運命ハック -10ページ目

運命ハック

オリジナル占術を幾つか編み出しましたので、それを用いて不定期に占っていきます。

ネット上で占星術と統計学について言及されたものはあまりなかったが、数少ない言及から要所を引用してみる。



https://www.senjutsu.jp/archives/2013/82


四柱推命でも、占星術でも、生年月日を使っていても、カードをめくっていても、占いは統計学ではありません。

なぜかというと、占いのデータやプロセスを統計学の手法で扱うことは極めて難しく、またそういった研究も十分にはなされていないからです。

要するに、占いに登場するさまざまな要素が、統計学で扱えるほど数値化できていないのです。

統計学とは、集めたデータを分析して、法則や有益な情報を得るための学問です。その一連の作業を統計解析と呼ぶことにします。

統計解析をする際に最も大事なのが、データの量と、データの質の確保です。正しい手法で、有意義なデータを、たくさんの集めなければ統計解析はできません。

占いというのは構造的に、本質的に、これらを満たすのが難しいのです。これが、占いが統計学ではないという最大の理由です。

1.統計学にはなぜデータ量が必要なのか?

これを占いの話に置き換えてみましょう。たかだか2人3人の鑑定から得たデータでは、何らかの統計学的な理論が見つかったかのように判断することはできない、ということになります。当たり前ですね。

2.占いで扱うデータの質の問題

正しい手法というと難しく聞こえますが、要するに「まんべんなくサンプルデータを集める」ということです。

こういった偏りは鑑定料金だけではなく、鑑定する場所、鑑定に使う占い、占い師が男性か女性か、若いかそうでないかでも、発生すると考えられます。このように、まんべんなくというのは本当に難しいのです。

3.データの定義の問題

結婚の時期を占うにしても、結婚を決意した時期が出ているのか、プロポーズされた日が出ているのか、結婚式の日が出ているのか、戸籍を入れた日が出ているのか。死期を占うにしても、脳死はどう扱うのか、事故死と自然死は区別するのか。すべて決めなければなりません。

4.占いの分析手法そのものも数式化が難しい

「自分のは統計を用いた占いだ」と言うためには、全てのデータに対し、全て同じ占法を使って、機械的に鑑定を進めた結果を元にしていなければなりません。


https://asahinajun.com/classic-astrology/statistics


1.占星術が当たることを統計学で証明することは難しい

こういう当たり外れが曖昧な結果が多いものは、統計学で分析することができません。
統計学で何かを分析するためには、対象を正確に測定する必要があるためです。

統計学は、量を分析するものなので、単位がつかないものは分析できません。
分析方法をよく見れば、数値化についての基準と方法が記載されているはずです。

“統計量”が計測できないということは、統計学が使えないということ。
だから、占星術が当たることを統計学で証明することは難しいのです。


https://life-analyze24.com/uranai-toukeigaku/


統計解析をするために最も重要なのが、データの量とデータの質の確保です。

・データの量と質

偏りのあるデータではなく、正しい手法で集められたデータでなければなりません。

占いをするにあたり、まんべんなく集められたデータなのか、きちんと確認してみてください。

統計学において、データの量と質が大切ということはご理解いただけたでしょうか。

・データ化・数値化できない

「占いが統計学ではない」という一番の要因が、占い結果をデータ化や数値化させるのは難しいことです。

占う相手の年齢、性別、出身、職業などを調べた上で、鑑定後、どうなったかというのをすべてまとめているでしょうか。

占いが当たった人も当たってない人もです。

占いは、鑑定結果を可視化できないですし、抽象的な内容をデータにまとめることはできません。

データの量と質を正しい手法で集めることは、占い師の実務上難しいですよね。

これが、占いが統計学ではない理由です。
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これらの意見は、簡単に言えばデータの量、質、定義、分析手法(占法)の四点で統計学者から「お前ら占い師はこれらの条件をクリアできないだろ?」と高を括られ、舐められているということだろう。

