神は悪人にも善人にも同じく、光を注ぐ。
今日は、元、下の娘、会長の従姉妹の子供の誕生日である。
彼女は、半年、自分達とチェンマイで、暮らしていたけど、海外に出稼ぎに行っていた母親が帰って来て、チェンライの山の村で下の弟、妹と一緒に暮らす事になった。
その娘は、母親が居なくて寂しい思いをしていたが、願いがかなって、母親と兄弟と一緒に暮らせると喜んでいた。
が、
折角帰って来た母親は、一番下の妹の父親で、麻薬中毒の男の所へせっせせっせと通い、その娘のシンガポールにいる父親から送られてくる金を、娘に使うのをケチって、その娘の母親とその母親が使う為か、娘を学校隣接のキリスト教系の施設に預けた。
女の子は、施設から、寂しくて、母親に何度も電話したが、母親は電話に出ないで男の所へ行っている。
女の子は、叔母である会長に泣きながら何度も電話して来た。
チェンマイで叔母さん達と暮らしたい、と。
叔母である会長は、その子の母親に電話しても中々捕まらないので、その子のおばあちゃんよりも、その上の、会長からしたらおばあちゃんにあたる人に電話して状況を聞いた。
一緒に山で暮らすと言って、チェンマイから連れ帰ったのに、一日で気が変わり、あの男にだけは会うな、と言っても、聞かないで、出ていく。
その子のおばあちゃんにあたる女は、その娘の子下の弟、妹の面倒を会長のおばあちゃんに押し付けて何もしない、と言う。
納得して施設に行ったならまだしも、騙し討ちのようにチェンマイから連れ帰り、喜ばしといて、即、施設。
それには、会長は、可哀想や、可哀想や、と言っていた。
又、上の娘も、あの子が可哀想や、と言った。
それで、その子の誕生日である今日、誕生日ケーキと日本🇯🇵から届いたお菓子を持って、施設に彼女の顔を見に行く事にしたのである。
学校から帰るのが、3時と聞いていたので、昼過ぎにチェンマイを出発すれば、チェンライ県ウエインパパオにあるその施設に3時までに十分間に合う。
ケーキ屋さんに、誕生日ケーキを12時に取りに行くと約束をしていた。
それが、今朝になって話が変わる。
会長曰く、その娘の母親が、今日、施設にその娘を迎えに行く、と。
時間を聞くと、昼頃との事。
ケーキを持って行ったはいいけど、本人がいなかったら、意味がない。
ケーキ屋が9時に開くと言うので、その時間に合わせて、会長と上の娘を迎えに行く。
が、
会長と娘は、朝から、ナイトバザール近くの山岳少数民族の金曜朝市に行って、朝ごはんを食べていた。
結局、出発が1時間近く遅れる。
誕生日ケーキが壊れないように気を使いながら車を飛ばす。
その娘の母親とその母親、自分から言わしたら金の亡者の悪人が施設に集合していた。
その娘の弟、妹も来ていた。
その娘の乗って来た車は、いつもの車ではない。
シンガポールからの送金が、今よりあった時に、600万円近くするトヨタのSUVをその娘の母親が、ローンで買っていた。
が、麻薬中毒の男が車で暴れて、内装が破壊されたので、その女の種違いの弟にローン付きで売った車である。
その車で来たと言う事は、その女の弟も山にいる事やな、と会長に言うと、大麻カフェをやってる女の弟が、お客さん連れて山の大麻畑で、大麻パーティーやってるんと違うか、との事。
母親の母親が、シスターにもっともらしい引き取り理由を説明していたが、シスターも、同じようなケースを何度も経験してるであろうから、多分、わかっているだろう。
普通、施設に子供を預ける親は、お金が無くて、という家庭が多いのに、何をカッコつけて、そんな車で来てんねん。
シスター達も、多分、彼らの異常さに気づいているだろう。
シスターが、自分に気づいて、
「君は?」と聞いて来た。
「私は日本人です?」と、説明にならない言葉を自分は返した。
会長が、補足説明した。
シスターが、頷いた。
その娘は、取り敢えず母親と兄妹と一緒に暮らせるので、不安な顔をしながらも、嬉しそうにはしていた。
ケーキ🍰に、ろうそくを10本立てて、お決まりのセレモニー。
