Bohemian Rhapsody(Queen) | kyupinの日記 気が向けば更新

Bohemian Rhapsody(Queen)



今回は前回の記事の続きになる。過去ログで、クラシックしか聴かない友人にロックを好きになるよう努力した話をアップしている。

ロックに興味がない人にビートルズなどの有名どころを聴かせても、ほとんど無駄な努力と思われた。その理由は、自分たちはビートルズを知らない人はいないような世代だからである。

当時、これはと思える楽曲を聴かせてみた。例えば、天国への階段 (レッド・ツェッペリン)やホテル・カリフォルニア(イーグルス)などの名曲である。これらも全く反応がないので、当時の流行りのダンスミュージック系(カルチャークラブやシンディ・ローパー)は到底無理だと思った。

またクラシックが好きという人には、感覚的に、ディープ・パープルやブラックサバスなどは難しいように思われた。

そこで、ロックの古典のような人気曲を順番に紹介していったのである。すると、唯一、これは良い!と言った楽曲があった。それが、クイーンのBohemian Rhapsodyだったのである。

Bohemian Rhapsodyは、僕がまだ子供の頃、発表され、クイーンを世界的ロックバンドに至らしめた楽曲である。聴けば誰でも一度は聴いたことがあるのではないか思う。当時、クイーンはまだ有名とまでは言えず、Bohemian Rhapsodyも、雰囲気が異なる数曲が繋がっているような奇妙な楽曲と言う印象であった。学校では、

あの曲聴いてみた?

と言った感じで、瞬く間に評判になった。

Bohemian Rhapsodyはその歌詞からして、かなり風変りだった。楽曲はアカペラで始まる。

これは現実・・
それともただの幻
地滑りに巻き込まれたみたい現実から逃れられない

目を開け空を見上げればわかる
おれは哀れな男、憐みなんて要らない
おれは呑気な性質、楽しい時も辛い時もあるが
おれはただ風の吹くままに生きていく


一応、ここまでが前置きというか楽曲のイントロ部分になる。そしてこの後、衝撃的な歌詞が続く。

ママ、おれは人を殺した
銃を突きつけ引き金引くと彼は死んだ
ママ、始まったばかりの人生を
おれは台無しにしてしまった


このように物語形式で展開されるのである。クイーンのヴォーカル、フレディ・マーキュリーは1946年9月5日、イギリス保護領ザンジバル・スルタン国(現在のタンザニア)で出生している。彼は顔貌をみるとわかるが、両親はインド系である。彼は8歳の時、インド、ムンバイのセント・ピータース(英国式)寄宿学校に入学している。彼の家系には医師や弁護士が多かったこともあり、母親はそうなることを勧めたものの、興味を示さなかったらしい。彼は7歳の時にピアノを習い始めたと言われている。

その後、安全上の理由(ザンジバル革命)で、17歳時にイギリスに移住。イギリスでは、芸術系の学校で学んだ。

僕の友人がBohemian Rhapsodyは良いと言ったのは、この楽曲が、クラシックとロックのごった煮だったからだと思う。この楽曲は長すぎて、一部はオペラとなっており、発表の際にこのオペラ部分を省くかどうかをメンバーらで話し合われたと言われる。結局、フレディー・マーキュリーの強い希望もあり、長い楽曲のままで発表されている。

その理由で、この楽曲はそのままライブ演奏ができない。そのような理由から、史上初のMTVが制作されテレビ局に送られた。上のミュージックビデオは、色々な方法でクラシカルというか手作業で作られた作品である。

なお、厳密には史上初のMTVは、バグルズのラジオスターの悲劇(video killed the radio star)とされている。



Bohemian Rhapsodyは、その計画はなかったが、やむを得ずフィルムを作ったといった感じである。

この楽曲のオペラ部分には、宗教的なもの、シェークスピアの古典、ナポレオン、ドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフなどを彷彿させるワードがいくつも出てくる。僕には、なぜフレディー・マーキュリーが、オペラ部分に拘ったのかよくわかるよ。(削除に頑として応じなかったことも含め)

