北澤一朗写真展「Viva Mexico」 | clandestina

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北澤一朗写真展「Viva Mexico」 (ニコンサロン)
Que padre!(なんてお父さん!)
Que madre!(なんてお母さん!)
こんな直訳をしても仕方がないが、なにかしら、いいものにはお父さん、悪いものにはお母さん、と彼らはいう。征服したスペイン人の父親、征服されたインディヘナの母親、そしてその子孫が自分たち。矛盾から生まれ、矛盾を抱えながら成長を続けるラテンアメリカの大国メキシコ。この国はどこか日本の残暑を思わせる。盛りの過ぎた太陽、押されるような陽射し。濃密な空気の中を、お盆帰りの死者が彷徨う。作者はこの季節が好きでメキシコにいる。モノクロ75点。
・会場:ニコンサロンbis新宿
・住所:東京都新宿区西新宿1-6-1新宿エルタワー28階
・会期:2014年6月24日火曜日~2014年6月30日月曜日
・時間:10時30分~18時30分(最終日は15時まで)
・休館:会期中無休
・入場:無料
※6月28日土曜日13時~14時にギャラリートーク開催。

メキシコの若き巨匠カルロス・レイガダス監督の日本初となる劇場公開作品『闇のあとの光』
が、東京・渋谷のユーロスペースで公開中。緑豊かな美しい村を舞台に、愛らしい子供たちや家族の日常から、時空を超えてさまざまなイメージが交錯する。部屋をうろつく謎の赤い発光体、依存症の集会、サウナに集まり乱交する上流階級の人々、親戚一同が会するゴージャスなパーティー…。聖と俗、光と闇の世界を独自の映像美でつづっていく。ストーリーテリングを無視しているともいえる、その革新的な世界観は、公開直後から賛否両論を巻き起こした。ビジュアル重視の映画を好む人におすすめしたい佳作だ。カンヌ国際映画祭監督賞受賞作品。
SANKEI EXPRESS
闇のあとの光


日の丸が出るだけで右翼などという左翼的な人がいるようです。
国旗なんてどこの国でも当たり前に掲げられているのに
海外に出て日本を見つめ直せば国旗を持っていたことは正解でした。
初めてワールドカップに行ったのが82年のスペイン大会でした。
ヨーロッパ中をユーレイルパスで回っていた時で至る所にテレビが置かれてどこでも見れました
決勝はイタリアの優勝を予想してミラノで決勝を見ていましたがロッシのミラクルゴールの連発で優勝、ミラノもイタリア中大変なものでイタリア人達と優勝をお祝いして大分御馳走になりました。
1997年11月16日、「ジョホールバルの歓喜」で日本のサッカーの歴史は大きく変わった。ついにワールドカップ(W杯)の出場を手にし、以降、今回のブラジル大会まで5大会連続の出場。これまで日本の前に立ちはだかってきた壁を突き破った17年前の勝利は、今でも多くのサッカーファンの脳裏に焼き付いていることだろう。
日本のW杯への思いは、その初出場まで高い壁に阻まれてきたように思われがちだが、それは正しいようで、若干ニュアンスが異なる。W杯の初出場は簡単に手に入るところにありながら、みすみす手放してきた過去もあるのだ。
たとえば第1回の1930年ウルグアイ大会。これは南米開催ということで、欧州勢の多くが出場を断念。当時の移動は船であり、その長旅を嫌がったことが原因だという。そこで国際サッカー連盟(FIFA)は加盟国すべてに招待状を送ったものの、日本は不参加を表明したのだ。当時の日本は1927年に起きた昭和金融恐慌による経済不況の真っただ中。協会自体も財政難で渡航費を捻出できないため、辞退せざるを得なかったという。渡航費さえあれば、日本のW杯初出場は意外にも第1回から成し遂げられていたかもしれない。また、第3回の1938年フランス大会で日本は、初めてW杯にエントリー。オランダ領東インドとの直接対決に勝てば本大会出場が決まることとなっていた。が、日中戦争が激化しW杯どころではなくなってしまったため辞退したようだ。現在では、数多くの予選試合を経ないとW杯出場は勝ち取れないが、当時はたった1つの国に勝ちさえすれば出場できたという。戦争に阻まれたあたり、これもまた歴史のいたずらだろう。
また、1958年の第6回スウェーデン大会も視野に入ってはいたが、W杯に出場した選手はオリンピックに出られないこと、同年には東京でアジア大会が開催されることなどの理由により、日本は参加の申し込みをしなかったという。1950~60年代当時、日本はアマチュアリズム全盛の時代で、W杯よりオリンピック優先。特に1964年の東京オリンピックまでは、サッカーも他のスポーツと同様、オリンピックに照準を合わせて強化が行われたのだ。
そもそも当時の日本はW杯の価値をそれほど理解しておらず、アジア予選におけるバックアップ体制も万全ではなかった。むしろ、オリンピックに向けての強化試合ぐらいの認識が強かったという。その結果、東京オリンピックでは予選リーグを突破して決勝トーナメント出場を果たし、1968年メキシコオリンピックでは銅メダルを獲得した。
それだけの力があっただけに、当時W杯に注力できていれば、日本のサッカー史も変わっていたのではないかと悔やまれる。しかし、そうした過去も踏まえて日本サッカーの歴史といえるだろう。今大会の日本代表には、歴史を変えるような戦いぶりに期待したいところだ。web R25

