タイと日本の運動会の違いに驚いた。 | lai-thaiboxingのブログ

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タイチェンマイにて意拳、ムエタイ、瞑想の研究。山岳小数民族との交流や日々気づいた事を書いて行きます。
タイ国ムエタイ協会認定トレーナー。寺田式インパルス療法士。椅子軸法認定インストラクター。




今日は、娘の学校のSports Dayと言う事で、チェンマイ市内のチャンプアック陸上競技場に行った。


Sports Dayとは、日本🇯🇵で言う所の運動会、体育大会と言うものであろうか。


娘の学校は、ミッション系の私立高校で、小学校から一貫教育の学校である。


今日の運動会も、小学生から高校生まで、一斉に行われるそうである。


競技場に行ったのは、娘に、運動靴を忘れたから持って来て欲しい、と言われたから。


この娘の学校の運動会、日本で高校や中学で先生をやっていた自分には、驚きの連続だった。


会場がプロのサッカーの試合会場にもなっているスタンド付きのスタジアムと言うのも驚きだが、その運営と言うか、進行が全く違うのであった。


先ず驚いたのは、スタジアムの周りに屋台が出ていて、児童・生徒が自由にモノを買って食っているのである。


木陰で競技に参加するのか、しないのか、わからない子が、モノを食いながらくつろいでいる。


まるで、休日の公園の風景。


それが、児童・生徒とわかるのは、とりあえずトレーニングウェアを着ている事から。


そして、トレーニングウェアも、何種類か色が決まって、会長曰く、この日、たった1日の為に、学校から買わされるそうである。(一着160bt、約640円)


これは、生徒は、絶対購入で、保護者は任意のようだが、沢山の保護者が購入していた。


色は、黄色、緑色、オレンジ色、水色の4色。


娘の色は、水色で、結構いい感じのデザインだったので、申し込んでおけば良かったと、ちょっと後悔した。



スタンドに上がる。


生徒席と保護者席に分かれている。


生徒席には、ドラムが持ち込まれ、まるで、サッカーのサポーター状態だった。


しかし、


競技の方が、?がいくつも付くものだった。


日本🇯🇵の運動会・体育大会は、色んな意味で、児童・生徒の発表会である。


生徒は、競技だけでなく、会場設営や進行の役割分担して、それぞれのパートで、リハーサルをして大会に望む。


自分が中学校の先生をしていた時、体育大会の役割で、自分が、一番よく所属していたのは、審判部と会場設営だった。


審判と会場設営を担当するのは、体育委員。


体育委員が、会場設営として、土のグランドの整地、ライン引きなどを行う。


石拾い、トンボかけ、ブラシをかけてフラットにしてからラインを引いた。


凸凹のグランドで、生徒が足をひっかけて転んだりしたら可哀想なので、丁寧に整地をした。


土のグランドを相撲の土俵のように大切に仕上げた。


又、審判も体育委員がやっていた。


自分が、審判長をやった時は、競技図をもとに審判の配置、割り当てを考えて審判図を作成した。


スターター、テープ、着順、観察などの配置を決める。それを、個人種目、リレー種目、団体種目など、それぞれの競技に応じて決めた。


審判図をもとに、本番までに、放課後を使って、サッカー部などに走ってもらい、本番まで、最低4回は練習した。


体育大会に向けて、生徒の役割は、審判係以外にも、用具係、選手誘導係、召集係、放送係、得点係などがあって、先生の指導のもと、当日、生徒が自分達で行えるようにしていた。


