4月ですね。もう1年の4分の1が過ぎてしまいました。感覚としては毎月師走なタップです。

この時期、目に入るのは桜です。桜を見ながら「春が来たな」「新しい年度が始まるな」「新しい仲間が増えるんだな」なんて思いを馳せる今日この頃。

 

ところで、皆さんは桜の花言葉ご存知ですか?

桜の全般的な花言葉は、「精神美」「優美な女性」「純潔」だそうです。

また、西洋では、「spiritual beauty(精神の美)」と「a good education(優れた教育)」という花言葉があります。

 

日本ソーシャルワーカー連盟・倫理綱領委員会が出しているソーシャルワーカーの倫理綱領(2020年5月 15日最終提案)の前文冒頭にはこのように書かれています。

 

『われわれソーシャルワーカーは、すべての人が人間としての尊厳を有し、価値ある存在であり、平等であることを深く認識する。われわれは平和を擁護し、社会正義、人権、集団的責任、多様性尊重および全人的存在の原理に則り、人々がつながりを実感できる社会への変革と社会的包摂の実現をめざす専門職であり、多様な人々や組織と協働することを言明する。』

 

これらを自身のソーシャルワーク実践の基として捉えるには、知識技術の習得は勿論ですが、それ以前に自身の価値観や考え方、感情等、精神を育むことが大切だと私は考えています。難しいことではなく、きれいなものを見て「きれい」と感じる事、おいしいものを食べたときに「美味しい」と感じる事、そして作ってくれた方への感謝の気持ちを持つこと、うまくできたときに褒めてもらえて「嬉しい」と感じること、同僚や後輩に「うまくできたね。私も嬉しいよ」と共に喜べる事、相手を受け入れる力を養うために常に自分を内省する癖をつける等、日常の中で豊かな感情・感性を育むことを意識できればいいかなって思います。

それが、精神を美しく保ち、実践力につながるのではと年を重ねるごとに強く感じています。

 

各県協会の研修部では、今年度の研修企画立案の時期です。good educationを提供できるよう、各県の研修部そして九州教育研修部会一丸となって頑張りますので、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

タップ

この言葉は世阿弥の能楽論書「花鏡」で演者の視点を述べた言葉の一つで、言葉の意味は、「客観的に俯瞰して全体をみること」です。

 

世阿弥は「花鏡」で演者は3つの視点を意識することが重要だと説いています。

・「我見(がけん)」 役者自身の視点

・「離見(りけん)」 観客が見所(客席)から舞台を見る視点

・「離見の見(りけんのけん)」 観客の立場になって自分を見ること。客観的に俯瞰して全体を見る力です。

 

「我見」「離見」のどちらに偏よっても独りよがりになりやすく、「離見の見」という視点を持つことが大切だと書かかれています。

 

ソーシャルワーカーとして対人援助職として、新しい一歩を踏み出そうとする私に、援助が「独りよがりにならない」「自己満足にならない」「相手の立場に立って考える」、そして行き詰ったときに、「全体から自分をみる、客観的な視点を持つ」ことを忘れないようにと、声をかけてくださったのだと思います。

 

仕事の経験年数を重ね、後輩が増えたり、役職がついたりすると、組織の中で、自分を振り返ることを忘れがちになっていると感じます。だからこそ、自分を客観的に見ることが必要ではないかと思います。

後輩や同僚の思い、自分が置かれている職場での立ち位置、何を職場でもとめられているのか、そして、自分たちの職種は何ができるのか等々、全体の関係性の中で自分自身を客観的に見る事はとても大切な視点だと思います。それはソーシャルワーカーと患者さんとの関係においても同じですね。

 

自分自身を客観的に見ることは難しいことですが、常に心の中に「離見の見」を忘れずに新しい年度を迎えたいと思います。

 

しもしも

 

昨日(2021/3/18)読み終えた書籍が考えさせられる内容でしたのでご紹介します。

『治したくない ひがし町診療所の日々』斉藤道雄 みすず書房 2020年5月初版

 

北海道浦河町で精神科診療所をしている医師とソーシャルワーカーを含めたスタッフのルポタージュです。

この町には、べてるの家という統合失調症患者ら当事者が主体となって活動している社会福祉法人があり、当事者研究の先駆的な取り組みをしている地域であることでも有名です。もともとは浦河赤十字病院の精神科医師やソーシャルワーカー、看護師、そして患者さんたちが始めた取り組みですが、日本中で注目されています。

今回紹介する書籍では、ここで活躍する精神科医とソーシャルワーカーや看護師と精神疾患患者の営みが描かれています。

 

私が以前勤務していた病院が精神科縮小の方針であることを、福祉系大学院の教授の先生にお伝えしたところ、この本をご紹介いただき、手に取りました。

 

この浦河町の診療所で展開されている精神疾患患者への取り組みは、徹底的にライフモデルであり、それはその最先端なようでいて、実はセツルメント運動の頃のソーシャルワークの源流であるようにも感じるものでした。

制度や専門家が紋切り型に解決を目指すのではなく、地域の取り組みとして患者さんとともに、多くのひと(患者さん自身、他の患者さんも含め)とともに笑いと共に考え続けていくという地域づくりをしています。

ここで活躍しているソーシャルワーカーは、コミュニティソーシャルワーカーの理想にも見え、しかし、一方で自己犠牲や自己満足で感情的なスタイルに思えたりします。

 

きっとそれは、読み手である私たちソーシャルワーカーの力量によって、感性によって変わるのだと思います。正解だとか不正解だとかではなく、深さや広さや温度など断面によっていかようにも捉えられるソーシャルワークが描かれている、そんなルポルタージュでした。

 

この書籍は、登場人物たちの取り組みなどの内容にのみ固執するのではなく、読み手が有しているソーシャルワーク像を浮かび上がらせるものかもしれません。

私は、いつのまにか自分がソーシャルワークとしての範囲を規定していることに気づかされつつ、感情的で無計画な取り組みに批判的にもなり、しかし、羨望のような感情をもちました。

みなさんはどんな思いを得るのでしょうか。

 

通常の三倍