kyupinの日記 気が向けば更新 -740ページ目

白衣のない病院

精神科で職員が白衣を着ない病院がある。

僕は白衣なしでやっている病院はあまり好きでない。これはあくまで個人的な好みなので、その病院が良いとか悪いを言っているわけではない。ずっと以前だが、僕の友人がそのような病院に勤めていた時、何かの用事で訪問したことがあった。

その時、思ったこと。

病棟に入ると、誰が職員で誰が患者さんなのか、さっぱりわからん。患者さんは精神科病院の中では、日中パジャマを着ていることは稀で普段着で過ごすことが多い。これは精神科病棟の雰囲気が一般科の病棟と大きく違う点だと思っている。

また、職員かどうかだけでなく、看護師、PSW、心理療法士、医師も慣れないと見分けにくい。ドクターまで普段着だと、もともと変わってるのもあり、保護色にまぎれて見分けがつかなくなる。特に彼は不潔な格好、かつ全然風呂に入っていなかったので、悪臭も放っていたし、まして白衣を着ていないと、すぐに見つけられなかった。

そういう考えもあり、うちの病院は今後そういう方法をとるつもりはないし、たぶん、今のまま、職員、ドクターとも白衣を着用した病院としてやっていくと思う。

精神科の患者さんは暗示にかかりやすい面もあるので、白衣を着た人に診察されるだけで、癒されて症状が軽くなることも見逃せないと思っている。






無事帰ってきました

親戚の人たちの家を訪問したりで、さすがに疲れた。親父の墓参りもなんとか終了。会えないと思っていた友人も1時間くらいは会えた。僕の高校時代の友人はあまり地元に住んでいない。ほとんどが県外に住んでいて、地元にいるのは親の事業を継いだ人、市役所などの公務員、学校の先生くらい。

高校時代の理系の同級生は特に地元に戻ってなくて、高校の同窓会も容易でない状況。まあこれは幹事をする人がいないのも大きいのかも。それに対し、小学校や中学校の友人は相対的に地元に住んでいる人が多く、わりあい同窓会も開かれている。

中学校時代の同窓会をしていつも思うのは、あまりにも人間は死なないものだということ。「あまりにも」という言葉は変は変だけど。名簿を見ていて欠員があまりいない。

生命保険は例えば死亡時3000万だったら、事故死の場合5000万~6000万くらいに割り増しになっていることが多い。これは事故死の確率が、皆が思っている以上に低いことがある。人間は事故で死ぬのは非常に難しいらしい。それに対して病死は非常にありふれている。これは日々のニュースからすると感覚的にはそう思えないのだが。

まあトータルではそうなのだが、10代~20代だと病死で死ぬ疾患が限られるので、たぶん相対的に事故の確率は増えると思われる。10代~20代の病死とは、白血病やスキルスなどの特殊な胃癌などである。

自殺は保険的には病死扱いである。これはある加入後一定期間は支払いがされないルールになっている。よく共済などで、非常に少ない掛け金で高い補償額が設定されているのは事故死しか支払われないから。もちろん自殺は支払われない。掛け金の少なさこそ、事故死の確率の低さを表している。

僕の中学時代の同窓生で亡くなっている人は、交通事故、白血病、妊娠中毒症(たぶん腎不全)くらいなのであるが、自殺はあまりわからないのが実情。自殺死は交通事故死の3倍以上いるから全然いないはずはない。それでも、全体では健在の人が圧倒的に多いのである。

男性の自殺死は若い人が多そうに見えるが、実はそうではない。中年以降が多いのである。これは僕の試験のヤマでもある。かつて、終戦後の一時期、若者の自殺が流行した。これはまさに流行といって良かった。なぜなら女性もそういう傾向があったからだ。今は、そのようなものはなく、男性の場合中年を過ぎるくらいまでなだらかに自殺率が上昇するグラフになっている。(その後下がっている)

僕はこのようなグラフになっている主な理由は、日本の経済的要因(長期間の不況)が大きいのではないかと思っている。



早狩 実紀さん

今日から大阪で世界陸上が始まっている。暑さも考慮されているのであろう、最初の競技が「男子マラソン」であった。今朝、起きた時、もうマラソンは終わろうとしていた。男子の結果としてはまああんなもんだと思う。妥当な結果と言えた。