ここで、娘の母親が、会長に偉そうに、娘とケーキと一緒の所の写真を撮れ、と上から目線で言った。
こいつら、何もせんと何言うとんや、そのケーキ、俺らが用意したんやけど、ありがとうを言う前に何言うとんのや、と、自分は、半ば呆れて、喜んでいるその娘のいる場の雰囲気を、そのままいたら壊してしまいそうなので、早々にその場を離れて、車の中で、寝ることにした。
その娘の母親と、ばあちゃんは、何を言っても入らない。
神さんが、失敗と言う経験を何度も与えてくれているのに、いつ氣がつくのだろうか。
シスターは、淡々と、寮費と授業料を請求していた。
同じ施設に暮らしている友達も、2人の女の子を除いては、施設に来て、直ぐに帰る、施設にいた時には、泣いてばかりしていたその娘に対して、何をしに来たんだろう、さっさと帰れやくらいに、相手にして無かった。
皆んな貧しい家庭から、勉強する為に施設に住んで学校に行っているので、当然だろう。
うとうとしていると、会長と上の娘が車に戻って来た。
その娘もいて、ありがとう、と言っていた。
悪人二人とは、顔を合わしていない。
「一緒に暮らす、と言っても、あの女、色んな所に借金があるので、直ぐに海外に売春に行きよるで。」と自分は呟いた。
貧しい家庭に生まれて、親を助ける為に売春婦となった女達もいた。
が、
その女は、金さえ有れば幸せになれると思い、コツコツ働く事はしないで、簡単に稼げる手段として売春をする。
これは、ここだけではなく、今、日本🇯🇵でも起きている現象ではないだろうか?
施設と新車で買った600万円のSUV。
ウエインパパオには、自分の知り合いで、山岳少数民族の子供達の為の寄宿舎をされていた中野穂積さんがいる。
中野さんは、数年前に寄宿舎はやめられ、今は、別の形で、教育支援をされている。
最初は、その娘が施設に帰るまで、時間があるので、中野さんの所を訪ねて、その娘の事も含めて相談させてもらうつもりだったが、中野さんが、日本🇯🇵に帰られているので、胸糞悪いその娘の母親とその母親に会ってしまったので、口直しと言ったら何だが、今まで、北タイ🇹🇭に10年近く住んでいて、行った事の無かったパヤオに行く事にした。
何故、今まで行かなかったかと言うと、パヤオ県は、北タイで、海外に出稼ぎに行き、エイズになり亡くなった女が一番多いと聞いた事があったから、不気味に感じ、行く氣にならなかった。(正確なデータは知らないので、実際はどうか知らない。)
会長は、パヤオに売春に沢山行っていた村があった話を聞いた事がある、と言った。
年始に東京の空手家親子が、パヤオに行って、素晴らしい所ですよ、と言っていたので気にはなっていた。
その施設から、ナビで調べると1時間位の距離。
パヤオには、北タイで一番大きい湖がある。
会長も上の娘も行った事が無かったので行く事にした。
ウエインパパオからパヤオへの道は、綺麗に舗装されていて、走り安い道である。
大きな山を一つ超えて行く。
車の量や人の数は、チェンマイより明らかに少なく田舎なんだけど、道は立派である。
これが、タイの周辺国、ミャンマーやラオスと違う所である。
ただ、人が少ないので、ビジネスをするには大変やろうと容易に想像できた。
道すがら会長は、子供の時からの話をした。
父親、母親のいたメーホーソン県の山の村には、学校がなかったので、チェンライの山のおばあちゃんの所に、妹達と一緒に預けられて、そこの村の小学校に行った。
中学生になるとメーサイにあるキリスト教の施設から学校に通い、高校生の時は、パヤオ県の湖とは別の所の施設から高校に行っていた、と言った。
そして、会長には、実の両親の他に、アメリカ人の父親と母親がいて、服や文房具などを支援してもらっていたと、今まで、自分や上の娘が知らなかった事を語った。
アメリカ人の親は、写真でしか見た事はないけど、と会長は言った。
今回、大学に合格した娘は、何故、大学に行かなかったの?と会長に聞いた。