この楽曲の最初のアカペラからバラードに移るパートは、ラスコリニーコフ的だし、同時にオスカー・ワイルドの悲惨な人生を呼び起こすものでもある。

オスカー・ワイルドと言えば、モリッシーも敬意を持って取り上げており、時にライブのスクリーンにワイルドの肖像を使っている。モリッシーにとって、オスカー・ワイルドは極めて強い影響を受けた人物である。


Morrisseyによる名曲、Life is a pigsty
背景にはオスカー・ワイルドの肖像がある。

その理由は、オスカー・ワイルドは、性同一性障害のために自身の人生を極めて悪いものにした芸術家だったからである。その意味では、共感と言う視点で、フレディ・マーキュリーとモリッシーは同じような立ち位置にある。

また、「クイーン(女王)」というバンド名も、性同一性障害の彼自身を暗示したものとなっている。

ボヘミアン・ラプソディの「ボヘミアン」というワードだが、漠然と「異邦人」を意味しているらしい。その点で、アイルランド出身のオスカー・ワイルド、アイルランド系イギリス人、モリッシー、インド系イギリス人、フレディ・マーキュリーは共通点があると言える。

オスカー・ワイルドは1854年、ダブリン生まれ。オクスフォード大学に学び、「ドリアン・グレイの肖像」「サロメ」などの著名な作品があるが、日本人にとっては、意外に「幸福な王子」などの童話作家として知られているのではないかと思う。この「幸福な王子」だが、広場に建てられた王子の像が、宝石でできた自分の目や金箔をツバメに頼んで貧しい人たちに分け与えてしまう作品である(そのため王子は目も見えなくなる)。このように書くと思い出す人もいるかもしれない。

オスカー・ワイルドは、1900年に亡くなっている。当時、性同一性障害は、宗教的にも、世間一般にも大変なことであり、彼はそれが原因で非常に名声がありながら、男色罪による獄中生活の後、不遇な晩年を送った。

フレディー・マーキュリーが音楽活動を始めた当時、オスカー・ワイルドの時代ほどではないものの、容易にカミングアウトできるような環境ではなかった。その苦悩が、Bohemian Rhapsodyの謎の歌詞に込められている。

このバラードの後半部分は、

もうどうにもならない 最後の時が来た
たまなく寒く 体の痛みが消えない
さようなら 僕は行かなくてはいけない
皆と別れ、現実に向き合わなくてはならない
ママ 僕は死にたくない
生まれてこなければよかったと思うこともある。


と歌われている。この主人公は人殺しをしているのに、あたかも自分がこれから死ななくてはならないように表現されている。そもそも、ピストルで人殺しをするのに、頭にゆっくり銃口を当てて、それができるのか?という疑問も湧く。主人公が殺した人物の内容など、楽曲内には一切出てこない。

おそらくだが、このBohemian Rhapsodyの歌詞は、フレディー・マーキュリーが、「ゲイを隠して生き続けている自分自身をピストルで殺した」という意味なんだと思う。

つまり過去の自身の死をもって、新しい人生を切り開くと言った感じである。そのようなこともあり、内容のわりに、実に明るい楽曲として成立している。(クイーンは元気が出る明るい楽曲がほとんど)


それは大変な決断であり、自身の死に至るまでの走馬灯のような内的体験が、オペラやそれ以降のバラードやハードロックに表現されているんだと思った。(本人が種明かしをしていないので、実のところは知らない)

フレディー・マーキュリーは、1991年、エイズによるカリニ肺炎で亡くなっている。亡くなる直前、彼にとって最後になる楽曲が収録されている。このThe Show Must Go Onという楽曲は、あまりにも彼自身を象徴しており、個人的に、Bohemian Rhapsodyのアンサー的な楽曲だと思っている。このオフィシャルビデオでは、彼は堂々と女装して出てくる。



このThe Show Must Go Onは、エイズによる体力低下が著しいフレディ・マーキュリーが周囲のサポートのもと、かろうじて収録できたと言われている。

余談だが、イギリス人60万人が1999年に過去1000年のベストソングを選ぶという投票があった。その第1位はクイーンのBohemian Rhapsodyだったのである。(なお、2位はジョン・レノンのイマジン)

参考
FM-NHKとクラシック
マーガレット・サッチャーとモリッシー
精神疾患とTattoo レディ・ガガは自らの性同一性障害についてカミングアウトしている。また彼女の名前はクイーンの楽曲に由来する。