空手少年K 北タイを行く。主役変更。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。

空手少年リンタロウのムエタイチャレンジは終わった。


結果は1勝1敗1KO勝ち。


滞在2週間で2戦。


彼は、今や修羅の国の立派なプロ選手である。


「体軸と心」 課題は見えた。答えも見えている。後は、どうにでもなれ、と一歩踏み出すだけ。


そして、もう一人、自分が期待している少年がいる。


彼は、小学6年生。

最初に会ったのは、彼が小学1年生の時だ。


空手少年K。


小学1年生の時は、タイ🇹🇭最北端の街メーサイから歩いて国境を渡って、ミャンマー🇲🇲タチレクと言う街に行った。


彼は、ブランコをしていて、水溜りにハマって泥々になり、観光で来ていたタイ人のおばさん達に、ストリートチルドレンと間違われてお金を恵んでもらっていた。


4年生の時、K君は、日本🇯🇵の小学校で、教室に馴染めず、授業を出ずにウロウロしていた。


そして、それを聞いた自分に小学校にいきなり来られ、プロレス技エアプレインスピンでふりまわされた。


そして、その冬、タイ🇹🇭の山岳地帯、かつて、『地球の歩き方』と言うガイドブックで、秘境として紹介された所にある山岳少数民族の村に彼は、放置された。


昨年は、チェンマイのセレブの集まるカフェで、落ち着きなく騒いでいた時に、自分に、お前ら、日本人として恥ずかしいんじゃ、と、頭を鷲掴みされ、怒られた。


この子に、自分は期待している。

大物になる、と。


しかりがいのある子。打てば響く子である、と。


空手少年Kは、4年生の時、山で放置された時、山岳少数民族の村で知り合った女の子と今も友達である。


会長の親戚でもあるその子とは、その後、空手少年K君が、チェンマイに来る度に一緒に遊びに連れて行った。


その女の子の家庭環境は、少々複雑である。


父親とは、生まれてから、iPadで話した事はあっても、実際に会った事はない。


その子の下には、父親の違う弟、妹がいる。

母親は、出稼ぎでタイにいない事も多々ある。


家は、母親の男関係からか、しょっちゅう引越し、その為、学校も転校に次ぐ転校で、友達が出来ても直ぐに別れが来る。


下の弟、妹の父親は、それぞれ行方不明に麻薬中毒者。麻薬中毒の方は、各地で暴れて警察に捕まり現在、病院送りである。


その子は、アンダーグラウンドの仕事をしているシンガポール人の父親からの送金で、母親が騙されてイギリス🇬🇧に出稼ぎに行っている間、半年程、自分達の所からチェンマイのインターナショナルスクールに通っていた。


それも今は、父親と音信不通になり送金が無くなった為、インターナショナルスクールに行けなくなった。


それで、その子のおばあちゃんに引き取られ、山岳少数民族の村に住んで、山岳少数民族の村のある山から麓の学校に乗り合いバスで1時間近くかけて通っている。


空手少年Kが、家族で8月にチェンマイに来る事を知ったその子は、ビデオメッセージで、空手少年Kに、

「K、会いたいな。チェンマイに来る時に、日本🇯🇵の美味しいお菓子をいっぱい持って来てね。」と言った。


空手少年Kも、

「チェンマイに行く時は、美味しいお菓子、沢山持って行くからな!」と応じた。


これが大人だったら、この女の子の、会いたいな、と言う言葉には、少し注意が必要かも知れない。

でも、この女の子は、小学校5年生。大人のような下心はない。


空手少年Kのお父さんは、先の空手少年リンタロウの師匠でもある。


空手少年リンタロウの試合が終わってから、息子である空手少年Kも自分に託された。


空手少年Kは、その女の子との約束通り、お見上げを沢山持って来ていた。


会長に渡して、会長が田舎に行く時に、その女の子に渡してもらう、と言う方法もあるだろうが、それより、約束したのは、本人だから、本人が直接、手渡す方が良いだろう、と、自分は考えた。


空手少年は、小さくとも日本🇯🇵男児。


日本男児は、男として一度した約束は守る、と言う事を、周りにろくでもない大人が多くいるその子に見せたい。


かくして、空手少年Kの北タイの旅が始まった。


当初は、リンタロウも連れて行く予定だったが、リンタロウは体調不良と言う事で、チェンマイに止まった。


空手少年修行の旅の主人公が変わった。


空手少年K北タイを行く、が、始まった。