先日、死生観というものをマジメに考えてみました。
その考え方自体は知っていましたが、改めて感じたのは、
「いつ死ぬか分からない。やりたいことをやっておかないと、死ぬときに絶対に後悔する」
ということでした。
当たり前のことかもしれませんが、人はどこかで、自分は明日も普通に生きている、と思っています。
でも、そんな保証はどこにもない。
また、たとえ予定どおりに生きられても、「まだ大丈夫、いつかやろう」と思っていると、
あっという間に時間が過ぎ、臨終のときになって後悔する、ということになります。
それを細かく分割していくと、毎日にも当てはめることができます。
今日が終わるとき、どんな気持ちでいたいか?
後悔したくないと思ったら、今日一日をどう過ごすかが、見えてきます。
誰だって、後悔はしたくないはずです。
たとえそれが今日一日でも。
チャレンジして失敗しても、それは後悔にはなりません。
チャレンジするということは戦うことで、戦った先には、勝ちか負けがある。
勝っても負けても、得るものは必ずあります。
でも戦わなければ、得るものは何もありません。
負けることもないかもしれませんが、勝つこともない。
戦わない人に、戦って負けた人を批判する権利はありません。
チャレンジする度胸もないのに、負けて這い上がる覚悟も度胸もないのに、
人の批判したりバカにしたりするのは、この上なくカッコ悪いことです。
一度きりの人生を最高のものにするために、今日をどんなふうに過ごすか。
会社で浮いた存在になろうが、恥をかこうが、バカにされようが、
そんなことより、自分がどう生きて、どう死にたいか。
そっちのほうが、はるかに重要で、スケールがでかい話です。
そして、これからの時代を生き抜いていけるのは、
そういった考え方ができる人です。
今勤めている会社が、3年後も健在していると言える保証は、どこにもありません。
今の時代、会社が潰れるなんて珍しいことでもなんでもない。
そうなったとき、会社と心中したくないなら、死生観でものを考え、
自分の人生をどう生きるかを考えて行動する必要があります。
守りたいものがあるなら、なおさらです。
大成功までいかなくても、生き残るためには歯車のひとつじゃいけない。
ちっぽけな悩みに時間を使うのを止めて、もっと広い視点で今を見て、全力で生きてください。
自分を幸せにするために、後悔しないために、大切な人を守るために。