KAMIMURA SOBAに娘を連れて行く。 | lai-thaiboxingのブログ

lai-thaiboxingのブログ

タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。

チェンマイ郊外サムカンペーンにあるKAMIMURA SOBA。


日本🇯🇵の田舎に帰ったような気持ちにさせてくれる店である。


自分は、そこの雰囲気が好きで、何度でも行きたいのだが、いつも会長からクレームが入る。


遠い、と。


家から車で40分、チェンマイ市内からも同じく40分。


自分は、途中のチェンマイの田舎の風景を見るのも好きである。


チェンマイ市内は、今や、バンコクなどから来たお金を持つ人によって、チェンマイって、こんな感じだったよな、と、作られたよそ行きの観光の街ではないか、と思っている。


働いている人々も、元からのチェンマイの人よりも、他所から来た人が多くなった。


おそらく、この傾向は、今後益々進んで、チェンマイの旧市街周辺は、貴重な観光資源として、歴史テーマパークのような所になって行くのではないだろうか?


経済的発展、と言う観点からは、それも良し、なのであろう。


観光客は、そこを見て、チェンマイはな、、、とSNS等で語る。


が、


そこにあるのは、金、金、金を求めて集まる人々が作ったものであり、かつても、今も昔も金を求めている人々が集まるバンコクと変わらないのである。


それも時代の流れなんだろう。


ただ、それが、チェンマイと、言われたら、昔のチェンマイを知る者としては違和感があるのである。


「ポーチャイ」と言うタイ語がある。


満足する、と言う意味がある。


少し意訳すると、「足ることを知る」であろうか。


かつてのチェンマイの人々は、ランナータイ王国と言う現在のタイとは違う別の国だったからではないだろうが、チェンマイよりお金が儲かるであろうバンコクに働きに行かなくてもいい、チェンマイで良い、と言う人が少なからずいた。


金、金、金と金を追いかけ回すより、ポーチャイ。足ることを知り、ゆっくり、のんびりしたい、サバーイでいたいと言う雰囲気が、かつてのチェンマイにはあった。


日本🇯🇵で、学校の先生をしていた時、夏休みや冬休みにはチェンマイに来ていた。


「先生、チェンマイの何がいいんですか?」と聞く友人に、自分は、


「人や!」と、即答していた。


人が、のんびりしていて、優しい。


金の為に、見知らぬ者が、急遽集まって強盗や殺人、老人を狙っての犯罪が多発している現在の日本とは、違うメンタリティがあった。


老人や子供、ハンディキャップを持つ人に対して優しい。


3月末から5月の初めの暑い時期を除いては、気候がよく、住みやすいと言われている以外に、ホスピタリティとは違う人の優しさが、多くの外国人ロングステイヤーを呼んでいたのだろう。


今も、その人の優しさ、と言うのは、チェンマイ市内に他所から仕事をする為にチェンマイに来ている人々にもあるだろうけど、、、。


でも、自分は、チェンマイ周辺の村にこそ、チェンマイ本来の姿が残っている、と思っている。


いまだに、タイ語よりもチェンマイ語が日常で使われる世界、のんびりと過ごしているように見える人々。


そんな雰囲気の中に、KAMIMURA SOBAはあるのである。


昭和の時代の日本🇯🇵の田舎もこんな感じだったかも、と、どこか懐かしさを感じさせてくれる雰囲気。


都会で働いていた子供が、お盆や正月に田舎に帰省する。そこには、優しいおじいちゃん、おばあちゃんがいて、、、。


KAMIMURA SOBAには、日本人ではないんだけど、日本人と結婚されていて、日本人の気持ちもわかってくれる優しいチェンマイ人のお母さんが店をやっている。


会長に、KAMIMURA SOBA行くで!と言ったら、え〜と言われ、少々気分を害しながらも、チェンマイの原風景の中に、日本の原風景をシンクロさせに行くのであった。


KAMIMURA SOBAに到着した。


いきなり、田舎の少年のような人達に出会った。


彼らは、手に手に不思議な棒を持ち、ワクワク、ニタニタしている。


どこかで見た事のあるような、、、と、思って見ていたら、それは、夏休みに虫を取りに行っていたかつての少年の頃の自分であった。


なんとも言えないワクワク感。


虫取りの網に、取った虫を入れる緑色のプラスチックの箱。


タイムスリップした自分が、目を覚ますと、目の前には、スプーンのようなものを穂先につけた棒を持つ日本人の青年だった。


虫取りではなく、ヘット トープと言うこの時期にしかないキノコ採りに使う棒。





KAMIMURA SOBAは、建築デザインの事務所が隣接していて、そこに日本から学びに来ている青年である。


その事務所は、お母さんの息子さんがやられている。

かつて、タイ北部は、かつて、チーク材の宝庫だった。

チェンマイ近郊にも、チークの森が広がっていた。

チーク材は、軽くて硬い建材で、シロアリなどの虫もつきにくい。


高級建材として、目をつけられて、海外に沢山輸出され、今やチークの森は、タイにはほとんどなくなり、あっても伐採禁止である。


KAMIMURA SOBAの建築事務所では、古民家を解体した時に出た、チークの柱などを再利用して建物を建てたりしているようである。


KAMIMURA SOBAの建物もそうである。

行かれたら、危なっかしそうに見える廃材を利用した柱も、実はしっかりしたチーク材であるのを見て欲しい。


でも、やっぱり、KAMIMURA SOBAのお母さんは、優しくて最高だ。


前回、行った時に、山伏茸を持ち込み、山伏茸の天ぷらを無理を言って作ってもらった。


その残りを、お母さんの所で、食べてくれたら良かったのだが、お母さんは、自分達が又、来るだろ、と、冷蔵庫で保管してくれていたのである。


娘が、蕎麦と天ぷらのセットを注文して、山伏茸を食べた。








娘の素直な表現である。


会長とお母さんが色々話をする。


会長は、遠いから行くの嫌や、と言っていたのに、お母さんと話が弾んでいた。


お母さんの新メニュー、おにぎりと味噌汁。シンプルなんだけど、遠足で母親がもたしてくれたおにぎりを思い出した。


お母さんが、料理を作っている間、テレビを観ていて下さい、と、リモコンを渡してくれた。


自分は、それで、YouTube動画を観ようとしたら、動画の履歴は、ヘット トープを採りに行く動画ばかりだった。


ヘット トープは、土の中にあり、動画では、採っている人が興奮気味に、採りまくっていた。



会長曰く、ヘット トープは、森に入って、歩いて探さないといけないけど、毎年、同じ場所にある、と言う。


他の動画を観た。

それはニュース動画で、ヘット トープは、キロあたり700btから900btで取り引きされていると言う。


娘のセブンイレブンのバイト代が1日350btだったから1kg見つけたら、2日分である。


このヘット トープは、山を焼いた後に、そこにある、と言われていて、タイ北部の大気汚染の原因の一つにもなっているとか。


これについて、あるライターは、「貧乏人の逆襲」と言った。

貧しい人が一攫千金を狙って、山を焼き、人々を困らすのだ、と。知らんけど。



暫くして、日本人の青年が帰って来た。


「戦果は?」と聞くと、


「あんまり採れませんでした。」と、


彼以外にも、沢山、出陣して行ったはずだったが、戻って来たのは、それほど多くなかった。


「あのキノコの値段知ってる?」と聞くと、彼は知らなかった。


キロ700btから900btと言うと、彼は、日本円に換算したのだろう、驚きと共に目を光らせた。


YouTube動画の中の人も、見つけるたびに喜んでいた。

だって、極端な話、1個見つけたら60円、80円かも知れないのだから。知らんけど。