”ちゃんと”が連れて来るもの | ​​​​​​​恋愛、依存から自立へ

​​​​​​​恋愛、依存から自立へ

人と人との繋がりに”依存”はある
だからそれが悪いわけじゃない
でも今在る場所に私らしさがなくなっているのなら
それは私にとっての幸せな景色じゃない
だからもう一度、彼が惹かれた私に戻る
私が好きな私を作る

おはようございます

夜になっても25℃から気温が下がらない

熱帯夜という言葉がありますが

30℃からも下がらないような

厳しい暑さが一気に増えたように感じます

1日中エアコンが切れない時には

暖かい飲み物を口にしたり

ゆっくりお風呂に入ったり

私を温める、を意識してあげたいですね

 

今日もブログに訪問して下さって

本当にありがとうございます

 

以前病院の待合室で

動き回っていた小さな男の子が

お母さんから「ちゃんとしなさい」

そう何度も注意されている場面に出会った

 

もちろん

お母さんの気持ちはとてもよく分かる

 

ただ男の子は

”ちゃんとする”、がどういうことなのか

どうしていることがちゃんとしているなのか

よく分からないんだろうな

そんな気持ちが涌いて来た

 

でもそれは大人も同じ

ちゃんとする

きちんとしている

そこにどなたにも共通の

分かりやすい数値はないから

それぞれの人にそれぞれの

”ちゃんとする”があって

 

そのそれぞれにある”ちゃんとする”が

人と人との繋がりの中で誤作動を起こし

イライラや不信を招いてしまうことがある

 

例えば待ち合わせ

時間の前に着いていることが当たり前

そういう方もいれば

携帯があるのだから

時間通りではなくても問題にはならない

そういう方もいる

 

もちろんそれは二人の関係性によって

絶対に遅れることは出来ない

そういう待ち合わせもあれば

融通が利く待ち合わせというのもある

 

ただ時間の前に着いていることが

ちゃんとしている、の人と

遅れたとしても連絡をすれば

ちゃんとしているになる、の人とでは

先に到着して待っていた側はもちろん

連絡をしたのに注意されたとしたら

遅れた側にも

イライラが生まれやすくなる

 

ちゃんとしている、の定義が違えば

当たり前を求めているだけなのに

求められている側は窮屈感を抱いたり

完璧を求められている

そう感じてしまうこともあって

 

それは

求められていると感じる側だけでなく

求めている側にとっても

イライラが増えたり

当たり前なことをしてくれないことに

なぜ?どうして?と

私への想いや価値を絡めあれこれ考える

その景色も生んでしまう

 

ただ”ちゃんとする”、が違うだけなのに

大切にされていない

愛されていない

尊重してもらえない

そんな気持ちさえ連れて来てしまう

 

だからもし

当たり前なことを求めているだけなのに

相手の反応や行動に

なぜ?どうして?が増えた時には

 

私の中にある”ちゃんとする”

その定義を一度振り返ってみよう

 

ちゃんとしないことで

何が起こると思っているんだろう

きちんと出来ないことで

どう思われてしまうと感じているんだろう

ちゃんとしないと、きちんとしていないと

何が上手くいかなくなる

そう感じているんだろう

そこを見てあげよう

 

ちゃんとしていないと認めてもらえなかった

きちんとやらないと褒めてもらえなかった

その経験から

私が私に対して

”ちゃんとする”を求め過ぎていないかな

”きちんと出来ない”とダメ、と

私が私に厳しくなっていないかな

そこを見てあげよう

 

ちゃんとする

きちんとしている

それは安心して任せられるという

信頼という何よりの魅力だからこそ

 

ちゃんとする

きちんとしている

その私の在り方が私を窮屈にしないように

大切な人との間に

誤作動を起こさないように

 

私が好きな私で居るための

”ちゃんとする”

”きちんとしている”は大切に

 

でもそれを当たり前として求めない

 

私が好きな私が

大切な人たちとの繋がりに

窮屈感を連れて来ないように

時々振り返ってみよう

 

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カウンセラー えがお

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