メッセージ、コメント、いつも大切に読ませていただいています。ありがとうございます。お返事が滞っていますが、今回のナムジュンのアルバムについての思いの丈(ってほどのものではありませんがww)を書いてから落ち着いてお返事を書かせていただきたいと思います。

 

というのもこのアルバム、私はindigoより好きです。ジミンとの対談でナムジュン自身も、indigoはBTSの一員として経験したことを主にカタチにしたもので、リリース後も不完全燃焼だったというようなことを言っていましたが、ファン側の私自身も同じように感じていたのだと思います。

 

Right Place, Wrong Personというタイトルを見た時、ああナムジュンはこんな風に感じながらBTSの「音楽外活動」に耐えてたんだなと改めて思いました。LOST! はそれをわかりやすく表現したMVになっていますが、社会人になるって、一般にまあ大体そういうことですよね。ナムジュンのように国連で演説させられたりというようなことは少ないとは思いますが、自分ばかりを代表してはいられない立場になって、場違いだなあ、なんて思いながら割り当てられた仕事をこなして、なんか違うんだよなあ、なんて思いながら日々を過ごす。

 

今「場違い」とさらっと書いて思ったのですが、right place, wrong person を日本語に訳すとしたら、まさに「場違い」ってことですね。

 

でも場違いな自分とも折り合いをつけて生きていくのが「大人になる」ってことなわけで。

 

確か、Around the world in a dayでナムジュンもoutgrownという言葉を使っていましたが、right or wrongにこだわる時期は卒業した、という思いもまたナムジュンの中にあるのでしょう。対談でも「これを乗り越えた君は今より美しいはずだ」と未来の自分にエールを送っていましたね。

 

翻って「まちがいさがし」という歌がありますね。

 

 

最初聞いた時は、なんとも思わなかったというか、こんな風に思える相手に出会えたら幸せだよね、ぐらいにしか思っていなかったのですが、渡米してしばらくしてから、この歌詞が妙に気になり始めたんです。

 

まちがいさがしの間違いの方に 生まれてきたような気でいたけど まちがいさがしの正解の方じゃ きっと出会えなかったと思う

 

なんでこんなに卑屈なんだろう、と。アメリカ人の基本的な態度に、「自分こそが『まちがいさがし』の正しい側だ」と感じさせる何かがあるからだとは思うのですが。でも実際そう考えてもいいわけですよね。まちがいさがしのどちらが「間違いの方」かなんてそれぞれが好きなように選べばいいわけで。言うまでもなく、正しいか間違っているかというのは「相対的」なわけです。

 

間違いが正解になる文脈もあるし、逆も然り。

 

小児虐待や殺人のような絶対悪もあるかもしれないけれど、それだって動機を知ると「情状酌量」という解釈が出てきたりもするし、昨年は某事務所のアイドルたちへの「虐待」の捉え方が被害者の間でもさまざまだという衝撃を受けましたよね。

 

ついでに言うなら最近?映画化されたらしい朝井氏の「正欲」も、「(性欲とは)こうあるべき」という既存概念とそれに伴う「普通」という意識に異を唱える意図も込められた小説のように感じましたが。

 

実際、「まちがいさがし」の歌詞も最終的には下記の展開に落ち着きます。

 

君の手が触れていた 指を重ね合わせ 間違いか正解かだなんてどうでもよかった 瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で 君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ

 

いつもながらTMIで申し訳ないのですが、何年も前に彼に告白されたとき、私は最寄り駅の前で、耳をすませばのラストシーンさながらに抱きしめられながら「なんか違うんだよなあ」と思ったことをぼんやりと覚えています。文学作品の話をしても、イマイチ噛み合わないような気がして、試験の話をしても、なんでそういう言い方をするんだろう、と思ったりして。「試験の悪口は受かってから言うんだよ」なんてたしなめたりして、彼の転職口の探し方についても、なんだかなあ、と感じた自分の狭い心を覚えています。

 

数年経って、私は彼の想いを無下にしたことをひどく後悔しました。彼の誠実さが、希にしか出会えないものだと気づいたからです。なんであんなどうでもいいような「正解」にこだわってしまったんだろう、と嘆きました。夢半ばの自分に厳しくありたいと願うあまり、彼自身にも同じような厳しさを求めてしまったことを悔いたわけです。間違っていたのは自分だったと何度も思いました。

 

それからさらに数年経って、彼から一通のメッセージが届き、私は夢が叶ったことを告げました。彼もその後試験に受かり、海を渡って2度ほど転職したようでした。再会した時、彼はいろんなことをよく覚えていました。偶然立ち寄った本屋で、ページを捲りながら彼は、「僕がこの本について話したとき、らじこは納得してなかったね」と言いました。私は驚くと共に申し訳ない気持ちになりましたが、彼は懐かしそうに笑ってその本を購入しました。

 

一週間後の別れ際、彼は私にその本をくれました。最後のページにメッセージが添えられていて、「僕が頑張れたのは君が頑張っていたからだ」という一文を見た瞬間、私は泣き崩れました。

 

何年も悔いていた自分の「間違い」が「正解」に塗り替えられたように感じたからです。

 

今、私は人生で初めて、間違いか正解かなんてどうでもいいと思えています。彼に変わってほしいとも思わないし、彼のために変わらなければならないとも思わない。

 

それはすなわち、自分が生きる世界に変化を求めたり、世界のために自分が変わらなければならないと考える必要は、必ずしもないのだという思いに繋がっています。もちろん、少しでもより良い世界を次世代に残すために我々はこの限られた人生を生きているわけですが、求めるばかりではなく、今あるものをそのままの姿で愛してもいいんだということに、ようやく気づけたんだと思います。

 

ナムジュンが書きたいことを書き散らしたというこの楽曲も、彼がありのままの自分とありのままの世界を愛そうとしている軌跡に感じられるのは私だけでしょうか。

 

 

世の中にはマジで配慮に欠ける奴らが多い

俺のことはほっといてくれ

世界は馬鹿な奴らで溢れている

ぶつかりそうになったら 俺はさらにアクセルを踏むだけ

全部ぶっ壊すだけだ

Every time you know I fuck it up

 

I see what I see (Me)
I be what I be (Me)
I'll set you free

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