それは彼らに占い師や占星術にたいして偏見があるからだが、そもそも彼らが認識する占星術とは既知のそれであり、ちと古い。

私はそこに独自の手法を加え、異質な体系を作り上げたが、それでもまだ革新が足りないだろう。
そのくらい今の占星術は不完全だ。

50年前にセドナやオルクスの小惑星が未発見だったように、今もまだ重要な何かを見つけられずにいるのだろう。


前回の記事で私はこう書いた。

①ID論を証明するための占星術→占星術師の責務。
②占星術を証明するための統計学→科学者の責務。

引用したリンク先は最初と二番目が占い師のものだが、彼らは①をクリアしてない。
最後のは統計学者だが、②をクリアしてない。

占い師なのに占術研究で新機軸を打ち出さず、既知のそれに埋没したままでは①はクリアできない。

統計学者だからといって占星術をろくに学ばず、歩み寄らず、先入観から下に見て手を差し伸べないのでは②をクリアできない。



彼らは占い師に統計学としてのクリア条件を突き付けるが、私も彼らに課題を突き付ける。
そしてそれは自らにも課す。

私はすでに①をクリアしたが、②はまだだ。
しかし彼らと違い、私は諦めが悪い。

頭は無理難題を解こうと足掻いてこそ真価を発揮すると信じている。

どうにも占星術で一番大事なことが占い界隈で言及されていないのがモヤつく。


その前に占星術について基本的な情報を整理すると、
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Wikipediaより引用。
占星術または占星学は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う(占い)。

占いとは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断、予言することや、その方法をいう。

運命
人の意思をこえて幸・不幸を与える力、元から定められている巡り合わせ

天命とは、天から与えられた命令のことである。

天は、東洋思想の鍵概念のひとつで、人の上にある存在、人を超えた存在をあらわす。

(キリスト教)万物を創造した唯一の神がいる世界を漢字で表すために「天」が用いられている。「天主」とは神のこと。「天使」とは神の使いのこと。
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占いと宗教との関係
旧約聖書のイザヤ書には、雲の形を読む卜者(2章6節、57章3節)、肝臓占い、あるいは口寄せによる占い師(8章)、星占いや夢説きをする占い者(3章2節、44章25節)が糾弾され、エゼキエル書21章26節では、バベルの王が、「矢をすばやく動かし、神の像に伺いを立て、肝臓を見て」占ったと書かれている。

アブラハムの宗教
占いは古代から行われてきたが、アブラハムの宗教ではこれを異教のものとして否定している。例えば旧約聖書では『民数記』18章9-14節、23章23節、『サムエル記』15章23節、『エレミヤ書』27章9節、新約聖書では『使徒行伝』16章16-19節、『クルアーン』では4章90節で邪悪な行いとして退けられている。

これら三つの唯一神教は共通して占いを悪魔や悪霊のわざとしている。とはいえ中世のキリスト教圏、イスラム世界では占星術が行われていた。
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AI による概要
キリスト教と占星術の関係は複雑で、一般的にキリスト教では占いは忌み嫌われます。しかし、占星術の歴史や解釈は、キリスト教の教えや文化と深く関わってきた側面もあります。

キリスト教と占星術の関係:
占いの禁止:
キリスト教、特に旧約聖書では、占いや呪術を禁じる記述があり、占星術もその一つとして忌避される傾向にあります。

中世の解釈の変化:
中世になると、占星術を「天体の影響を研究する学問」として捉え、神の創造物である天体の動きを研究することは、神を理解する一助になると考える人も現れました。

占星術とキリスト教の融合:
一部のキリスト教徒は、占星術を聖書の内容を解釈する手段として利用したり、キリストの誕生を告げた星を「ベツレヘムの星」として崇拝したりするなど、占星術とキリスト教を融合させた考え方を持つこともありました。

現代の解釈:
現代では、占星術を疑似科学として捉える見方が一般的ですが、一部のキリスト教徒は、占星術を「自己啓発」や「セラピー」として利用する傾向も見られます。
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占星術とは占いであり、占いとは運命を読むもの。
運命とは天界からの命令であり、天とは神に言い換えられる。

キリスト教は神の領分を踏み越える占星術を否定したが、一部の信者は神の権威を補足する趣旨でお目こぼし的に占星術を肯定している。

非西洋、非キリスト教圏の日本ではカルト宗教によるテロ事件や霊感商法を切っ掛けに、キリスト教圏とは別の意味で大っぴらに神について語ることはタブー視され、占い界隈でも論じられない。

