私は2023年7月5日(水)にきらめき病院で腹腔鏡下大腸ガン切除手術を受けました。

同年6月にS状結腸ガンが発見された時点でStage IVでした。

 

今朝(2024年5月11日)、笠井信輔さんの『がんがつなぐ足し算の縁』という本をこのブログで紹介しました。

 

その記事の中で、血液のガンは抗がん剤で寛解することはあるけれど、固形ガンは手術で切除できない限り原則として根治できない。抗がん剤でガンが消える可能性はほとんど無いと私が担当医から言われたことを書きました。

 

私はStage IVのガンになってから「Stave IVでも諦めない」という言葉をよく目にしますが、この場合の「諦めない」は「根治を諦めない」という意味だと思います。

 

でも、「根治を諦めない」ことは、各患者さんの病状によりプラスにもマイナスにもなると思います。現実を「受容」する方が安らかでいられる場合もあるからです。

 

私は肺、肝臓、リンパ節に大腸ガンがたくさん転移していて、大腸ガンは切除したものの、肺にはあばたのように細かくバラバラと転移しているので、切除不可能です。それで抗がん剤でガンが大きくならないようにして、予後を改善している状況です。

 

担当医から「抗がん剤でガンが消える確率は1%ぐらいしかない」と現実を突きつけられています。そのときの記事はこちら

 

そういう患者は、「ガンが治った」とか「寛解した」と聞いても、自分もそうなれるとは思えません。「あなたの場合はそうかもしれないけど、私は病状が違うから」としか思えず、むしろ辛い気持ちになります。

 

私の母は40歳のとき親しい同級生を子宮がんで亡くしました。

母はその親友を思い、毎年命日に彼女のご実家を訪れてお仏壇を拝んでいました。でも、3回目ぐらいのとき、その親友のお母様から「そんなに来てくれると、敦子(亡くなった親友の名前です)に(天国に)呼ばれますよ」と言われてショックを受けたそうです。そして、二度とそのお宅には行かなくなりました。

 

母いわく、「娘の同級生が元気でいることが、娘を失ったお母様は辛くて妬ましいんだと思う。」

 

その時の私はまだ高校生だったので、「そんなものかな」ぐらいにしか思いませんでした。

 

でも、後年父を亡くした後、父と同じ年齢かそれ以上の年齢の人に偶然出会うと「この人は元気なのに、どうしてパパは死んじゃったんだろう」と思うことがあります。

 

妬みというほど強い感情ではなく、寂しさでしょうか。

 

私が妬みに近い感情を感じたのは、ある日のきらめき病院の待合室でのことでした。

次に自分が呼ばれることがわかっていて、門松先生の診察室の前のイスに座っていると、先生が診察室で患者さんに話している声が断片的に聞こえました。それは、「CVポート設置の手術をするとき見学者に見せたくなければその旨対応します」的な内容でした。

 

私は初めて化学療法室で抗がん剤を入れるとき「CVポートを右胸に埋め込む手術のときはたくさん見学者が入るけど、きらめき病院は教育病院でもあるから仕方ないの」とごま塩看護師に言われて、怖くて呼吸困難になりそうでした。たくさん見学者に見られながら局所麻酔で意識がある状態で胸元を切られるなんて絶対に嫌だと思って泣きました。門松先生にさりげなく「見学者が入るなんて知りたくなかった」と言っても、先生は何が障害になってCVポート設置手術を受けたくないのかわかりませんでした。さらに3週間泣き暮らした後、意を決して門松先生に「見学者を入れないで門松先生が手術してください。たくさんの見学者に見られながら胸元を手術されたらメンタルやられて立ち直れなくなるから」と言ったら、先生はやっと「見学者が入るのがそんなに嫌なんだ」と分かったようでした。

 

通院(2023年9月11日) CVポートの手術を門松先生にお願いする

 

それで、私の次の患者さんに「見せたくなかったら」云々と言ってあげているわけです。

 

先生が私を通して経験したことが次の患者さんに生かされていると思うと、一瞬嬉しく思いました。グッ

 

でも、次に来た感情は妬みに近いものです。プンプン

 

ララ心の声:私はあんなに何週間も悩んで泣いてえーんやっと門松先生に「見学者を入れないで」と伝えて希望を実現したのに、次の患者さんは何の苦労もなく先生から「見学者が嫌だったら入れないようにしますよ」と言ってもらえるなんて、不公平じゃない。どうして、私より先に私みたいに「見学者を入れないで」と主張して先生を啓蒙してくれる患者さんがいなかったのかしら。どうして、私が心を血みどろにしてやっと手に入れたことを、私の後から来る患者さんたちは何の苦労もなく易々と手に入れられるの?ショボーン

 

私は長年外資系企業に勤務して、自分の給料は自分で上司や人事に交渉して昇給してもらってきました。中には1人だけ昇給するのは不公平だと考えて、私の同僚たちも全員昇給した人事スタッフもいました。私は交渉するという努力の結果昇給を獲得しています。交渉することで嫌われたり首になったりするリスクだって無いと言えない。そのリスクを取って交渉して獲得したものを、何の努力もしない人にまで与えることこそ、不公平だと思います。でも、同僚が昇給しても私の給料が減るわけじゃないから、みんながハッピーになっていいや、と当時は寛大に考えてきました。

 

でも、ガンになってその寛大さが失われた気がします。心が狭くなったのかしら。

 

どうして私は門松先生がもっと啓蒙されてから出会えなかったのかしら。

 

私によって啓蒙された門松先生を担当医にする患者さんは濡れ手に泡だよね。

 

そこから拡大して、現在使われている抗がん剤や分子標的薬が認可される前にガンで亡くなった患者さんたちはどんなにくやしい思いだろうと考えます。ショボーン

 

もっと遅くガンになっていたら今ある薬を使って助かったかもしれないのに。

 

ガンで亡くなった患者さんたちのデータがあってこそ、今の薬も開発できたはず。だから、今ガン治療をしている私たちにとっては、先にガンで亡くなった患者さんたちには感謝しかありません。

 

「ガンが治った」という体験談は、多くの人の励みになると同時に、一部のガン患者やその家族の心を傷つけることもあることを、わかって欲しいです。

 

そして、笠井さんが言う通り、各患者が我慢せずに嫌なことは嫌だとドクターや看護師に言葉で伝えて欲しいです。それによって、医療従事者に気づきを与え、臨床の現場がもっと患者に優しくなるはずだから。患者全員が声を上げる役割を担っている当事者だという自覚を持てたら、「嫌なことを嫌ということは我がままでなく、患者全員のためになる」と思える気がします。キラキラ