競技だけではなく、先生と生徒が一緒になって作り上げていく大会、発表会。


団体演技としての、ソーラン節などは、体育の授業の発表だった。


体育大会は、みんなが協力して一つのものを作り上げて行く、と言う日本的なものの顕われでもある。


が、


それに対して、娘の学校のは、それとは全く異なるものである。


そもそもスタジアムを借りているので、会場設営はいらない。


審判は、先生がやっている。指示は、全て放送。

誘導係はあるのかないのか。


進行は、グタグタで、どうやったら能率よく効率よく、と考える癖のある自分(日本人)には、イラっとくるのである。


グランドのピッチに多くの生徒が入っていて、それぞれが勝手な事をしている。(ウォーミングアップをしているならまだしも、鬼ごっこをしているのもいた。それもウォーミングアップかも知れないけど。)


ダラダラしているので、レースは、いつ始まるのかわからない。また、レースが終わってから次のレースまで、3分近く、否、それ以上かかる場合もあった。


日本🇯🇵なら、一つのレースが始まる前に、そのレースに参加する生徒は、所定の場所に誘導係の生徒により誘導されて、座って待っていて、レースが終わり次第、次のレースといった感じで、次々にレースが行われる。


放送係は、競技毎に音楽を変え、競技を盛り上げるアナウンスを入れる。


日本🇯🇵の体育大会は、オーガナイズされている、と言える。


目の前で展開されているタイの運動会は、微笑ましい面もあるけど、混沌とした非能率の世界が展開していた。


日本🇯🇵なら1時間でやってしまいそうなプログラムを1日かけてやっているかのようだった。


競技の方も、謎だった。


低学年の小学生の走る距離が最低100mで、200mもあった。


それも男女同時に走る。


走力のない子は、途中から歩いていた。200m走などは、後半の100mを歩いている子が多かった。


高学年は、400m走があった。

400m走は、スポーツをしている大人でもきつい種目である。


走りきれずに歩く子が続出なのである。


これって競技の設定に問題あるよな。




そして、一つ一つのレースの間隔が長いので、レース数が少ないのだが、よく見たら同じ生徒が何回も出ていた。


つまり、全員何かの競技に参加する、と言う日本的な体育大会ではなく、一部の人が競技に参加して、後は、チームカラーのユニホームを着て、スタンドやスタジアム周辺で、ジュースやお菓子を食ってる、と言うような。


これって、運動が苦手な生徒にとっては、夢のような大会である。


競技に参加している子も、よく見たら、明らかに普段運動してない子もいた。(走り方が変な感じなのである。)


何人かは、レース後、気分が悪くなっていた。


そんな生徒の為に、プロのサッカーの試合のように、スタジアムのすみに救急車が待機していて、レスキュー隊が担架を引っ張って登場した。



日本の公立学校よりお金はかかっているけど、何なんだろう、これは、と言う大会だった。


日本🇯🇵とタイ🇹🇭のギャップに驚かされた体育大会。


これは、これでタイ🇹🇭では成り立っているんやから、文句を言ってもしょうがない、と、イライラした感情を押し殺す自分がいた。


同じ時間が与えられていたら、先ず、無駄なく、効率よく使おうとする日本人と、一見、ダラダラとしながらも、彼ら流の心地よさを模索するタイの人々。


日本人は、子供の時から、体育大会一つにしても、能率、効率を追求して、みんなで物事を達成させることに慣れて行く。


だから、集団になったら強い。


組織の目的や方向性を理解したなら、それぞれがその役割に応じた動きをする事が出来る。


今までは、それが色んな分野で、他国に比べて、日本🇯🇵の優位な点だったのかも知れない。


強烈な個性は生まれにくいが、集団として、その中での個の役割を理解して行動する。


タイ🇹🇭の学校で、日本式の体育大会や運動会が行われるようになったら中々の驚異であるが、多分、当面は、ならなさそうである。


結局、娘に運動靴を届けたけれど、レース自体が無くなって、娘は走らなかった。これもタイあるあるなのかも知れない。


それにしても、タイ🇹🇭で運動会を見て、日本🇯🇵の運動会が懐かしくなった自分であった。


https://youtu.be/MuR9CTC8fVo




https://youtu.be/weFiuj3di50


https://youtu.be/4bHBv7h6Daw