キリスト教についてもう少し考える。
その教義は神を信じ、死後は天国を求め、生前は規律正しく、悪魔に惑わされず清らかに生きなさい、という至極もっともな内容となっている。
聖書に天国行きのノウハウが記されていないのは、そもそも死後の転生斡旋所では希望するだけで来世の転生先が自由に決められるため、ノウハウなど初めから要らないものと考えられる。
少なくとも啓示が授けられた数千年前は、天国行きの希望を出せば直ぐに通ったのだろう。
輪廻転生を否定するのも同じ理屈で、今生限り地球とおさらばすることを決意してるなら、輪廻などするはずもない。
生前の生き方も倫理として常識的な内容であり、悪魔を避けるのは人間の負の精神エネルギーを食らう思念生物に関わることを避けるのと同じ意味だ。
それは必然的に憎悪など負の感情を否定するため、心身は健康に保たれるので、これもまた真っ当な生活指導である。
と、こうして見てみると平凡とも言うべき単純さがあり、なるほど世界に広まるのも無理からぬことだと痛感する。
ただ一点、訂正が必要な箇所があるとすれば、二千年前はあの世の転生斡旋所で自由に天国、つまり高次元の他星を選べたのが、今では人権無視のかなり強引な手法で地球に送り返され、本当に輪廻のエンドレスが常態になっているとのオカルト情報があることだ。
地球の転生斡旋所が方針転換したのはもしかしたらキリスト教など一神教が輪廻を否定し、死後の魂が地球に留まることを拒否し、地球の人口が減り始めたことによるものかもしれない。
だとしたらキリスト教の教義は一定の効果を上げたと共に、後世に弊害をもたらした可能性がある。
恐らく預言者に啓示を与えた神的存在は、人類すべてを救済する気はなく、数千年前の特定の魂グループに早く母星に帰還せよとのメッセージを伝えたかっただけかもしれない。
だとしたらキリスト教など一神教は既にその役目を終えている。
残された我々現代人は、自分自身の幸福のため他の救済策を講じねばならない。
もし地球の転生斡旋所が悪辣な手段で魂が他星へ逃げるのを邪魔し、地球に監禁しているのならば、人間にできることはあまりない。
その中で唯一可能性を感じさせるのは大悟解脱により輪廻の呪縛を解除する手法だが、キリスト教の中では異端とされたエックハルトがそれに近い。
しかし現行のキリスト教はアバンギャルドな探求などしておらず、かつてあった革新的思想もことごとく異端として闇に葬ってきたため、今は古びた聖典に固執する何の魅力もない宗教と化している。
聖書批判を伴う第二の宗教改革が起こったところで、死後の転生斡旋所による地球への強制送還の仕打ちにキリスト教が無力なのは変わらず、エックハルトの疑似仏教的なアプローチが潰えたことが残念でならない。