四柱推命は占いの帝王だとか言われていますね。
正直、自分を占ってみて当たってる感は半分くらいあるのですが、感動はありません。
微妙なんですね。
本場では四柱が揃わなければいけないそうですが、時間の定め方も前日の23時から一日は始まるだとか、東京は更に18分早めるだとかで流派により考え方が違い、その都度ズレてますのでいい加減なようです。
陰陽五行の組み合わせも日柱の十干から見た形だけ。
それも生剋がどうなっているか、陰陽が同じか違うかを見るだけで、個々の五行の区別がありません。
そもそも十二支の3のリズムと十干の2のリズムを組み合わせるのが正しいかどうか。
九星流占命術では3のリズムだけでやってますので。
と言うことで今私が考えているのは、一旦3と2のリズムを分けて、それぞれをもう少し細かく見たらどうか、というものです。
この考えが正しい場合、この世は五行や六行、九星十干,十二支の法則がそれぞれ単独で機能し,またお互いが組み合わさった複合システムもありの、非常に複雑なからくりで出来ていると思われます。
だから一つの占いでは完璧ではなく、単品だと微妙で不完全燃焼なのですね。
ここに更に陰陽五行とは異なった天体の支配力が加わりますので、余計複雑怪奇です。
試しに自分を三柱の十干で見ると、通変星は年柱・傷官、月柱・食神で、年柱は幼少期と晩年、月柱は思春期から中年期を意味しますので、その間傷つきやすかったり、のんびり屋だったりと言う人物像となります。
まあ、これでも当たってると言えばそうなんですが、何かしっくり来ないんですよね。
まず、傷つきやすいのは幼少期だけでなく、年がら年中やねん、と言うツッコミが入りますw
のんびりしてるのも昔からで、これは時期的な問題ではなく、精神の重層構造の表面と内面の違いのようです。
つまり、九星流占命術の考え方ですね。
社会的には傷つきやすく、内面はのんびりと言われた方がしっくり来ます。
ただまだ九星流との違いがあって、九星流では日命を重視するのは四柱推命と同じですが、月命でも見ます。
その場合、私は劫財です。
劫財は野心と組織力ですが、残念ながら当たっていません。
当たらないから通常の四柱推命では月命を使わないんでしょうが、五行が同じで陰陽が違うものを全部劫財にしちゃってるので、繊細さがないんですよね。
その穴埋めを五行のバランスで見てるようですが、命式の時点で区別すれば良いと思います。
ただし、通変星にこだわらず、八字で見てる人はその辺も考慮しているかもしれませんが。
私の場合は金の劫財ですが、これを八卦に当てはめると沢天夬。
これを逆にした天沢履も金の劫財です。
もっと言えば木の風雷益と雷風恒も、土の地山謙と山地剥も劫財です。
これらはそれぞれ全然違うものですが、四柱推命では、少なくとも通変星を重視してる人は一括りにしているようです。
当たった感が半減してるのは当然ですね。
私の三柱をまとめると劫財・傷官・食神で、社会的に野心を抱き組織作りをし、精神的に傷つきやすい芸術家肌で、深層心理ではのんびりした怠け者、となります。
九星流にアレンジした場合は、沢天夬・地天泰・地沢臨で、感情が決壊し決断を迫られ、平和主義で平和ボケし、臨戦態勢で大海原に臨みます。
比較してみると劫財と地沢臨、傷官と沢天夬、食神と地天泰が偶然なのか必然なのか似た意味を持っています。
だから当たった感が半分あったわけですが、場所も意味合いもずれてますので半分止まりなのですね。
私の場合はたまたま火や水がないので八卦を応用できましたが、九星でもそれらには陰陽の区別がないので、また新しく造らねばなりません。
同じことが十二支にも言え、五黄を陰陽に分けねばなりませんので、少なくとも今後2つ新しい占術が生まれそうです。
それらを組み合わせた場合、更に占術は増えます。
ちなみに九星流占命術では山地剥・風地観・風山漸なので、劫財・傷官・食神とこれまた意味合いが似ています。
この符号に意味があるのかないのか。
3×2=6・3×3=9・3×4=12の三進法の体系は三角形という図形から生まれていますので、現実を表わすとされます。
2×4=8・2×5=10は二進法で、図形の角が奇数か偶数かを刻み、それがリズムとして精神を表わすとされます。
この現実と精神の差は、占星術だと図形と数量です。
十干十二支の四柱推命は空間と時間と言う異なるものを組み合わせたせいで純度が下がったことも当たらなさの原因かもしれませんね。
それとも的中率を上げる上手い配合があるのでしょうか。
それは今後ゆっくり考えたいと思います。