しかし占星術とは天命を読むものであり、天である神に触れないのは不自然だ。


私の考える占星術とは運命を読むものであり、運命にはシステムがあり、システムには製作者がおり、製作者とは神、またはそれに準じる存在である。

占星術とは神もどきの命令を盗み読む行為であり、神もどきに対する情報戦、ハッキングである。

この大前提が占星術において最重要であり、これを承諾しないまま占星術を学んでもただ現世利益を追求する俗物に堕するだけだろう。


この世に神(もどき)はいる。
それゆえ無神論は全くの間違いである。

キリスト教も占星術を否定し、占星術もキリスト教が悪魔扱いする古代ギリシャや古代ローマ、果てはインドやイヌイットの神さえ小惑星の象意に使用するため、キリスト教とは相容れない。

一部のキリスト教信者が占星術を肯定しようとも占星術の方はキリスト教を否定し、間違いだと(少なくとも私は)断じる。

①神(もどき)の実在の肯定。
②無神論の否定。
③(小惑星の象意としての)古代多神教の神々の肯定。
④一神教の否定。

ここを曖昧にするのが処世術だろうが、本気で占星術を肯定するなら世界の大半を思想的に否定せねばならない。

このスタートラインに屹立することが占星術に携わる上で一番大事なことだと私は考える。

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Wikipediaより引用。

インテリジェント・デザイン
「知性ある何か」によって生命や宇宙のシステムが形作られたとする理論

創造論とインテリジェント・デザインは似ているがやや異なっている。創造論は、クリスチャン(やムスリムなど)が聖書(やクルアーンなど)を信じ「聖書は神ヤハウェの言葉であり、聖書の記述は全て正しい。創世記に書かれている天地創造や生命の創造に関する記述も正しい。よって宇宙も地球も地球上の生命もすべて神ヤハウェによって創造された」と信じて自然を眺める考え方である。

それに対してインテリジェント・デザインは、まず自然の領域を積極的に観察することから出発し、生命の中に精妙さ、高度さがあることを認め、驚嘆し、そこから「こんなに精妙なことは自然に起きるはずがない。だとすると、地球上の生命は知能の高い設計者によってデザインされたはずだ。この精妙さは、知能ある何かが関与した証拠だ」という推論を行い結論に達するという考え方である。

よって、両者は思考のスタートが異なっているが、生命は誰かによって設計されたという点で同じ結論に至る。
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このID論は少なくとも占星術に関して正しい。

占い界隈で神に言及することがはばかられるなら、せめてID論風に「知性ある何か」の実在を運命システムの出発点として確定させないと、占星術を内包する世界観を確立、普及されることができないのではないか?

また逆にID論にとっては占星術が当たることがその証明に最大の貢献をするものと思われる。

ただ占星術を科学的に検証する科学者自身が占星術について無知、または既存の占星術師自身が占星術について無知である実情から、占星術の科学的証明に高いハードルがあるのが現状のようだ。

①ID論を証明するための占星術→占星術師の責務。
②占星術を証明するための統計学→科学者の責務。

②が思うようにいかない場合、占星術師は①の占星術研究の更なる発展のみならず、統計学的な証明を他人任せにせず、自分で統計学を勉強し、立証しなければならないのかもしれない。

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https://note.com/mayuko_kageshita/n/n9318790f9297


自殺と星の動きには、何らかの関連性があるはずで、それは、ホロスコープのなかに現れるに違いないー。
調査は、この仮説を検証するためにおこなわれた。
(中略)
そしてどのような結果がでたかというと・・・何もない。
皆無という結果が出た。
(中略)
上岡さんが鏡先生に
「飛行機事故にあった人はなぜその事故にあうことが事前にわからなかったのか?」と聞いたんです。
(中略)
そのとき鏡先生はどのように返事をしたかというと
「人間の命っていうのはそういうので割り切れるものじゃない」
という風におっしゃったんですよね 。
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この自殺の占星術における統計学的な調査は1970年代に行われたそうだが、その頃はまだ小惑星の研究が進んでなかったのだろう。

