長野にある善光寺をレポートするシリーズの続きです。
前回は、仲見世通りからちょっと外れて、宿坊を取りあげました。
今回は、仲見世通り中央西側にある延命地蔵尊からスタートです。
善光寺本堂は、「如来堂」と呼ばれ、皇極天皇3年(644年)の創建から元禄13年(1700年)までは、この延命地蔵尊がある場所に建っていました。
現在の本堂が建立された後、正徳2年(1712)に、延命地蔵尊が造立されました。
しかし、弘化4年(1847)の善光寺大地震により倒壊し、現在の延命地蔵は終戦後に再興されたものです。
本堂が、現在の場所に移った理由は、火災類焼を避けるためです。
このまま真っすぐ仲見世通りを進めば、善光寺山門に到着します。
ここで、また寄り道して山門の向かって右側にある寛慶寺を訪れてみました。
門を入ると、瓦屋根の大きな本堂がみえてきます。
寛慶寺は、善光寺東門にも隣接している山内寺院で、浄土宗(鎮西派)に属し、知恩院を総本山としています。
正式名称は、寿福山無量院寛慶寺で、。本尊は阿弥陀如来です。
この寺院は、木造金剛力士像と木造百万塔の二つの市指定有形文化財を有しています。
寛慶寺には、大きな本堂の他に、よく整備されている庭園があります。
善光寺には、たくさんの観光客が訪れていますが、こちらは訪れる人は少なく、静かな佇まいをしていました。
本堂前横には、白石を敷き詰めた枯山水の庭もあります。善光寺の山門や本堂の屋根を観ることができます。
善光寺の喧騒が嘘のような静けさの中で、心穏やかに庭園を観賞することができます。
これは、善光寺大勧進から移築した表門です。
この門は善光寺大地震でも焼けず、明治24年(1891年)の大火でこの門も焼けかかりましたが、彫刻の獅子が霧を吹いて消し止めたと伝わるので、その獅子を霧吹きの獅子といいます。
再び仲見世通りに戻り山門を目指すと、入り口に小さな石橋がありました。
この橋は、「駒返り橋」と言われ、石橋の左端の左隅に穴が開いています。
建久8年(1197年)、源頼朝が善光寺を参拝した際に、この穴に馬の蹄がはさまってしまい、駒を返したところだと言われています。
この穴を馬蹄の凹みと言っています。
頼朝は、火災で焼失した本堂の再建を行うなど、善光寺に深い信仰をよせていました。
ここまで寄り道をしながら来ましたが、ようやく善光寺の山門の写真を撮ることができました。
次回は、山門を潜ることになると思います。
それでは、また・・・。
ランキングに参加しています。
応援のポチッを頂けたら幸いです。
神社・お寺巡りランキング
ドールランキング