみよう。

早速陸上では、左足を強化した。

すると、数ヶ月して腰痛が無くなった。

思った通りだった。

その他氷の上で滑るのだから、バランス感覚を鍛える為のトレーニング。

約4分間のフリーを滑り切るのは1000メートル走並みの体力が必要だ。

美しいポジョン保持の為、しなやかな筋肉。

それらを強化する為の
ありとあらゆるメニューを取り入れた。

それと気分転換に
バドミントンも入れる事にした。

なんと言ってもまだ17歳なのだから。

そうしている内に、フィギュアスケートのシーズンが近づいてきた。

未央は振付けにロシアへ行くという。

ロシア滞在でも、つまりホテルやトレーニングマシンがない所でも出来るメニューを考えて渡した。

未央は「必ず、牧原さんが考えてくれたメニューします!」と元気よく笑顔で日本を旅立った。

ケガにはくれぐれも注意するよう言って送り出した。

ロシアはいったいどんな所だろう?

数日後。

「牧原君、ナタリア・ナリモア知らないの?」

そう言ってきたのは
未央専属の栄養士
上村ここなさんだ。


僕と同じ会社から
深田未央をサポートする為に送られている。

「うん。未央のコーチで振付師。ロシア人で、その彼女の所に未央が行ってるとうことなら知ってるけど…。」

「やれやれ、フィギュアスケートの世界では
東のナタリア
西のアニー
と言ってこの2人が振付師の中で実力者なのよ。
選手にとっては振付けを依頼したくて殺到するぐらいよ。
ナタリアなんてチャンピオンメーカーと言われるぐらい、数々のオリンピックチャンピオンを生み出したわ。だから彼女は金を取れる実力者しか見ないそうよ。」

「へぇ。凄いなぁ。」

「未央は現に昨年、ショートプログラムはナタリア。フリープログラムはアニーが作り、それを持って世界女王になったのよ。」

僕はどうもピンと来なかった。
いつも笑顔で、無邪気な彼女が、そんなに凄いとは思えなかったのだ。

ただ、ここなさんの話を聞いて、未央が戻ってくるのが楽しみになった。

偉大なナタリアの振付け。
誰よりも先に見れる事に。

その日の夜。
ロシアにいる未央から 電話があった。

ロシアでは、ロシアの代表選手しか使用されない合宿所を特別に使用させてもらっているらしい。

食事もロシアの家庭料理は美味しいと言っていた。

ナタリア先生が知り合いのバレエ教師を招き、バレエの練習もしているそうだ。
未央はナタリア先生に気に入られているようだ。

未央から聞いたが、
フリーの曲は
ロシアの偉大な作曲家、ハチャトリアンの
仮面舞踏会

ロシアの劇音楽だ。

この音楽を理解する為
ナタリアは未央に
ロシアの古い映画をみせたそうだ。

仮面舞踏会~マスカレード~
簡単に言えば、
19世紀のロシア帝国。 嫉妬に狂った夫が、妻を毒殺する。
その後、妻の潔白を知り夫は気が狂うと言う話だ。

その妻が、まるでワルツを踊るように、毒によって苦しみ死んでゆく時に、
流れる曲。

そんな曲を、嫉妬や愛憎、狂気なんて感情と程遠い、あの天真爛漫な、17歳の未央が理解し演じ踊りきれるのだろうか?!

なんてリスキーな曲を選ぶのだろう。


つづく
はじめに

この物語は フィクションであり 筆者の空想で綴られています。

あしからずご了承くださいませ。


~プロローグ 出会い~

「牧原さん。今度の担当は深田未央さんよ。フィギュアスケートの世界チャンピオン、凄いじゃない。」

そう僕に主任が告げた。

僕の名前は 牧原真司
33歳 独身である。
仕事はトレーナー。
その為にアメリカでも学んだ。
今回、世界一のアスリートのトレーナーに決まり、嬉しい反面、緊張もしている。
フィギュアスケートで世界一か。 まだ、17歳。どんな子だろう?


アスリートに必要なトレーニングを行い、しっかりとした筋肉や体力を付ける事、これだけを行えばいいと思っていた。

この時の僕は、世界を相手に闘う本当の意味を分かってはいなかった。



「はじめまして!深田未央です!」


彼女と初めて会ったときの印象は 元気で明るく、活発なお嬢さんといった感じだった。

世界一だというのに、気取らない。

この子が、そんなに強いと、どうしても思えなかった。
事実、体力測定を行ったが、普通だったので驚いた。女子高生と同じレベルだ。


どこをどう強化してゆこう。

ジャンプをする為のバネ。しかし、ただただ筋肉を付ければ良い訳じゃない。

空中で何回転も飛ぶ軽やかさ。
片足を反り返ってあげる柔軟さ。
それらを休むことなく、滑り続ける体力。


他にも、ジャンプのタイミング
集中力、精神力
音楽に乗せて踊るリズム感表情、演技。

まずは、自分が出来る事

それを調べよう。

その為に彼女の普段の練習を見学した。

つづく