ふと思いついたが、想死湧愛はケトジェニックに似ている。
>ケトン体代謝のメカニズムは?
>ケトン体は脳の非常用エネルギー
>糖尿病や飢餓状態で糖が不足しているときには、クエン酸(TCA)回路でアセチルCoAを利用できずエネルギーが不足し、
>さらに糖代謝過程で産生されるアセチルCoA量が減少するためβ酸化が亢進します。
>このとき生成されるアセチルCoAをケトン体に変換し、代替エネルギーとして利用します。
通常の愛着→糖代謝。
絶望の末の慈愛の湧出→ケトン体代謝か?
ケトン体が脳の非常用エネルギーなら、精神にも同様の機構が仕組まれているのだろうか?
それを起動させるトリガーは長きにわたる絶望だが、それは普通の抑うつ状態とは異なる。
うつ病患者に想死湧愛が起きたケースは聞いたことがない。
それが起き得るのは瞑想する修行者だ。
両者の違いは感情に振り回されるか、理性で押さえ込むか。
ゆえに前者では鬱のあと躁状態が起こる。
それでは持続的な絶望にはならない。
思い出したが、かつての私は頭頂部がキンキンに覚めていた。
いわゆる第7チャクラ、サハスラーラに意識が否応なく固定していた。
普通の抑うつ状態ではそんなことは起きないだろう。
恐らく絶望と同時に諦観が発動していたからだと思われる。
①長期的絶望・諦観→「慈愛」の湧出→ケトジェニックな安全基地。
②安全基地→トラウマ直視・解消→「童心」・インナーチャイルドの顕現。
③童心の保持→只管打坐などの本格的瞑想修行→「大悟」。
どうも慈愛や童心、大悟といった成果物を生成するには絶望やトラウマ直視、瞑想修行という苦行を通過せねばならないようだ。
ケトジェニックな安全基地と本来の安全基地が同質のものかは不明だが、絶望の果てに湧出した慈愛は正常な愛着に勝るとも劣らないはずだ。
そう期待して実験を続けるしかない。
サハスラーラに意識が停留するとシータ波が出ると言われる。
>シータ波 4~7ヘルツ
>深い瞑想状態
>おきているか寝ているか分からない状態
>リラックスしている
一方で慈愛はガンマ波だ。
>ガンマ波 40~100ヘルツ
>振動数がとても高い状態
>より深い瞑想状態、修行僧状態
>愛溢れる慈愛の気持ち、恍惚感を感じやすい
もし私の体験がシータ波からガンマ波への飛躍なら一気に10倍以上の脳波の増幅が起きたことになる。
それはまさに爆発であり、何らかの着火材や燃料がなければ理屈が通らない。
だから何かは確実にあるのだろう。
その正体はまだ分からないが。
>また、特定の対象(思考や感情)に心を集中する瞑想をすると、
>意識的な活動をする際に発生するベータ波とガンマ波が強く発生することが分かっています。
>特にガンマ波は記憶を意識的な行動へと活用する際に重要であることが分かっており、
>集中瞑想をすることで脳の覚醒度を高め実行機能を向上させることが期待できます。
>そのため、生産性を高めたい人は集中瞑想を習慣的に取り入れると良いと言えます。
この「対象を特定した集中瞑想」は大きなヒントになるかもしれない。
確かに私も思い当たるところがある。
絶望の闇に長くいるとあるとき特定の誰かが光輝いて見える。
それを詳述するのは野暮だから控えるが、なるほどカラクリは分かった。
①長期的絶望を諦観によって頭頂部・サハスラーラに集める(シータ波)。
②その状態で外界の好ましい人・物・事に意識を集中する。
③自ずと慈愛が涌き出る(ガンマ波)。
あとは再現可能かどうかだ。
一番のネックは絶望を長期間持続させることだろう。
絶望するのも才能がいる。