会長は、お金が無かったから、と、言った。
自分は、その世話になったアメリカ人の両親に会ってお礼を言いたくないか、と言うと、会長は、名前も覚えてないから、と。
写真とかあったらTVとか使ったら探せるかも、と自分が言うと、昔は写真あったけど、今、どこにあるかな、と。
そんな話をしていると、
湖に着いた。
湖を一望出来るお寺があるとGoogleマップにあったので、ナビで行ったが、道が工事中で行けなかった。
会長と娘は、湖を見て、海と一緒や、と大喜び。
湖沿いの道に、レストランがあったので入る。
素晴らしい景色。
でも、この景色、どこかの景色に似てる。
そうだ、長野県の諏訪湖に似てる。
山に囲まれた盆地の湖。
Googleで調べたら、パヤオの湖の面積は、20.529㎢で、13.3㎢の諏訪湖よりデカかった。
料理を注文してから、会長と娘と写真撮影会。
何故か、新海誠監督の『君の名は』を思い出した。
食後、会長が、パヤオの観光スポットはないか、と言うので、Googleマップで調べた。
レストランから車で4分の所に、パヤオの王様の像があって、そこが観光スポットだ、とあっだので行く。
このパヤオの王は、チェンマイにある3人の王の像の一人であるガムムアン王の像である。
周りを山に囲まれ、湖のあるパヤオ王国は、他のエリアとは違う独特の雰囲気の国だったようである。
自分が、ガムムアン王の像に挨拶に行っている間、会長と娘は、アイスクリームの屋台に。
タイ名物、ココナッツアイス🍨。
そのアイスクリーム屋台の兄ちゃんから、会長は、スカイウォークと言う景色の良い場所がある、と聞いて来た。
それ程遠くないので行く事に、それは、少し高台のお寺にあり、そこは、最初、行こうとしていた寺だった。
湖が一望出来る展望台。
益々、諏訪湖に見えて来た。
そして、夕暮れ時、『君の名は』では、片割れ時と言う、は、綺麗やろな、と思うのである。
今回は、泊まる準備はして来なかった。
目の良くない自分は、山道は、街灯が少ないので、出来るなら暗くなる前に峠を越えたい。
景色を見て、帰ろうとする自分に、会長は、
「あんた、お寺にお参りして行かへんのか。あんた、最初にこの寺来ようとして、結局、来たやろ、あんたは、この寺に来る事になっててん。」と言った。
寺の本堂には、少し変わった面長なお顔のお釈迦様。
自分は、この土地からお金目当てに、働きに行き、病で亡くなった女達が、どうぞ、光に包まれてお釈迦様と共に浄土に行かれますように。又、女達が出稼ぎに行かなくて済むように、この町に産業が根付きますように。」と祈っていた。
あの娘の母親も、このパヤオ出身の女も同じ。
それをやらずとも、コツコツ小金を貯めると言う方法もあったであろうに。
『祈り』をしても、何の意味もない、祈っているだけでは、何もしてないのど同じや、と思う人もいるだろう。
でも、少なくとも北タイでは、その『祈り』の力が、他の所とは違うような氣がするのである。
目を閉じて祈る。
そして、目を開けると、面長のお釈迦様が微笑まれているような氣がした。
あの娘と、自分や会長や娘とは、『君の名』のように、まだまだ、見えないひもで繋がっているような氣がする。
あの娘が、母親やその母親のように、目先の金の為に何でもするような愚かな女にならないように願うと共に、次は、泊まりで来て、片割れ時を体験してみたいと思った。
娘が、パヤオは好き?と聞いて来たので、好きやな、と言うと、娘は、わたしも、お母さんも好き、と言った。
次は、家族で泊まりに来る事になりそうだ。
「今日は何の日やったっけ?」ととぼけて自分は、言った。
皆んな、あの娘の親達の態度には、納得して無かった。
「そうや、あの娘の誕生日やったな。あの娘が帰りたい、帰りたい、と泣いてくれたお陰で、ここに来れた。あの娘に感謝やな。」と。
この広い湖の景色が、自分達のモヤモヤした心を洗ってくれたようだ。
選手を連れて来て、走らすのもいいかな、と別の事を考える自分もいた。