土曜日の地震は驚きましたね💦
改めて、日常の有り難さを感じ、土曜日は、懐中電灯🔦など確認してから寝ました。
そんな日常の楽しみの1つはドラマ。今年は、久しぶりに大河ドラマを見始めました📺
埼玉県内の本屋さんでは、渋沢栄一関連の本が溢れ、それに煽られ(?!)私も購入📘🤗
以前も書いたことがありますが、私は10年近く前に、たまたま渋沢栄一の出身地🏡深谷市に越して来ました。
それまで『澁澤榮一』が、どういった人なのかは殆ど知りませんでしたが
(あまり日本のドラマ見ないので、吉沢亮も知らなかったけど💧美男子ですね?!
因みに、過去に渋沢栄一を演じたのは、三宅裕司や角野卓造😅)
深谷に越してきた頃🏠、渋沢栄一が設立に貢献した🏛️富岡製糸場(群馬)が世界遺産になり、
毎月📰市の広報や回覧板には、渋沢栄一の言葉が掲載されていたので興味を持ち、市内にあった関連施設にも一人で行ってみたり(最後に写真)
あと、⚾大谷翔平選手の愛読書が、栗山監督の影響で📖『論語と算盤』と聞いて驚きました。
ドラマはまだ一話ですが、好評のようでなんだか安心しています(笑)💦
………よくコメント等で💬、ネガティブな事書く人いますが「そういう人は見なければいい」だけだと思いますし
それと、お妾さんが多かった事に👭👭👭
「そんな人を大河に?!」なんて言う声もあるようですが、
当時は寡婦を養う意味でもあったわけですし(🌍日本だけでなく)、
逆にそういう事実も描くのが歴史で、それを現代の常識と比べ、揚げ足取るのはナンセンスだと思います。
(でも昔、韓国ドラマで愛人が正妻を「オンニ~(姉さん)」と普通に呼んでいるのを見たときは衝撃でしたが(笑)💦)
そして、子供時代が描かれるのは、人格形成のバックグランドとして必要ですし、深谷市民として嬉しいですが、
それが長引き、肝心の実績が短縮され🚢💡🏗️🏦🏫🏨🏣🏭🏬🌁🌉、
晩年が駆け足にならない事を願います🙏
彼は「資本主義の父」とはいえ、富が一極に集中してしまうのに反対した為、
その分、私財は社会に還元したので、財閥のように、今まであまり注目されていませんでしたが、
福祉事業にもかなり貢献していたので、こういった事もきちんと、描いてくれたら嬉しいです
先週の東京都知事の定例会議では、小池都知事がこんなことを仰ったそうです⬇️
(Yahoo ニュースより引用)
🎙️∞∞∞∞∞∞∞∞∞
渋沢栄一についてはもう言うまでもありません。
孤児、そして老人、障害のある方など、そういった方々の保護施設である養育院、これは現在、板橋区にありますけれども、東京都健康長寿医療センター。
これの初代院長を務めて、半世紀にわたって、生涯ずっとと言ってもいいかと思いますけれども、この院長、養育院の院長を務めたのが渋沢栄一です。
そろばんと、こういう福祉と、SDGsを文字どおり体現した人生を歩んでこられ、なんと600もの社会貢献活動に尽力されたのが渋沢栄一であります。
東京商工会議所など、まさに渋沢栄一氏が創立、
30代ですよ、創立をされたということで、その歴史の歩みたるや、600の、今、社会福祉関係と申し上げましたけれど、
企業の数はもうあれもこれもで、たくさんあり過ぎるぐらいですけれども、本当にそういう先人を持ってありがたいなと、
東京の発展の礎をつくってくれた、そのような持続可能な社会の先駆けのような存在ではないかと思います。
∞∞∞∞∞∞∞∞
江戸、明治、大正、昭和、一番大事な近代史ですが、🏫学校の授業でも時間がないのか、割愛で蔑ろですし💧
