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学会で好かれない私たちの研究

人の上に乗ってくる重くて可愛いネコ

生き残った日本語教育の経験

アメリカと日本の教育の大きな違い

娘の学校選びで今もわからないこと

脱着が苦痛で無理だと思った靴

娘が13年間もらい続けた助成金

ヴィトンで招待された幸運なランチ(2回目)

驚くほど遅れていた日本の支援教育

娘の訳のわからないカードの使い分け

20年で数回だけの夫との(日本での)買い物

雨の平日なのに並んでいるお店

義父からの食事はまだか攻撃

びっくりした子持ち様という発言

用意されていなかった私のベッド

32年のアメリカ生活を終える日

 

アメトピ経由でいらしてくださった方のための自己紹介はこちらです

自己紹介

前の記事で、義兄が義父が定年退職後に再就職しなかったことを責め口調で批判していたということを書きました。私は常日頃、義家族間のパワーバランスというか生き方への干渉がとても気になっていました。

 

私の両親は共働きで、母はただの一度も「私のほうが稼いでいる」とか「私だって働いているんだから」的なことを父の面前や他の親戚に言ったことはありませんでした。言っていたとしても娘である私は聞いたことはありませんでした。父は私が中学に入る頃に自由業(フリーランス)になったので、健康保険などは母の私学共済に入っていたし、よく家にいたので近所の人は「あそこの家は奥さんが働いていて家計を支えている」と思っていたかもしれません。けれど父は母以上によく働き、海外出張や地方での講演など目まぐるしく忙しい日々を過ごしていた時期もありました。50歳を過ぎて病気になってからも家で原稿を書いて本を出版したり、週1回だけはレギュラーの番組に出ていました。

 

子供の私から見ても母は元祖『ワンオペ』子育てをしていて大変そうでしたが、私が小さい頃は同居している祖母がよく面倒を見てくれました。私が大学に入った年に母方の祖母のために敷地内に家を建ててあげて、そこに10年くらい祖母が住んでいました。つまり母は、自分の親と義母の老後の生活を支えながら、ずっとフルタイムで働いていたのです。

 

別に私の親を神聖化するつもりはありませんが、晩年、義母が「私も職業を持っていた」とか「子供たちの学費は私が稼いだお金で払っていた」とか言っているのを聞いても「そうなんですか。それは大変でしたね。」とは言えませんでした。義母は生まれた時からお手伝いさんがいる家で育ち、(本当かどうかは分かりませんが)学生時代にはファーストクラスで海外旅行に行かせてもらい、ブランド物をたくさん買っていたとか...そして学校の休みの時期は毎年、軽井沢の別荘で過ごしていたそうです。そして義父と結婚してからは、自分の親の家の敷地に家を建ててもらい、義父はマスオさん状態でそこから会社に通っていたそうです。よく笑い話で「お父さんは家に全然いなかったから、子育てをまったくしていない」と言いますが、もし義母が本当にきちんとした職業を持っていたのなら、自分もそれほど子育てに集中はできなかったんじゃないかと思います。まぁ、家にお手伝いさんがいたのなら、それも可能だとは思いますが...

 

一度、義父のお友達が「義母はやたらと張り合う性格で、私がずっとフルタイムで働いているから、自分も頑張っていたと言いたいんだろうけど気にしないで」と私に言ったのが印象に残っています。義父の友達にそんなことを言われるくらいだから、おそらく若い頃から、そう言う気質だったんじゃないかと思います。

 

私の目に見えない圧を感じたのか、義母は晩年、あまり私の前で「自分は金持ちだった」とか「義父の稼ぎじゃ足りなかった」的なことは言わなくなりました。けれどおとなしい(温和な)人には何を言ってもいいという空気やいない人をこき下ろす発言が義家族の間にはあり、その家族間のパワーバランスがとても嫌でした。

 

なぜか昨日の敬老の日にそんなことを思い出してしまいました。

 
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