LADです。今日、玄関前の家庭菜園で育てているプチトマトの『芽がき』をしました。
『芽がき』とは、トマトの枝分かれした部分に生えてくる芽を摘み取る作業です。この芽を、全部育ててしまうと、エネルギーが分散されて、茎がひょろひょろで実がならくなってしまいます。
芽を全部とるのでなく、残して、横へのボリュームを出します。どの芽を残すかが、判断に迷うところです。
今日は、夜、勉強会でした。その時に、講師の方と息子の障害告知の話ができました。
結論的には、今年の夏に予定していた、本人への「障害告知」は、行わないという事になりました。講師の先生のお話も含めて考えてみましたが、今は、まだ息子に「障害告知」は、必要なさそうです。
≪ポイント≫
・本人が自分に対して違和感を覚えていないなら、告知の必要がない。例、どうして自分は、みんなと同じにできないんだろうなど。
・本人がなぜ、みんなと同じに出来ないかに悩みだしたら、告知のタイミング。自分の状態を、言語化できるなら、告知を理解できる状態であると判断していい。
・告知をする人は誰がいいのか?
医者は、子ども1人1人を詳しく見ているわけでなく、一般論で告知をするので、あまりお勧めできない。
療育先の指導員。信頼関係があるが故に、その関係が壊れてしまうかもしれないのでふさわしくない。
一番子どものことを理解しているので、親がいうのがいいのではないか。
・私が望んでいた、外出中などで、困った時に、自分で障害名をいって説明出来るようになって欲しいというのは、かなり高度なことだとわかりました。ちょっと息子を過大評価していました。反省です。
・本人が困った時に、誰を頼ればいいのかをきっちり教えておくことが大事だそうです。例、制服を着て、帽子をかぶっている人を頼る(警察官、駅員など)
・障害名は、知らせなくて、案外うまくやっている成人の方も多いそうです。自己評価が下がっていないなら告知は、無理にしなくてもいいとのことでした。
診断名がある方がいいと思っていましたが、その人その人の状態によって判断が必要ですね。今回は、じっくり講師の先生と話せてよかったです。障害告知への気持ちの整理がつきました。
【今日のいいとこ探し】
修学旅行は、日曜日からです。夜になって、急に「修学旅行の準備しなくちゃ」といって、自分でしおりを持ってきてリュックに荷物を詰めていました。言われなくて出来るって、すごいですね。