実は、僕は陸上競技もけっこうファンであり、以前は毎月、「陸上競技マガジン」と、「月刊陸上競技」の2誌を購読しているほどであった。大学病院に勤めていた頃は精神科雑誌とともにこの2誌も生協から届けられ、僕の机の上に一緒に並べられていた。これを先輩のドクターが面白がり、こんな雑誌は定期購読する人が非常に限られているので、きっとこの雑誌社を僕が買い支えているよ、などと言って冷やかされていた。

当時、男子マラソンの歴代十傑の名前とタイムはすべて暗記していた。大学あるいは研修医時代は、謎のマラソンランナー、スティーブ・ジョーンズが世界1位だったような気がする。彼はイギリス空軍の兵士であり、出場レースが少なかった上に日本にも来たことがなく、まさしく謎のランナーと言えた。

当時、都道府県対抗女子駅伝も興味を持って観ていた。当時、「月刊陸上競技」の論文では、都道府県対抗女子駅伝でエース的な活躍をした選手が、その後成長して世界陸上やオリンピックで活躍するようにならないことが問題視されていた。女子の場合、世界陸上やオリンピックで活躍する選手は、都道府県対抗女子駅伝に出ていなかったか、あるいは出たとしても平凡な成績の選手がむしろ多かったのである。これは今でもそのような傾向がある。

当時の議論ではいろいろ言われていたが、個人的には陸上競技選手として早熟か晩熟かが大きいのではないかと思っていた。サッカーを始め、スポーツには必ずそういう面がある。

論文的には、
①陸上の女子中長距離の選手は、メンタルの面で問題を抱えるケースもみられ、長く競技を続けられない場合もある。

②早いうちにロードを走る上に、あまりに競技会が多いので怪我に悩まされる。

などが上げられていたような気がする。実際に摂食障害のため一時競技が続けられなくなり、後に復活して活躍したというドキュメンタリー的な話もあった。(神奈川の田村選手のように)

怪我についてだが、日本の場合、長距離の人気が高すぎて早くから長い距離を走り過ぎることが大きいような気がしている。本当は中学生はトラックで800mくらい、せいぜい1500mまでの競技に留める方が良い。成長期にまだ骨や軟骨が発達している時に、アスファルトの上を長く走ったら医学的にも良いはずはない。

現在、都道府県対抗女子駅伝で中学生は3000m区間に限定配置されているが、これだって長すぎる。中学生の身体に良いはずはないと思っている。この駅伝が始まった頃は1万m区間に中学生が走っていたことさえあった。結局、わりあい早熟で超人的選手は、中学校から高校時代に使い減りしている面があるのだ。早熟だけでなく、競技の外傷のために将来性を摘み取っている面が相当にある。

メンタルヘルスと陸上競技の関係は非常に興味深い。もともと、性格的にもすぐに眠くなって粘りが効かないような選手は中長距離に向かない。非常に頑張りが利き、しかも負けず嫌いで芯が強い子が陸上競技を嗜好するような気がしている。また駅伝競技は団体戦なので、自分の不調は全員に迷惑をかけるため、自分の不調だけでレースを諦められない。責任感が必要だし実際そのような子が多い。こう書いていくと、駅伝は本当に日本人受けするというか、心に響く競技なのだと思う。心理的なことばかり言っているが、もちろん心肺機能が優れていることが必須である。日本人はより長距離になるほど特性が生かせるので、長距離にばかり傾倒するのもわかるのだが。

こんな風に考えていくと、いわゆる古典的な摂食障害になりやすいパーソナリティと陸上競技選手のパーソナリティは相当かぶっている。僕が疑問に思っているのは、こういう長時間走ることが、後天的にメンタルヘルスに悪影響を及ぼすかどうかである。いわゆるニワトリとタマゴの問題。

一般にパニック障害などは、運動をすると発作を惹起することがある。例えば、カフェインなどは悪化させる物質なので、パニック障害の人はカフェインを含むもの、例えばコーラ、コーヒーなどは避けた方が良いとされている。このようなパニックの元、パニコーゲンは、血液の酸塩基平衡も含まれるので、「走ること」は悪化する要因にはなるのである。

