ご先祖さまには感謝でしょ(*^▽^*)♪
皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪私が未来のパラダイスで楽しみにしていることの一つに現在の私に至るまでの正確な系譜(家系)が判る、というのがあります。大洪水時代(西暦前2370年)に存在したノアとその息子たちまでに遡る、過去4000年分の家系の人々の血のつながりが正確に知ることができるのって、これまたすごいことだわ~と私は思っています。おそらく限りなく100%近くのご先祖の皆さまが復活するでしょうから、その人たちと一緒に食卓を囲んでパーティ!なんていうのをぜひしてみたい~♪と期待しています。全員若返ってますからね、これまたすごいことだわ~と思います(≧▽≦)わくわく楽しみ♪さて、日本においてはとりわけ大切にされる先祖崇拝は偶像崇拝に直結しますので、JW世界では先祖とのつながりについて希薄に考える傾向が割とあるかもしれません。でも、エホバが禁止されているのは先祖を「崇拝」することであって「敬う」ことは異なるはずです。と言いますか聖書が命を与えてくれた両親に対して感謝することを命じているのであれば当然、私に至るまでの血脈を繋いでくれた先祖の皆さんに感謝するのは道理にかなったことだと私は思います。エホバ神は聖書で系譜(家系図)を大切に記録されていますし、アブラハムの功績をイエスの時代に至るまでも輝かせています(*^▽^*)ですので、この場を借りて天のお父さまエホバと、地上のお父さん&お母さんに感謝します、ありがとう(≧▽≦)♪それからお父さん&お母さんに至るまで私の命を繋いでくださったおじいさま&おばあさま、おじいさまのおじいさま、おばあさまのおばあさま、その先の先祖の方々にも感謝します、ありがとう(≧▽≦)♪さらに、私の先祖の人たちに親切を示し時には身を挺して命を守ってくれた他の人たちにも感謝します、ありがとうございます(≧▽≦)私はアブラハムの子孫ではないけれど、ノアの子孫ではあるのでノアのファミリーの皆さん&ノアの先祖の皆さんにもありがとうです♪皆さんが復活されたら、私はお一人お一人にお礼を申し上げに参りますよん(^o^)丿それと、まだ見ぬ未来のために聖書を書き写してくださった名もなき幾多の写字生の方々にも時代を超越してお礼を申し上げに参る所存です(≧▽≦)♪本当にありがとう!私の先祖の人たちが、どんな環境でどんな風に生まれ育ったのか気になっています。次の世代に繋がる子供は授かっても、配偶者をすぐに失ったかもしれません。短命で終わったり、養子養女に出されたり、世情不安で、家族の中でただ一人生き残ったというような大変な体験をした先祖もいたかもしれません。比較的平穏無事に暮らせた先祖さんもいたかもしれませんが、いずれにしても死の波に飲み込まれました。どの先祖さんも生涯中一度は遠い未来に思いを馳せたことがあったかな~なんて思ったりします。そのご先祖一人一人の人生のすべてを、神は覚えておられるのです。改めてエホバはすごい~!と感動します。エホバだけは私やあなたの正確な系譜をご存じです。そして来たるべき未来において私たちに教えてくださいます。自分のルーツ=血のつながり=魂のつながりって実はかなり大切な部分なのではないかと私は思うのです。果たしてどんな先祖の皆さんに出会えるのかわくわくしますね(^_-)-☆ところで視点を変えてみると、先祖さんたちにとっての私たちは、実に極めて貴重な子孫なのです。いつの時代もたくさんの悪いことが降りかかるこの世界で、ここまで世代がつながったというのは本当に本当に奇跡なのです。もしかしたら先祖の中には自分の子供や孫を庇って命を落とした人もいたかもしれません。でもその人の願いや想いはずっと長く、遥か遠くまでつながり続けたのです。なぜなら私たちの存在そのものが証しだからです。さらにもしあなたが今、天のお父さまから愛されている民=エホバの証人のお一人でいらっしゃるなら、それはご先祖さんからすると、ものすご~~~い祝福なのです!