裁判傍聴(その3) | じぃのヒトリゴト

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NPO法人生活環境ネットC&Cの代表が管理するブログです。
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博多ストーカー殺人事件の4回目の公判を傍聴(私は2回だけですが)した後、

胸の中のドロドロ、ズブズブが続いています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/07bb7d57fec9bfd4e51358a03d55949ba977d954

臨床心理士さんの説明は、子供の頃から親とのコミュニケーションがうまくいかず父親からの虐待もあって、それが高じてストレス耐性が弱くなったという結論だったと思います。

それに対するネットの意見の大半は、「それは気の毒だけれど、犯した犯罪の言い訳にならないし、罰を軽減する理由にはならない」ということです。私もそう思います。

 

しかし、このドロドロ感はいったいなんだろうか。

マスク越しながら、目つきはやはり怖いのですが、嘘をついているようには見えません。聞かれた質問に、正しく伝えようという意思があるように思います。

結局のところ、ストーカを訴えられたことによって、仕事を失い、周りから追い詰められたという被害者意識が強く、しかし、それが抑えがたくなってとんでもない犯罪を犯してしまったことを1年半も経った今でもうろたえ後悔しているといった感じに見えます。

それは、一方的な歪んだ感覚ではあるのですが、今でもそこから抜け切れていないように思いました。

後悔していることは「福岡に来たこと」、望むこと「事件前日に戻りたい」。

 

凶悪事件と一緒にするのは、適当ではないと思うのですが、2日間数時間ずつ傍聴しながら、この数日テレビを賑わせているもろもろのことを思い起こしました。

たとえば、東京都知事選の掲示板ジャックのこと、全裸ポスターのこと、あるいは自分たちが妥協しなかったために支持率を下げることになった現首相へ退陣要求をする自民党若手議員のこと。

 

歪んだ被害者意識、一方向の使命感、バランスを欠いた自己主張の行きつく先が、とんでもなく不幸なこの事件だったような気がして、気が滅入りました。

 

なんだか、日本が壊れていきそうな気がして。