近年、実は、都道府県対抗女性駅伝は滅多に見ないし、また雑誌も講読していない。昔よく観ていた頃だが、まだ中学生だった早狩実紀選手が京都の選手として駅伝を走っていた。初めて出たそのレースでは、前半飛ばして後半バテたため成績的には区間1位とかそのような良い成績ではなかった。

僕がまだ覚えている理由は、彼女はその中学生時代はあたかも摂食障害のようにガリガリの体型だったからである。彼女はその後成長して、今でも駅伝ではエース級の活躍をしているし体型的にもかつてのような様子ではない。今回、世界陸上ではなんと3000m障害の日本代表として出場しているのである。3000m障害の日本記録を持っていて「女王」と言われているらしい。本当に早狩実紀はすごいよ。このように早い時期から出て世界陸上まで出場することは、上に今まで書いてきた理由で非常に難しいからだ。

今朝、3000m障害の予選が行われ、第1組で出場していた。4位までに入らないと決勝に進めないわけだが、けっこう頑張っていたけど、8位前後でフィニッシュするような感じであった。ずっとテレビでレース観戦していたのであるが、最終周、ハードルに躓き転倒し後頭部を打撲、動けなくなったのである。

工エエェェ(´д`)ェェエエ工

結局、棄権になってしまったが、僕が観た範囲では脊損するとかそういう事故ではなかった。あのくらいだと脳挫傷の確率も相当低いので、たぶん脳震盪くらいだと思う。転倒の原因として予選落ちは必至になっていたことが心理的に影響していたのかもしれない。

ああいう選手を見ていると、一介の日本人選手がただ走っているようには僕には思えないのよね。なんというか、親が子供の出場を見守っている気持とでも言えようか。今回は、残念な結果になったが、来年は北京オリンピックがあるので出場できるようにまた頑張ってほしい。

参考
カフェインとパニック障害
早狩 実紀さんのブログ




今、帰省中

遅い盆休みを取り、今日から実家に帰っている。高校時代の友人にいつも会うのだが、今回に限っては東京に出張で都合がつかなかった。明日は親父の墓参りをする予定。

実家に帰っても母親しかいないのよね。先日の台風の時に膨大なレコードを移動させるのに大変な目にあったらしい。さすがに苦情が。このレコードは僕のマンションにずっとあったのだが、あまりにも邪魔になるし、かといって、今は廃盤になっているような貴重なレコードもあるので、捨てるに捨てられなかった。もう聴けないのに。(プレーヤーを捨ててしまった)もしこのまま家に置いておくと、ひょっとしたら、母親が腰を痛めたりする可能性もあるので、また持って帰ることにしている。病院の僕の部屋にでも置いておこう。

母親はちょうど8年前に車の免許を取った。少なくとも、亡くなった父親よりは運転がうまいみたい。母親が免許を取ると言い始めた時、僕はぜひ取った方が良いと言ったので、親戚連中は「息子はいったい何を考えているんだろう?」と思ったらしい。

昨年、図書館に本を返しに行った時、ポールか何かに車をぶつけたという。修理費が17万くらいかかるはずだったが、保険で払ったので現金は必要なかったという。そういう話を全然知らなかった。本人は任意保険が上がったといいブーたれていたが、だいたい、純粋な自損事故でも修理代が出るような任意保険は最初からかなり高いと思うぞ。僕の任意保険はそこまでサービスを良いものではない。

数ヶ月前に母親が初めてうちの病院に来たことがあった。うちの病院を見て、あまりに綺麗な病院だったので驚いたという。「とても、精神病院には見えない・・」などと言うので、「生まれて以来、実際に精神病院を見たことがあった?」と逆に聞いてみた。

ずいぶん前に僕が僻地の公立の精神病院に勤めていた時に1度だけ両親が遊びに来たことがあった。その時に精神病院の雰囲気はわかったつもりだったようだ。両親が公立病院の中を歩いていた時、知的発達障害の病棟から大きな叫び声が聴こえてきたので、その雰囲気に驚いて父親は「○○は業じゃのう・・」と話していたという。(○○は僕。「じゃのう」は方言)