セドナやオルクスの発見が2004年頃なので仕方がない。

昨今もそこまで進んでないが、少なくとも現代に生きる今の私ならセドナやオルクスが効いてることを指摘できる。

私が今抱いてる野心は、私のオリジナル占星術全てを使って今一度大々的な占星術の統計学的な調査を行うというものだ。

現状何から手をつければ良いのか何も分かってないが、当面の究極的目標が占星術の学術的証明と科学としての復権なのは世の全ての占い師が一致する所だろう。

書いたはいいが投稿をためらった記事。

しかし遠野なぎこさんの訃報を聞き、上げておこうと思った。

親からの虐待は●の技法に取り組みつつトラウマを思い出し、凍てついた感情を氷解させることで癒すのが恐らく唯一の治療法だろう。


(●の技法はあまり広めたくないので伏せるが、精神世界の専門店で黒い表紙の本がそれだから本気で探し求めるなら入手できるだろう。)


彼女の場合も障害者以上健常者未満のケースに当てはまると思うが、心の愛情不足が摂食障害を引き起こし、身体の栄養失調からカリウムを欠乏させ、心臓を止めた可能性が浮上している。


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私が勝手に考える障害者の分類は以下の通り。


①器質的障害
生活や労働に支障を来す。
知的障害、身体障害。

「治らないためサポート必須の悪条件」。
ハード的全壊。

AI による概要
発達障害と知的障害はどちらも脳機能の障害によって引き起こされる障害ですが、その特徴と影響の範囲に違いがあります。発達障害は、特定の分野での発達の遅れや偏りがあり、知的障害は全体的な知能の発達が遅れている状態です。

身体障害とは、先天的あるいは後天的な理由で身体機能の一部に障害を生じている状態、あるいはそのような障害自体のことをいいます。 身体障害者福祉法では、「視覚障害」、「聴覚・平衡機能障害」、「音声・言語・そしゃく機能障害」、「肢体不自由」、「内臓機能などの疾患による内部障害」の5種類に分類されます。

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②発達障害
生活や労働は可能だが健常者と比べ性能が劣る。

知的発達障害→アスペルガーなど。
身体的発達障害→低身長症や漏斗胸など。

「症状が安定し(悪化しない)、工夫次第でやりようがある悪条件」。
ハード的半壊。
時間経過で本人は安定するが、周囲が負担を苦にするならカサンドラ症候群のリスク。

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③栄養不足
軽視されがちなため、栄養失調が続くと雪だるま式に状態が悪化し、生活や労働に支障を来す。

知的栄養不足→愛着障害。
身体的栄養不足→栄養失調症。

「放置すれば悪化し続ける悪条件」。
ソフト的半壊。
時間経過で不安定化し、本当の病気障害になるリスク。

https://healthist.net/nutrition/2303/
幼児期の栄養、その後の各ライフステージの栄養が、成人期の健康に影響を与えることがわかってきた。青年期以降は自分の意識の変化から食事や行動を変えてより良い栄養状態につなげることができるが、子ども、特に幼児期の栄養状態をより良いものにするためには、養育者との関わりだけでなく、周囲の環境を整えることも重要だ。

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①の知的障害と身体障害、②の知的発達障害は公的に認知され、サポートがある。
②の身体的発達障害も保険適用された治療法があるならまだまし。

