今日早く帰れたらコメント、メッセージにお返事しようと思っていたのですが、疲れ切ってパソコンの前で寝てしまう事態なので、軽く書けることだけ書こうと思います。お返事が相変わらず遅くてごめんなさい。コメント、メッセージはいずれも大切に拝読しています。

 

Never Let Go を聞いて思ったこと。

 

BTSとそのファンの関係が素敵なのって、やっぱり両想いだからなんじゃないかと改めて思いました。

 

Oh, every day, I wonder if this all is just a dream
Everything falls into place 'cause you're right here with me

ああ、毎日夢なんじゃないかって思う

全てがしっくりくるんだ 君が隣にいるから

 

ファンのためにこういうプレゼントを前もって準備するって、すごく深い愛情を感じますよね。まぁこれも仕事・営業のうちと言ってしまえばそれまでなんでしょうけれど。

 

でも両想いじゃないと、こういうプレゼントって少し重い感じがするというか。

 

この前の記事で少しだけ発言を引用した医学部時代の友人に、結婚の決め手を聞いた時に「親並みに大切にしてくれたから」と言っていたんです。他の友人にも同じような質問をしているはずなんですが、回答の内容をあんまり覚えてなくて。

 

この発言の何が興味深いかというと、まず我々は大体の場合、親から「愛情」の定義を引き継ぐわけですよね。要するに、何らかの事情がない限り、我々を最初に愛してくれるのは親なわけで、その後いろんな出会いを経て「愛情」の意味合いが塗り替えられて行くにしても、ベースは親の愛情であるはず。

 

それで、我々は自分自身が愛情を注ぐ側になる時にも、「自分が知ってる形の愛情」を注ぐわけですよね。それを重い・too much と感じる相手もいるかもしれない。あるいは逆に、愛情が足りないと感じる人もいるかもしれない。

 

だから、「親並みに」大切にしてくれる人という表現は、その人と愛情の定義がある程度合致していることを意味するとも考えられるわけで。

 

「両想い」というのはいろんな形があると思うし、私自身も今まで何度もこれは両想いなんじゃないかと思って付き合った相手はいましたが、振り返ってみれば「愛情」の定義が噛み合っていなかったんでしょうね。それかタイミングの問題で一方が、あるいはお互いに愛情を注ぎきれなかったか。

 

前述の友人は本当に素敵な人で、同期として出会えたこともラッキーだったと思うし、学生時代の私は、彼女の彼氏が彼女と結婚する姿を想像するだけで若干の羨ましさを抱くぐらいだったのですが、研修が終わる頃に彼はあっけなく彼女を振ってしまいました。

 

その彼との関係を振り返って彼女は、本当はいつも不安だったんだと思うと言いますが、付き合っている当時も、彼の家族がいかに自分の家族と異なるかということについて私によく話してきたことを思い出します。別れから1年後に出会った現在のご主人とは半年で結婚が決まりました。

 

翻って、私がようやくグクの置きみやげに耳を傾けていた頃、哲郎から、私からの宅配物が届いたという連絡がありました。薄暗い玄関の脇に小包が放置してある写真が送られてきているのを見て、相変わらず独特なセンスだと思ったのですが(私はこういう場合、小包を開けて中身を写真に撮ってお礼メッセージに添付します)、彼の発言を辿るに、一日働いてマンションにようやく帰り着いて、遠くにいる誰かから小包が届いているというその光景そのものが嬉しかったのだろうと思いました。

 

グクからのプレゼントも全く同じで。サビの繰り返しが多くても多くなくても、置きみやげを準備してくれた気持ちそのものが嬉しいんですよね。中身・クオレティーは二の次というか。(もちろんグクの曲をディスってるわけではないです。)

 

でもそういう気持ちになるのはすでに相思相愛だから。

 

次に逢える約束の日だけでいい あなたの隣で素直に笑いたい 二人の夢は秘密だと言える事だけで あたしは生きて来たの

 

 

最後までお付き合いくださってありがとうございました♡