凄いとしか言いようがない。 | lai-thaiboxingのブログ

lai-thaiboxingのブログ

タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



今朝、上の記事を見た。


黒田先生、凄いとしか言いようがない。


黒田先生は、北海道出身。

大阪体育大学→北海道のホテル勤務→青森山田高校サッカー部コーチ→青森山田高校サッカー部監督→J2町田監督→J1町田監督


一流ホテルに勤務されていた所から青森山田高校サッカー部のコーチになられた時も決断が必要だっただろうが、高校サッカー界で常勝軍団を作られ、高校でも校長につぐ地位まで来られていたのを捨てられて、50歳にして、プロチームの監督になられた時は、もっと大きな決断が必要だったろう。


しかも、家族がいるのだから。


友人の三浦泰年さんは、「監督業は、鞄一つで、今日、クビ、と言われたら、次の場所へ、呼ばれる所がある限り、行く仕事。」と、言っていた。


結果が伴わなければ明日の無い仕事である。


ある程度の実績、地位を得て、普通なら満足してもおかしくない所を、もっと上、もっと上の高みに、と行く。


チャンスが来ても、まだ、準備が出来てないから、と言っていたら、チャンスは、待ってくれずに二度と来ない。格闘技の世界では、よくある。


黒田先生も、プロのチームの監督の話が来た時に、まだ〜となっていたら、今は無かっただろう。


高みを目指すメンタリティ。



黒田先生もサッカーの魔力に取り憑かれたサッカー馬鹿である。


そして、何よりも、50歳にして、何の保証もない世界に旦那を送り出した奥さんが素晴らしい。


「男が行きたい、と言っているのに、これを止めたら、私、悔いが残る。」


末期ガンで、余命いくばくもないボクシング🥊の老トレーナー、エディ タウンゼントさんが、弟子の世界タイトル初防衛戦のセコンドに付く、と、言った時のエディさんの奥さんの言葉。


漢気(おとこぎ)に対する言葉があるかどうかしらないが、女気と言うのだろうか。


黒田先生の奥さんには、お会いした事は無いけど、それを感じる。



黒田先生は、9年前にチェンマイに来てくれた。


サッカーのA級ライセンスを取られた時に、三浦泰年さんもA級ライセンスを取られて、その際の講習で2人は出逢われた、とか。


そして、9年前に、チェンマイFCの監督をされていた三浦さんが、ちょうど、この時期、5月に黒田先生をチェンマイに呼ばれた。


三浦さんとは、当時、自分は、早朝、一緒に稽古をしていて、黒田先生も参加してくれた。


黒田先生に、自分のバイク🛵の後に乗ってもらい、街をウロウロした事もある。


実は、黒田先生が、チェンマイに来られる前と、来られた後で、黒田先生のチームの成績は、ガラリと変わっているのである。


それは、自分が、黒田先生と一緒にチェンマイ最強パワースポットであるワット ドイカムに行ってお祈りした事や、プラクルアンと言うタイのお守りで、地元の有名お守り店で特別に念を入れてもらったと言うピッカネン(ガネージャ)のお守りを自分が青森山田高校に郵送した事によるチェンマイのスーパーナチュラルパワーのお陰だけではない。(ピッカネンのお守りを送った年は、逆転に次ぐ逆転で凄い事になったけど。)


勝つようになった黒田先生の中で、間違いなく何か変化が起きたに違いないのである。


その辺りは、黒田先生の著書の中に、特に自分は、チェンマイについて書かれた中にヒントを感じた。(先生は違うと言うだろうけど。)




黒田先生は、世間でどう言われているか知らないが、優しい方である。


そして、何より気遣いの出来る方。


が、何より、勝つ、事の為には、何をしなければならないか、を知っている方である。


今後の更なる活躍を期待したい、と共に、又、チェンマイに来てくれないかな、と密かに思っている。


次は、チェンマイでキャンプとか。


Jリーグで2週間だけ特別コーチをしていた自分。そんな時代もあったね、と。