稲荷山の7神蹟を巡るシリーズの続きです。
前回は、稲荷山の頂上からのレポートでした。
今回は、頂上から下り四ツ辻を目指します。
山頂の一ノ峰から下り、中社神蹟(二ノ峰)に到着しました。
中社神蹟は、稲荷山の二ノ峰に位置する7神蹟のひとつです。
この中社神蹟も、他の神蹟同様に親塚を中心としてお塚群が形成されています。
中社神蹟には、青木大神が祀られています。
青木大神は佐田彦大神のことです。
佐田彦大神は、伏見稲荷大社で祀られる稲荷三神(上社・中社・下社の神の総称)の一柱であり、主祭神のウカノミタマの配神となっています。
記紀神話に登場する猿田彦神(サルタヒコ)の別名とする説があります。
佐田彦大神が別名とされる猿田彦大神(サルタヒコ)は日本神話に出てくる重要な神様で、謎の多い神様です。
猿田彦は日本書紀の記述によると、天狗と同じように眼が爛々と赤く光る大きな目をしています。
神話の中で猿田彦(サルタヒコ)が出てくるのは、天孫降臨という場面です。
ニニギノミコト一行が、天界から下るとき、地上界との境界で待っていた見慣れぬ神様が、猿田彦です。
その後、猿田彦は道案内役となり、一行を筑紫日向高千穗の峰(鹿児島県の霧島山や宮崎の高千穂等諸説ある)」に連れていきます。
猿田彦はこの場面から、導く神様として祀られるようになります。
中社神蹟の親塚です。
『稲荷中社神蹟』と刻した大きな“お塚”一基が立っています。
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鞍馬大僧正・末繁大明神、割竹・巖嶋、三輪大神 外10柱などがあります。
中には倒壊しているお塚もあります。
稲荷山のお塚は古いものだと明治・大正、新しいものでも大抵は昭和に建立されています。
お塚を建立した人やその身内はもう存命ではなかったり或いは高齢だったりして、また、親族はお塚が建立されていたことも知らないというパターンもあるように思います。
二ノ峰と三ノ峰の間には、間ノ峰(あいのみね)があります。
間ノ峰には、7神蹟のひとつである荷田社神蹟が祀られています。
荷田社神蹟に祀られるのは伊勢大神です。
伊勢大神といえば、連想されるのは伊勢神宮の天照大御神や豊受大御神ですが、何か関係があるのでしょうか。
伏見稲荷大社の創建には秦氏系列と荷田氏系列があります。
本殿の横にある東丸神社境内の荷田社や稲荷山入口近くにある伏見稲荷大社末社の荷田社は、荷田氏の先祖を祀っています。
7神蹟のひとつであり、同じく荷田の名前の荷田社神蹟に祀られているのが、伊勢大神というのもちょっと不思議な感じがします。
荷田社神蹟を参拝し、四ツ辻を目指し、更に下っていきます。
今回、中社神蹟と荷田社神蹟を訪れたので、7神蹟のうち残りはひとつとなりました。
7神蹟制覇まであともう一息です。
次回で、7神蹟巡りも終わりかと思うと、ちょっと寂しくも感じます。
それでは、また・・・。
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