癒しの空間としてのカフェ。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



タイ🇹🇭チェンマイは、今や『カフェ天国』と言われる位カフェがあります。


そんな中、自分の好きなカフェは、どちらかというと街の中にあるカフェより郊外のカフェです。


ところで、皆さんが、カフェに求められているのは何ですか?


色んな意見、考えがあると思います。


自分の場合は、コーヒー☕️の味と言うのが一番ですが、それ以外の重要な要素は、癒しの空間であるかどうかです。


街の中のカフェは、どうしても土地代、賃貸料が高くなる為、どうしても、カフェの規模が小さいものになります。


それでも、庭を工夫したり、内装にコンセプトを持たせて、癒しの空間を作られているカフェもあります。


でも、それは、別にタイ🇹🇭チェンマイでなくても、東京や大阪などの大都会でも味わえるのではないでしょうか。


チェンマイの街の中のカフェを批判しているわけではなく、チェンマイに来てからカフェ好きになった一人の男の意見として、聞き流してもらえたら、と思います。


チェンマイ郊外には、チェンマイの街の中より、遥かに規模の大きな、自然を取り込んだ空間を作っているカフェが点在しています。


街のカフェは、隣の家、建物とコンクリートの塀で隔てられ、その中で空間を演出されている。


それは、それで、塀の外と全く違う空間がそこにあって面白いのですが、何か自分には物足りなく感じます。


その感じは、タイでステイタスとされているムーバーンと言う高い塀で囲まれた人工のゲートタウンにも感じています。


ゲートタウンの塀の中と外では全く違う空間、雰囲気になり、タウン内は、確かにセキュリティ面では安全なのですが、自分にしてみたら、そのゲートタウンに住むのも、日本の新興住宅地に住むのもあまり変わらないように感じるのです。


ゲートタウンの話から、ちょっと飛躍しますが、高い塀で囲まれた街は、何も住む場所だけでなく、SNSの世界や人間の心の世界にも広がっているような氣がします。


何が言いたいか、と言うと。


気の合う、と言う塀を持ったグループを形成して、いつの間にか、異質のものを排除している世界、そう言う心の持ちようになってないか、と言う事です。


日本と言うゲートタウン、仲間と言うゲートタウン。

様々な分野でそれが作られてないでしょうか。


そこが居心地が良いんだよ、と言われる方もいるでしょう。


が、それは、『自然』からは離れた人工物、リアルではなく、あくまでバーチャルな世界なのです。


チェンマイでも、カフェの空間演出として、バーチャルなものがモダンであるとされ、そのようなカフェが増えて来ています。


でも、チェンマイには、チェンマイらしさ、と言うのがあるはずです。


それを捨てて、チェンマイでなくても、どこにでもあるような空間を作ってしまっては勿体ないな、と感じています。


チェンマイは、元々、タイ語ではなく、チェンマイ語の世界でした。


タイ語の挨拶言葉は、「サワディ」ですが、チェンマイ語の挨拶言葉は、


「タン カオ ルー ヤン?」


意味は、「飯食ったか?」です。


「ヤン(まだです。)」と、答えたら、


飯を食っていけ、と、食べさせてくれる。


こんな会話が挨拶言葉だと言うのは、隣近所の壁が低く、気楽な付き合いがされていた、と言う事です。


塀を高くしないといけない→他者と隔てる事で守るものがある。→人間が分断されて、付き合いが希薄になるか、仲間内の繋がりだけになる。


チェンマイ郊外のカフェは、塀が低く、そもそも塀がないような広い敷地に自然を取り込んだカフェが沢山あります。


背景の山、川、滝などを上手く取り込んだ空間設計をされている所もある。


そんなカフェが、自分には、癒しの空間として、好きかな、と思います。


長々とウンチクをたれましたが、チェンマイに来られる事があれば、郊外のカフェも一度楽しんでみて下さい。


日本🇯🇵のカフェや、チェンマイの街の中のカフェとは全く違う雰囲気を味わえると思います。