メキシコ代表にハプニング! マルケス「バスが縮んだ」
12日に開幕するブラジル・ワールドカップに向けて現地入りしているメキシコ代表が、チームバスの故障というアクシデントに見舞われた。
今大会では公式スポンサーである『HYUNDAI』から出場チームごとのスローガンがラッピングされたチームバスが提供されている。その中でメキシコのスローガンは「いつも団結、いつもアステカ」という独特なものであるが、チームバスの故障によって、メキシコの選手たちは早くも離れ離れの移動を強いられることとなったようだ。
メキシコの選手たちは10日、滞在先のホテルからチームバスに乗り込み、練習場へと出発しようとした。だが、チームバスはエンジンの故障か、全く動く気配を見せず。この状況に業を煮やした一向は、チームバスでの移動を諦めて、タクシーに分乗する形で練習場に向かうハメに。普段はチームバスの後部座席を優雅に占有する重鎮のDFラファエル・マルケスも例外ではなく、狭いタクシーの後部座席に3人で肩をひしめき合わせながら乗り込んだ。
だが、意外にこの状況が楽しかったのか、マルケスは自身の『インスタグラム』に「バスが縮んじゃったよ」というコメントとともに、満面の笑みを浮かべながらタクシーの車内で記念撮影する姿を投稿していた。
なお、練習場から戻る際にはチームバスの修理は無事完了。選手たちは仲良く1つのバスでホテルに戻ることができたそうだ。ワールドサッカー

外国人の技能実習生は毎年1,000人前後の方が行方不明になっています。
人手不足という名目の実習生とは何ぞや
不法滞在に使われてる。こんなのしか来ないと思ったほうが良いかもしれませんが
不法滞在してのうのうと暮らしている連中を探せないのか、探す気もないようですが..
ザルのイミグレーションには呆れかえります。

浅草寺で仏像壊す、サウジアラビア国籍の慶大院生逮捕 
他の寺でも損壊ほのめかす
東京都台東区浅草の浅草寺で、「外国人風の男が仏像を壊している」と警視庁浅草署の交番に連絡があった。同署員が寺の敷地内で、ひびが入るなどした仏像4体を発見。本堂近くにいた男を同署に任意同行して事情を聴いていたところ、仏像を損壊させたことを認めたため、器物損壊容疑で逮捕した。逮捕されたのは、サウジアラビア国籍で川崎市幸区南加瀬、慶応大院生、モハマド・アブドゥラ・サード容疑者(31)。「ほかの寺でも仏像を壊した」という趣旨の供述をしているといい、同署が確認を進めている。逮捕容疑は11日未明、浅草寺で石製の地像菩薩3体と、銅製の観音菩薩1体を壊したとしている。同署によると、被害にあった仏像は扉のないほこらの中や、野ざらしの状態で祭られていたという。
宗教戦争になるくらだから もし日本人がコーランを破り焼き捨てたならどうなるか..早速暗殺や脅迫が始まるだろう。いい加減にやられて穏便に済まそうとすることはやめないといずれ痛い目にあうかもしれませんよ。すでに周りの国からは完全に舐めらていますけど..