神奈川県横須賀~横浜港
2024年8月21日(水曜日)
一泊二日の神奈川旅行、
二日目は横浜港へと行ってきました
ホテルで目覚め朝焼けの横須賀港
軍港が見えるホテルの展望レストランで朝食を
自分の客室(7F)よりも倍以上高い19Fの展望レストランだけあり
客室からは建物に隠れて見えなかったボクサーの甲板まで見渡せます
朝の7時を過ぎた位ですがすでに甲板上は忙しそうです
こちらも客室に戻って身支度とチェックアウトの準備
客室から見える「いずも」の甲板にも隊員さんたちが整列
国旗掲揚の朝礼のよう
他の海自艦も同じく国旗掲揚
因みに自分が泊まった21日の翌日、
この「いずも」が停泊している海上自衛隊基地前に国際演習のために
来日したイタリアの空母「カブール」が停泊しました
旅程が1日ズレていたらこのアングルでF35やハリアーを満載したカブールを見られたと思うと
どうしようもないのですがなんとも惜しい気分
お世話になったホテルに別れを告げて横浜に向けて出発
ホテルのすぐ裏手、汐入駅から横浜へ
通勤時間はやや過ぎた位の時間なのですが横浜行の電車は満員
横浜からみなとみらい線で横浜港は元町まで
みなとみらい線はそれ程混まずに座って元町駅に到着
それにしても流石?首都圏、広いだけでは無く上にも高い地下鉄駅
閉塞感のある名古屋の地下鉄に少し分けて貰いたい位
元町駅は横浜中華街の最寄り駅ですが
今回は時間が早くて営業している店も少なそうなこともあり立ち寄らず
スタート地点として開港時に海外領事館が並んでいた区画の
港が見える丘公園へ
フランス領事館の遺構などを見ながら丘の上まで登り
洋風のガーデンを抜けて
近所にあったら散歩ルートにしそうな庭園
展望広場へ到着
前日に続いて良い天気となりました
丘の下には次の目的の客船氷川丸が
丘を登って疲れた脚を少し休ませてから
海岸沿いの山下公園を通り
氷川丸に到着
戦前に建造された日本郵船の豪華客船
戦前の客船時代は日本~シアトル航路を結び日米ともに多くの旅客を運び
戦時中は病院船として活躍、国際法上攻撃対象とならない病院船ですが
それでも誤射や無差別な機雷、時には意図的な攻撃により戦没を免れない病院船も多いなか
無事に戦後を迎え、復員船を経た後戦後も再び客船として復帰した幸運な船でした
現在は客船時の姿で日本郵船の有する博物館となっています
観覧できるのは主に順路にそった通路とカフェ、社交室などのホールで
甲板上を自由に散策などは出来ないのが少し残念
機関室内を見回ることが出来るのは良かったですね
同じ退役船の博物館で名古屋港にある南極観測船「ふじ」は
機関室は除き窓越しに見るだけだったので新鮮です
三等船室は1部屋4台の二段ベッド
一等客室とその乗客向け区画の豪華さには遠く及びませんが
乗客同士、乗客と船員との距離の近さから三等客室には三等客室のドラマがあったそうです
船内を一周して見学終了、豪華客船ならでは設備やパネル展示の解説など
判りやすく良い勉強になりました
氷川丸を下船して再び海岸沿いを移動
天気が良いのは良いですが海風が吹くとは言え強い日差し
帽子を持たずに来てしまったのもあって屋外移動はなかなか過酷
大桟橋のつけ根、港の管理機関ほか横浜市の行政区になっているエリアの一角へ
ペリー提督が上陸し日米和親条約を締結した場所に建つ横浜開港資料館へ
中庭にあるタブノキはペリー上陸図の絵画にも描かれている木で
この場所がペリー提督の上陸・交渉の地である証だとか
館内はウェルカムパネル以外は撮影禁止でしたので写真はなし
一般的な国の歴史上の黒船来航~開国、のみでなく横浜と言う土地視点での
開国がもたらした発展にフォーカスした展示で学びがありました
資料館を出るとすぐ隣は横浜県庁
四角い塔は「キングの塔」と名付けられています
キングがあるならクィーンもある、という事で歩いてすぐ近く
丸い「クイーンの塔」を有する建物が次の目的地、横浜税関
日米貿易発祥の地ならでは、横浜税関の資料展示室です
幕末・横浜開港から存在する横浜税関の成り立ちや
今日の税関の仕事
実際の摘発品や時に巧妙に時に大胆な麻薬や拳銃の密輸の摘発の実例展示など
無料の小さな展示施設ですが中々見ごたえがある資料館でした
横浜税関を出てお次は横浜新港・赤レンガ倉庫街へ
メキシコ料理のフェスで賑わう倉庫街をまずは通り抜けて
新港の一角、海上保安庁の施設に併設されている北朝鮮工作船の展示施設に
平日なのでラぺリング訓練中の隊員さんたち
税関に続いてこちらも入館無料
2001年に九州南西海域で海上保安庁の巡視艇と銃撃戦の果てに自爆・沈没した後
調査のために引き揚げられた北朝鮮の工作船を事件の経緯と共に展示している施設
事件当初は単なる「不審船」と呼ばれていましたが
引き揚げ調査の結果、明確に潜入工作に特化して建造された船である事が判明したため
現在は「工作船」として扱われています
船内から発見された大量の武器
