テレビで、1970年大阪万博を特集していました。
私も、大学生だった頃に行きました。
たしか。
というくらい、全く記憶に残っていません。
基本的にこういうお祭りが好きではないというのはあるのでしょう。
1989年に「よかトピア福岡万博」をごみ処理の面から紹介する原稿を書くために2回ほど訪ねたことがあるのですが、それもほとんど覚えていません。いま覚えているのは、「よかトピアの光と影」というタイトルの原稿にしたのですが、福岡市から「影」という表現は何とかならないかというクレームがついたことです。ぴっかぴっかの表の傍らで黙々とごみ処理に取り組んでいる方々を「影」として表現したのですが、今PDFに残っている原稿を見るとタイトルは変わっていないので振り切ったのだと思います。
1970年大阪万博のかなり後に、その隣りに1990年頃に日本最初のリサイクルプラザができたことが私にとって大きい。NPOを始めてから、リサイクルプラザの元祖にいろいろ協力をもらわなければいけないので、数回は訪ねています。ブータンの方々を案内したこともあります。だから、太陽の塔がまだ壊れていないんだという驚きが一番かもしれません。
あっ、それと、UCCが初めて飲まれるようになったのが万博だということもテレビで紹介されていました。これは、拙著「ごみの戦後史」p23に記述しています。ごみをやっていると、飲料容器は散乱ごみの原因になる悪役ですから、それは詳しく調べています。悪い順番は、アサヒ缶ビールが1958年、缶入りトマトジュースが1959年、缶入りコカ・コーラが1965年、UCCコーヒーが1969年です。
1970年万博といえば、缶コーヒーです。この万博を機に飲料容器の不法投棄が大きく増えてしまいました。と考えると55年後の万博の数少ない進歩は、飲料容器の不法投棄がほとんど問題にならなくなったこと、だったりして。