②のうち保険適用外の、例えば歯並びの悪さや斜鼻など美容整形と分類されるようなタイプの身体的障害は公的にサポートされず、人知れず苦しむ。

③も病気や障害でなく養育者や本人の怠慢と見なされ、公的サポートは少ない。

身体的栄養失調には子ども食堂などサポートの気運が高まっているが、心の栄養失調については軽視され、愛情不足から非行や自傷に走る子供の心のケアは蔑ろにされる。


この障害者以上健常者未満の人間は周囲の他人が誰も問題を認知せず、解決法を教えてくれず、孤独に悩む。

「なぜ自分は人と違うのか、なぜ劣るのか」

こう悩むと健常者は若者特有の自分探しと馬鹿にするが、問題が解決されず劣ったまま年老いた人を見たら今度は弱者やメンヘラとして差別する。


健常者が多数派、準障害者が少数派である限り、この構図は変わらない。

みなが等しく罹患するパンデミック時にやっと弱者の気持ちが健常者にも通じたかに見えても、ノーマスク派などウルトラ健常者が猛威を振るい、男らしさの押し売りをした。

準障害者や弱者は固有の悪条件だけでなく、周囲の健常(健康)ハラスメントにも苛まれる。

分かりやすい例は下戸に対する飲酒の強要だが、走れない人にマラソンさせたり、喋れない人にスピーチさせたりと枚挙に暇がない。


この準障害者の身で生まれついた、または人生の途中でそうなった場合、まず自身の問題を解決しないと他の健常者のようには生きられない。

マイナススタートだと認識できず、正しく対処しないで健常者の真似をすると無理が祟って心身をさらに壊す。
健常者はそれを軟弱ものとそしるが、軟弱さが未認可の障害に起因するなら当人に非はない。

それを知らずに非難を真に受けると今度は自尊心が下がり、マイナス思考から最悪自殺に走る。
複雑な家庭出身の芸能人が急に自殺するのは理由がある。


占星術で読む運命は演劇で例えると脚本であり、我々人間はその演者だ。

しかし健康体でない役者が無理して演技すればどうなるか。
現実では休演し、延期するか公演自体止めにするが、人生はそうもいかず、準障害者のまま役柄を演じさせられる。

それで同じ生年月日=同じ脚本なのになぜAさんは成功してBさんはうだつが上がらないのかなんて疑問を呈されるのだから、世の中の人は運命を何にも分かっていない。

ダブルキャストの演劇でAさんは健康そのもの、万全の体勢で本番に望むのと、Bさんが満身創痍で痛みを抱えながら演じるのとで結果が同じはずがないだろう。


物理的に分かりにくい病気障害は見落とされる。
ペイシェントジャーニーの末、かろうじて病気認定されても間違った治療法を示され、最悪薬付けにされる。

準障害者はいざ治そうとしても今度は医療ハラスメントを受ける可能性が高い。
なぜなら医学の怠慢さから準障害は長年放置されたのだから彼らが協力的なわけがなく、知見も蓄積されていない。

死に至らない大病未満の病気障害の世の中での扱いは軽い。
しかしそれは死ぬまで微妙な苦痛や不便を強いられ、健常者との競争に負け続ける屈辱の日々をその人に課す。

それでどうして自分の人生を誇れるか?


障害者以上健常者未満は運命以前の問題であり、できる限りの準障害の治療を施さなければスタート地点にも立てないと肝に銘じるべきだろう。

誇りとは与えられたものでなく、自らの手で勝ち取った失地回復から生じるものであり、苦難の道のりの記憶が自らを奮い立たせる。

この世から与えられたものが屈辱なら、雪辱以外に治す手はない。
この点において仏教の諦観は万策尽きたときのみ有効であり、何もしない内に非戦の理由にすべきではない。


ただし一点注意すべきは対峙するのは他人でなく自身の心身の欠陥だということ。

弱者は強者に、単身は集団に虐げられるものだが、弱肉強食はこの世の摂理であり、お互い様だ。
強者も弱れば、集団も孤立すれば食われる。

違いは強弱と集孤であり、その原因は徹底して自分にある。
意識を自責による自己点検と問題の検知、その修復に集中しなければ人生はあっという間に過ぎる。

それを他責思考で他人を恨み、犯罪にまで手を染めたら人生は台無しとなる。
そこまで馬鹿な人間も準障害者にはおり、またその愚行も準障害に起因することではあるが、最後の一押しは星の定める運命によるのだろう。

準障害は運命以前の問題だが、かといってホロスコープの星の配置まで悪ければ救いようがない。

その場合は生まれついての悪役、損な役回り、異端者と思い、諦観するしかないのだろう。



願わくば不幸の精神的負荷を意識の変性に使い、高次の領域に到達する宗教家や芸術家になれれば異端者の誉れだ。


しかし現実には低次元の変性により自殺や犯罪に手を染める異常心理に陥ることも多いことが準障害者の評判をさらに下げる。


じゃあどーすりゃえーねんと言われそうだが、生憎私は●の技法以上の解決法を知らない。

Wikipedia「世界恐慌」より引用。


世界恐慌以前の世界情勢
アメリカの好景気と投機ブーム

1920年代、アメリカは住宅と耐久消費財の需要を背景として、空前の好況にあった。これらの需要は1927年にピークを迎えたが、1924年以降流入した投資資金によって株価は上昇を続け、ダウ平均株価は1924-29年の5年間で5倍に高騰した。