自爆前には更に証拠隠滅を図って積荷を海洋投棄している様子も撮影されており
工作員の潜入だけでなく麻薬などの密輸にも関わっていたと推測されています
この船舶がただの漁船では無く工作員の潜入任務のための船である事を裏付ける船尾ハッチと小型艇群
通常の漁船よりも強力で数も多い4基のエンジンを搭載している事から
スクリューも4軸、船内は殆どが機関部と先の潜入船の格納部で占められていて
漁船としての船倉どころか乗組員の居住区画すらほとんどなかったそうです
船尾に装備されていた14.5mm連装機関砲
こちらを銃撃戦で使用されていたら海上保安庁側も只ならぬ被害が出ていたでしょう
ある意味この武装が使用されなったことに安堵する以上に
こんな武装を持ちながらも海上保安庁の撃退よりも証拠隠滅・自爆を優先する
任務とその従事者に空恐ろしい物を感じます
階段を上り甲板上も見学が可能、船尾には船内に隠した
先ほどの機関砲を移動するためのレールが
工作船の周りを一周回って見学終了
こちらも入館無料ながら見ごたえのある展示施設でした
あまりはっきりとは覚えていませんが事件当時は
銃撃戦の果てに相手を自爆させた海上保安庁に対してやりすぎではないか…
などのブン屋さんの声も聞いたような気がします
自分も工作船と言っても工作員を載せた偽装漁船、位のイメージでいましたが
こうして現物を見ると悪い意味で本格的な潜入工作のための船である事に
認識の甘さを感じました、横浜の観光地の片隅でこうしてしっかりとした形で残すのも
そうした海上保安庁の啓発の意図を強く感じる施設です
無料なのでちょっと見ておくか、位の施設でなかなか考えさせられるものがありましたが
引き続き横浜散策
お昼時なので赤レンガ倉庫街で昼食にハンバーガー
大正時代に製造されて現在も稼働可能な状態にある50トンクレーン
次は同じく赤レンガ倉庫街の片隅にあるJICA(国際協力機構)の海外移住資料館に
またまたこちらも入館無料、今日は財布にやさしい日です
ここは一部展示以外は撮影禁止でしたが
こちらも開国の地、横浜らしい開国以降日本から海外へ出稼ぎ・移住していった人たちに纏わる資料館
日本人の海外移住の時代的な背景、移住者を取り巻いた海外事情
今日の日本から世界への海外協力や3世4世あるいはそれ以上と世代を重ねた
海外移住者子孫のアイデンディティ…などこちらも勉強になる資料館です
ブラジルやメキシコへの移民…なんかは歴史として知っているだけだったので
新しい視点を得られました
お勉強続きの横浜散策、お昼も回って最後の目的地へ
横浜新港からみなとみらい地区へ
気になるロープウェー
歩いても10分くらいの汽車道の歩道の上を渡っています
折角なので旅の記念に乗ってみましょう
大人一人片道1000円…えらいコスパです
出発進行
汽車道歩道と左右の運河を上から見えるのは楽しいですね
最後の目的地の日本丸パークも見えます
あっという間に対岸に到着
この距離で1000円…観光客の土産話づくり以外に需要あるのかしらん
ロープウェイを下りてみなとみらい地区へ
駅前でレッドブルを貰ったのでありがたくエナジー補給
動く歩道に感動する田舎者
練習帆船日本丸(初代)と横浜みなと博物館を有する日本丸メモリアルパークに到着
勿論日本丸、博物館両方に
二代目の方の日本丸・海王丸は名古屋港にもよく来ますが
船内は見られないので練習帆船の船内を見るのはこれが初めてに
氷川丸の三等客室よりも狭い訓練生船室
外国に行けば貴賓を招くこともあってこちらは豪華な船長公務室
講堂も兼ねる食堂
ぐるっと一周、同日に氷川丸を見ていたこともあって
時代や機能の違いをよく感じられました
日本丸を出て併設の横浜みなと博物館へ
こちらも一部フォトスポット以外は撮影禁止なので感想だけ
横浜の港の歴史を開国以前から現代に渡って解説する博物館
注目を浴びがちなペリー来航~開国後の発展だけでなく
戦後の米軍占領期の横浜市民の暮らし、返還後の復興などにも大きくフォーカスを当てられていて
米軍の進駐…みたいな歴史の無い名古屋市民的には興味深い内容でした
ここまでの道程でゆっくりしすぎたのか
みなと博物館では少し時間が押してしまったのが少し惜しい所ですね
横浜、また来る日はいつかあるでしょうか
と言う訳で日本丸メモリアルパークからはすぐ近く、JR桜木町駅へ
横浜市内のJR駅なのでここからもう新幹線の切符で乗車できます
新横浜で新幹線へ乗り換えて
名古屋に帰還、さよなら神奈川
因みに途中、神奈川辺りで滝に飛び込んだような大雨に遭遇
東京では記録的な集中豪雨となりました
自分の乗っている新幹線こそ停止しませんでしたが
後発の東海道本線は東京~横浜間で運休し間一髪でした
名古屋に無事に帰還して今回の旅行も終了
去年の呉から軍港繋がりで横須賀へ
横浜はついでくらいのつもりでしたが博物館めぐりは中々学びが多く有意義な旅行でした
横須賀は空母が見れなかった事、横浜もまだ行ってみたい施設があるので
またいつか訪れてみたいですね