父親によれば、僕が精神科医をしているのは、「業」なんだそうだ。これにはワロタ。

理事長は、ぜひ1度、僕の母親に会ってみたかったのだという。どのような母親なのか見てみたかったらしい。実はこのようなことは、どの病院の勤めていても言われる。母が理事長に挨拶した時、僕が病院に来て以来、すごく病院が良くなったと感謝されたらしい。「患者さんが、みんな僕が辞めるなんて言ったら、ぜひ引き留めてほしいと言うんですよ」などと言われたのだという。まあ社交辞令もあるんだろうけど。

僕の友人や慢性疲労で今は回復している患者さんなどは、僕がどこかに移籍して治療が受けられなくなることを漠然と恐れている。僕はもう院長なんだから、自分から辞めることはないと彼らには話している。まあ、更迭されたなら話は別だけど。まあ、そんな風に話しているのだ。




空しき紹介状

これは数年前のことだ。当時、僕が毎週行っている総合病院では診てほしい患者さんの紹介状は、行った当日に渡されることが多かった。それから初診になるのである。名前だけは前日か、あるいは当日に電話かファックスで連絡があった。

ある日、行ってみると、その紹介状はもういいんだという。その紹介状の患者さんは僕に初診する日の朝、病棟から飛び降り自殺のため既に亡くなっていたのである。

その日は複雑な気分だった。というのは、タッチの差で自殺されているわけで、もう少し前に診ていたら、そうならなかったかもしれないし、また僕が診ていたとしても同じような結果になったかもしれない。むしろ診ていても、同じ結果になった可能性の方が高いような気さえした。

というのは、抗うつ剤は飲んですぐその日に効くわけではないから。即効性がないことが大きい。まさか、希死念慮があるからと言って、内科病棟でECTをすることはもちろんできないというのもある。

精神科病院では、そういう希死念慮が強い患者さんも観察しやすい構造になっていて、少なくとも、一般の内科・外科よりは目が届くし、看護師もあらかじめそういう患者さんには観察を密にするのでリスクがかなり低くなっている。そもそも精神科・閉鎖病棟では、高層ではベランダから飛び降りられない構造になっていることが多い。

しかし総合病院では、簡単に飛び降りられるようになっているので、実際、そのような事故が頻繁に起っている。あまりにも事故が多いと、他の患者さんへの影響もあるし、高層から飛び降りた時に網に引っかかるとか、自殺予防の工夫がなされている病院もある。僕が大学病院に在籍していた時は、脳外科と神経内科の病棟でそういう事故が時々起っていた。もう治らない脳腫瘍や神経疾患の場合、先を悲観する患者さんが多かったためである。

精神科病棟の場合、自殺はしにくい構造とはいえ絶対ではない。予測できない難しい方法をとった自殺の場合、裁判になっても病院の責任を問われない場合すらある。縊首自殺でさえ、50cmくらいの高さでも可能なことがあるから。

それでもなお、一般病院での自殺と精神病院での自殺は、予見できるかどうかとか専門医が診ていたかどうかという点で相違があるので、精神科病院の道義的責任はいくらかあるのだろうと思われる。裁判の結果はともかく。

たぶん、僕がその日診ることができなかった患者さんは、家族も、もう仕方がないという感じだったのだろう。自殺の場合、特に一般病院で亡くなる時は、本人が決めたことだから仕方がないと思う傾向が家族にはある。

僕が診始めてから自殺で亡くなる確率は現在でもある。一昨年くらいに、ある外科的合併症のあるうつ病の男性患者さんをその内科病棟で診ていた。ある日行ってみると、その週、病状が悪くて「死ぬ」と言い窓から飛び降りようとしていたのだという。その患者さんは、3環系抗うつ剤、SSRI、SNRIなど紆余曲折の後、やっとパキシルで落ち着いた。

この患者さんの場合、旧来の抗うつ剤では尿閉などの耐えられない副作用が出てうまくいかなかったが、唯一、パキシルだけは良かった。パキシルも最初は不安感などが出て不調だったが、次第に落ち着いていったのである。不穏状態を抑えるために、一時セロクエルなども使用したがそれすら副作用が出て難渋した記憶がある。今も引き続き外来治療を行っているが、寛解状態にありパキシルも20mgだけだ。

こういうのを見てもいかに自殺が良くないかがわかるし、人生には偶然の要素がけっこうあることがわかる。

参考
なぜ自殺が良くないのか
うつ病と自殺
パキシル
往診
老年期のうつ病は
9勝1敗
開放病棟しかない病院