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1927年
3月1日
92.37

6月1日
115.30

9月1日
119.62
⭐️トライン
トライン一度目。

12月1日
103.94

1928年
3月1日
109.40

4月1日
116.12
⭐️トライン。オーブ4
二度目。

5月1日
124.18
⭐️トライン。オーブ4

6月1日
133.12

7月1日
140.92

9月1日
147.73

12月1日
131.41

1929年
3月1日
127.71
⭐️トライン。オーブ8
三度目。

4月1日
132.73


三度あったトラインは全て不発。

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「世界恐慌」
1929年6月からヤング案成立に向けてハーグで国際会議がスタートした。

1929年7月30日の報道によると、ニコライ2世の親族らが、保有する財産600万ドルを返還させるためにアメリカ中の銀行を訴える構えだという。

1929年8月9日、連邦準備制度は公定歩合(政策金利)を6%に引き上げた。

1929年9月3日、ダウ平均株価は381ドル17セントという当時のピーク価格をヒットした。

1929年9月26日、イングランド銀行が金利を引き上げ、アメリカの資金がイギリスへ流れた。

そのような状況の下1929年10月24日(木曜日)10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80セント下落した。下落直後の寄り付きは平穏だったが、間もなく売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり、株価は大暴落した。


・証券パニックから世界恐慌へ
1930年9月、国際連盟の金委員会による報告書が公表された。

1930年10月、ブラジルでカフェ・コン・レイテに対する暴動とクーデターが起こり、ヴァルガス時代が到来した。

1930年12月、フランス植民地金融社が倒産の危機に瀕した。

1931年1月、ボリビアがデフォルトした。そして他の南米諸国も次々と債務不履行に陥った。

同年5月11日、オーストリアの大銀行クレジットアンシュタルトが破綻した。

クレジットアンシュタルトの破綻を契機として、5月にドイツ第2位の大銀行・ダナート銀行が倒産し、7月13日にダナート銀行が閉鎖すると、大統領令でドイツの全銀行が8月5日まで閉鎖された。

さらに数千万ポンドを失ったイングランド銀行は1931年9月11日金本位制を停止し、第一次世界大戦後の復興でやっと金本位制に復帰したばかりの各国に衝撃を与えた。
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1929年

6月1日

148.88

1929年8月1日
165.65

1929年9月1日
170.62
オポジション。オーブ9

1929年10月1日
171.59
⭐️オポジション。オーブ8

🏴‍☠️1929年10月24日(大暴落)
169.49
オポジション。オーブ10

1929年12月1日
161.60

1930年1月1日
154.15

1930年2月
150.86

1930年5月
155.55

1930年8月1日
178.64
⭐️オポジション。オーブ1

1930年9月1日
171.46
⭐️オポジション。オーブ8

1930年12月1日(フランス植民地金融社が倒産の危機)
170.57
⭐️オポジション。オーブ9

1931年5月1日(オーストリアの大銀行が破綻)
171.60
⭐️オポジション。オーブ8

1931年8月1日(ドイツの全銀行が閉鎖)
165.33

1931年9月1日(イングランド銀行、金本位制を停止)
157.01

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1929年10月24日の世界恐慌は木星土星がオポジションになる前に発生。
オーブは手前に10度。

その後、180度にならずに逆行し、150度まで下がったあと上昇し、1930年8月にタイトなオポジション形成。

そこから証券パニックから世界恐慌へと発展するという経緯だ。

オポジションのターゲットは株価暴落でなく世界恐慌だったのだろう。


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ちなみに1971年のニクソン・ショックもセドナの牡牛座イングレスだけでなく木星土星のオポジションが効いていた。

>第2次ニクソン・ショック(ドル・ショック)は、1971年8月15日に発表された、
>米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終結を告げた新しい経済政策をいう。

>1971年8月16日、日経平均株価は215円(7.68%)下落し、当時の過去最大の下落幅を記録しました。
>これは、ニクソン大統領の発表が、日本の経済に大きな不確実性をもたらしたためです.