私もドラマで楽しみながら、色々学びたいと思います😉
史実を大切に、魅力的なドラマになりますように✨🙏✨
そして、数年前……いきなり話題がずれますが😅
🇹🇷『オスマン帝国外伝』にハマり(笑)
トルコ研究家の澁澤幸子さんの🖥️ブログを読むようになると………
なんと、渋沢栄一のご親戚であることを知りました
そう、🧛ヒュッレム(フッレム)がモデルの📘寵妃ロクセラーナや
キョセムの話の📘ハーレムの女たち、の著者の澁澤幸子さんです
『青天を衝け』で、吉沢亮演じる主役の渋沢栄一、尾高淳忠(田辺誠一)、渋澤喜作(高良健吾)達は、幸子さんの曽祖父の従兄弟で
つまり、平泉成さん演じる渋沢宗助は、幸子さんの高祖父(祖父の祖父)✨👴✨
📘『澁澤龍彦の少年世界』によると
(作家で🇫🇷フランス研究家だった故澁澤龍彦氏は、幸子さんのお兄様です)
渋沢栄一の生家が「中の家」と呼ばれるのに対し、
幸子さん達のお祖父様宅は「東の家」と呼ばれていたそうで、そちらが本来の渋沢本家だったそうです。
そして澁澤幸子さんのお祖父様の家は……🏠
🛩️B29の標的になるのではないか? と村民が心配する程大きく、まるで軍艦のようで
2階は🐛養蚕をしていたこともあり、200畳程の大きさで、大人が自転車に乗っていたとか?!🚴
土地も、現在のバス停🚏🚌3区間分くらいとあり、スケールが大きすぎて、ビックリ
ですが、残念ながら戦前には、既に幸子さんのお父様は東京に出てしまった為、
戦時中の疎外の後は、お盆やお正月等に帰郷するくらいになってしまい、数十年前に解体されてしまったようです。
幸子さんのブログを引用させていただくと
⬇️
:::::::::::::::::
最も財をなしたのが、私の父の生家「東の家」で、近隣では“大澁澤”と呼ばれていました。
三代目澁澤宗助の時代に、一族の「中の家」の家運が傾いたのを助けるため、宗助の弟の元助が「中の家」に婿入りし、その息子として生まれたのが澁澤栄一です。
::::::::::::::::
とあり、
兄・澁澤龍彦氏は「東の家」八代目
そして、幸子さんはお墓参りも兼ねて、年に何度か、深谷にいらしているようで、
今月も『歌劇 渋沢平九郎』⬇️を観覧の為、いらっしゃいました。
………残念ながら私は、体調不良で行き損ねてしまいました………💧(後で書こうと思います)
ああ………お会いしたかったので、今思うと、這ってでも行けばよかった………😢
深谷の渋沢栄一関連施設⬇️
🏭日本煉瓦製造会社旧事務所は、
明治21年に建設された日本初の機械方式による
ドイツから輸入した当事最新式のホフマン輪窯を使って製造しており
ドイツから輸入した当事最新式のホフマン輪窯を使って製造しており
当時は🇩🇪ドイツ人技師が事務所兼住居として使用し、6年前は資料館として、金曜日のみ公開
(利根川で、東京まで煉瓦を運んでいたんだそうです)
🏡こちら誠之堂は↓、
大正五年に渋沢栄一の喜寿を祝って
当時の第一銀行所有の東京府荏原郡玉川村瀬田(現:東京都世田谷区)の清和園に建てられ
平成11年に世田谷区から渋沢栄一出身の深谷市に移築されました。
平成11年に世田谷区から渋沢栄一出身の深谷市に移築されました。
上皇皇后両陛下も、数年前に渋沢栄一の生家にいらした日に、訪れました。
その隣には、白い壁に青緑のスパニッシュ瓦屋根、五連のアーチが印象的な大正15年に建てられた南欧風建築の清風亭があります🏠