エホバを神とする民は地球人口のわずか数%しかいないのですから(^-^)これって、昔の聖書訳風に言うなら「自分の胤にイエス・キリストがいた~!」レベルに近いと思います(あはは~)そう、それほどまでに貴重な立場を得ている者が自分の子孫にいるのです。将来ご先祖さんたちが復活して、真の神エホバの愛を知ったなら間違いなく末孫を誇りに思ってくれるでしょう。末孫の娘エシュルンは、これからも全能の創造者で、最も愛あるお父さまエホバに愛される娘でありたいと願います。最後に私の先祖さんの一人、ずっと前に亡くなった祖父のエピソード話を一つご紹介します。話のテーマは「親切の力は命を救う」←ちょっと大げさかな?(笑)です。祖父は大正時代に広島のある富豪の家に生まれました。曾祖父は天皇家に仕える近衛のメンバーだったそうです。お家の食事ではナイフとフォークを用いる(大正・昭和初期としては大層珍しい)裕福な屋敷のお坊ちゃまでした。経済的にはとても恵まれていたものの、曾祖父にはたくさんのお妾さんがいました。屋敷内にもいたそうで、曾祖母はそれが辛くてついに家を出て、広島を離れ遠い所へ引っ越すことにしました。当時高校生くらいだった祖父は選択を迫られました。このまま父親の庇護の下で裕福な生活を続けるか、母親と一緒に家を出て貧しい暮らしを始めるかです。祖父は迷うことなく、母親と一緒に家を出ることを選びました。母親の置かれた境遇に深く同情していたからです。そうして広島を離れてから祖父は晩年に至るまで再びお金持ちに戻ることはありませんでした。戦争が始まって祖父は憲兵隊の一人として満州へ赴きました。そこでその土地に住む民を取り締まる仕事(力で抑える)をする・・はずでしたが人に暴力をふるうことを嫌う祖父はこの仕事を手抜きしました。私は「仕事をサボって麻雀をしているほうがよほど楽しかったよ」と言っていた祖父の顏を今も覚えています(^-^)やがて、戦争が終わり日本は負けました。満州にいた憲兵隊はソ連兵に捕らえられ、ソ連兵は祖父たち憲兵隊に壁を後ろにして横一列に並ぶように命じました。そしてそこに地元の住民の人たちが入って来ました。ソ連兵は住民に対して、彼らに危害を加えた者を一人一人指さすようにと命令しました。住民から指をさされた憲兵はその場で即、ソ連兵によって射殺されました。けれども祖父のことを指さす住民は誰もいませんでした。それで祖父は命を容赦されました。このとき、ほんの数人の憲兵しか生き残らなかったそうです。数年を経てようやく日本に帰国できた祖父ですが、母親から広島の屋敷は原子爆弾によって跡形もなく消えてしまったこと、父親を始め家の者は皆死んでしまったことを聞くことになります。その後、祖父は同じ憲兵で生き残った戦友の人の妹(祖母)と結婚し(結婚式の日に初めて会う)生涯祖母と連れ添いました。祖父は社交ダンスが好きでかなりモテたらしいのですが、いつも子連れ(幼い叔母と一緒に出掛けた)をアピールして不用意に女性を近づけなかったそうです。・・おそらく広島の生家での出来事が祖父をそうさせたのではないかな~と私は思っています。祖父はエホバの証人ではありませんでしたし、その存在を知っていたかどうかも定かではありません。それでも神から与えられた「親切の力」を持っていました。祖父がそれをきちんと使ってくれたので、本人の「命」が長らえて、孫の私に「命」がつながったのでした。とても感謝しています。私は将来、祖父(祖母も)に会えることが本当に楽しみです。復活の希望、楽園の希望って本当に素晴らしいと思います(≧▽≦)また会えると判っていられること、信じることができていること、この確信を与えてくださった天のお父さまエホバとキリストの愛に心から感謝します♪
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- ご先祖の皆さまにありがとう♪