1971年8月15日
171.77
⭐️オポジション。オーブ8


この一つ前の木星土星オポジションは1952年だが不発。
代わりに1953年3月にスターリン暴落が起きている。

>スターリン暴落とは、1953年3月5日にソビエト連邦の最高指導者ヨシフ・スターリンの死去を契機に起こった株価暴落のこと。
>スターリン・ショックとも言われる。

1953年3月5日
159.71

この前年に起きたのはこれ。

3月20日。アメリカ合衆国政府、日本国との平和条約を批准。
4月28日。日本国との平和条約発効に伴い、連合国軍による被占領解除(GHQ廃止、日本の主権回復)。

1952年3月
177.67
⭐️オポジション。オーブ2

少なくとも日本では株価どころではなかったのだろう。

Wikipediaより引用。


「バブル景気」
ただし、多くの庶民が「好景気」のような雰囲気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーを過ぎた翌1988年頃からであり、政府見解では、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した1989年12月29日をはさみ、バブル崩壊後の1992年2月頃まで、バブル経済の雰囲気は維持されていたと考えられている。

1988年秋に来日したアラン・グリーンスパンFRB議長は、日本銀行にて「日本の株価は高過ぎるのではないか」と述べていた。

1989年(平成元年)4月1日、消費税(税率3%)が導入された。


「バブル崩壊」
プラザショック対策としての金融緩和で不動産価格が実体乖離の高騰後、急激な引き締めによる「退治」が招いたハードランディング・その後の高失業率期

1990年3月27日、土地バブル潰しのため大蔵省より「土地関連融資の抑制について」いわゆる総量規制が通達され、日銀も引き締めに動き、これがバブル崩壊の引き金となったとされる。

東証株価指数、日経平均株価については、1989年(平成元年)12月に、それぞれ終値の最高値2,898.47、38,915円87銭をつけたのをピークに翌1990年(平成2年)1月から暴落に転じ、湾岸戦争と原油価格高騰や公定歩合の急激な引き上げが起こった1990年(平成2年)9月には、それぞれ1500、20,000円台まで下落し、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。1993年(平成5年)末には、日本の株式価値総額は、1989年末の株価の59%にまで減少した。

地価は、1991年夏ごろ(東京、大阪の大都市圏では1990年秋ごろから、地方圏では1992年、公示価格ではさらに1年遅れの1993年ごろ)に、路線価も1992年初頭をピークに下落していった。
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1987年1月1日
92.13
⭐️スクエア。オーブ2

1987年4月1日
105.89

1987年5月1日
113.76

1987年6月1日
122.35
⭐️トライン。オーブ2
トライン一度目。

1987年7月1日
129.64

1987年8月1日
134.36

1987年9月1日
134.82

1987年10月1日
130.98

🏴‍☠️1987年10月19日(ブラックマンデー)
127.25
⭐️トライン。オーブ7
トライン二度目。

1987年12月1日
121.71
⭐️トライン。オーブ1

1988年4月1日
117.31
⭐️トライン。オーブ3

1988年10月1日(グリーンスパン発言)
159.32

1989年4月1日(消費税導入)
139.95

1989年6月1日
153.84

1989年8月1日
171.63

1989年9月1日
178.50
⭐️オポジション。オーブ1.5

1989年10月1日
178.00
⭐️オポジション。オーブ2

1989年11月1日
178.47
⭐️オポジション。オーブ1.5

1989年12月1日
177.01
⭐️オポジション。オーブ3

🏴‍☠️1990年1月1日(株価暴落)
169.59
オポジション。オーブ10

1990年3月27日
158.15

1990年9月1日
166.24

1991年8月1日(地価ピーク)
162.28

1992年1月1日(路線価ピーク)
141.24

1993年12月1日(株価41%減少)
110.34

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アメリカのブラックマンデーは二度目のトラインで株価暴落。
オーブは手前7度と不意打ち気味。

日本のバブル崩壊はオポジション、オーブ10度と今度は遅れて不意打ち気味。

いずれも120度or180度の二択で発動。
オーブは前後10度くらい広めでキャッチしないとタイミングを取り損なうだろう。

このセオリーに倣うと今年の年末と来年の夏頃のトラインが不発なら、次は数年後のオポジションが株価暴落の候補時期となる。