教え子の引退。 | lai-thaiboxingのブログ

lai-thaiboxingのブログ

タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。



朝起きてInstagramを見ると、


「直接言えなかった方もおられますので、報告させてもらいます。」と、かつての教え子がキックボクシングのプロを引退する事を報告していた。


この子とは、キックボクシングの教え子と言うより、中学校の教え子である。


自分は、その学校で生徒指導主事を3年した後、問題行動をする生徒一人一人の背景もしっかり見て行こう、と言う自分の考えに、反対の為の反対をしてくる先生が多くなり、非協力的な先生が増えた為、生徒指導主事を辞めた。


そして、反対派の先生達に、

「あんたらのやり方でやってみなはれ。」と、生徒指導主事を辞めて、1年1組の担任だけして、学校がどうなるか、見といたる、と臍を曲げていた。

その時の1年3組の生徒が彼だった。


このクラスは、子供好きなユニークな女性が担任で、子供達の雰囲気も明るく、授業に行くのが楽しみなクラスだった。


漫才で言う所の、ボケとツッコミが交錯し、時間があっと言う間に過ぎて行くと言う感じだった。


その時の彼は、目のクリッとした爽やかな男の子だった。


自分に反対していた先生達の指導の元、学校が、半年で、市内で一番荒れた学校と言われるようになり、自分は、1年間だけ担任した後、地域の健全育成会やPTAの方々の要請を受けて、生徒指導主事に復活したので、彼らの学年とは、繋がりは薄くなった。


野球をやっていた彼は、甲子園に出場させたことのある有名コーチのいる公立学校の野球部に入った。


しかし、その学校の野球部がゴタゴタで、多くの生徒が辞め、彼は、コーチから続けるように言われたが、結局、どうなったか、自分は覚えていない。


ただ、彼の野球に対するモチベーションが下がり、代わりに格闘技に興味を持つようになり、自分が関わっていた道場に練習に来るようになった。


自分が、日本🇯🇵に居た時は、練習に来たり来なかったりの選手で、運動能力的には問題無かったが、まだ、肚が決まっていなかった。


彼が大学に入った時には、自分は、もう日本🇯🇵にいなかったが、彼はジムを移籍し、そこで開花したようである。


タイ🇹🇭チェンマイでの弟子の一人であったイギリス人をMAキックボクシングの日本🇯🇵チャンピオンと戦わせた時に、バックステージで、彼のジムの選手が試合するのにセコンドに入っている彼を見たのが直接会った最後だったかな。





Instagramでの引退の挨拶を見ると、次の仕事も決まりました、とあったから、プロでいる内は、練習出来る環境を自分で作っていたんだろう。


まだ、20代なので、伸び代はあるかも知れないが、自分は、彼に辞めないで続けたら、とは言わず、ご苦労様、次のステージでの活躍、祈念します、とメッセージを送った。


彼の中で、やりきった、と言う思いがあった上での引退表明だろうから。


これからも、爽やかな好青年のまま突き進んで行って欲しい。


19戦8勝11敗(3KO)彼の戦績である。


引退と言っても色んな引退がある。





シュートボクシング🥊及川選手の引退試合。自分の所の選手もシュートボクシングのチャンピオンと引退試合をさせてもらったが、及川選手の引退試合は、兎に角、凄い引退試合だった。