激しい幻聴のある強迫神経症
今回のエントリはまだ研修医の頃の話。ずいぶん昔になるが、印象に残る子だったので、今でも鮮明に憶えている。その子は僕が担当ではなかったが、当時とても親しい先輩医師が診ており、彼の病状、治療についてかなり話を聞かせてもらっていた。その時の記憶を元に書いているが、読者の皆さんには参考になるのではないかと思う。
その子の病状はいわゆる強迫性障害であり、特徴的なことは激しい幻聴があること。ここが普通の神経症と異なっていた。
ところが、全く統合失調症に見えないのも不思議な点であった。
その担当医は実は過去ログに1度だけ出てきている。「精神科医のカルテ」から、
僕の先輩で、毎回1行しか書かない人がいた。ある日のカルテ(それも外来)を読んだら、「最近は食事がおいしい」しか書いてないんだな。だから1ページのカルテ(2号用紙)で半年は大丈夫だった。こういう人に文句を言ってくれよと言いたい。
この1行の先生である。だから、彼のカルテの最も重要記事は「処方」だけであり、どのように考えて処方変更をしたのか、直接、聴く他はなかった。全く大変なことだと思う。
ある日、彼がある患者さんの過去のカルテを見に行くなどと言い出したので、一緒に黴臭いカルテ庫に一緒に行ったことがあった。なぜ見に行ったのかまでは憶えていない。
パラパラとカルテを見ているうちに、彼は急に笑い出し、
フラッハなカルテだなぁ・・
と感想を述べたのである(平板なカルテという意味)。また、○○先生はこんなカルテだったんだ・・と妙に感心していた。そのフラッハなカルテとは、長文に書いてあるが、単調な記述に終始しているタイプである。(電子カルテを使うとなぜかこういう感じになりやすい)
「人のことは言えない」というのはこのことだと思った。(アンタは言えないみたいな・・)
どういう意図なのか直接聴かないとわからないカルテしか書かないような人が、多く記載している人の批評をしているのがおかしくてたまらなかったのである。(笑いをこらえるのに必死)
ある時、その先輩に、
幻聴は激しいけど、あの子は精神分裂病ではないですよね?
と尋ねた。彼は
それだ!
と言い、「間違いなく彼は精神分裂病ではないと思う」と答えた。ただ、いろいろやってみたが、あの幻聴は収まりにくいようなことを話していた。
当時、僕のオーベン(指導医)にもその子について意見を聴いたことがある。オーベンはこういうタイプを精神分裂病と診断しないことが多く、概ね同じ意見だったが、神経症とは言え、あのように幻聴が活発な人は、そうでない人より治療は厳しいといったことを話していた。
今から考えると、あの幻聴こそ内因性とは異質の幻覚と言えた。
その強迫神経症の患者さんは、セレネースやオーラップなどの少量で治療されていた時期もあるが、最もメインな処方はレキソタンであった。またある時、急に病状が悪化しているような時期もあったため、いったい何をしているのか聴いたことがある。彼は、
しばらく乳糖だけで診ていたが、やはり何らかの薬は必要なようだ・・
と答えた(プラセボではうまくいかないことを言っている)。全くアッサリしたものである。その子は薬は飲まないよりは飲んだほうがまだ落ち着くのである。
結局、その子の処方はレキソタンだけに戻った。
いろいろ考えてやっている割にカルテにほとんど記載がないので、何を考えて治療しているのかサッパリわからないと言えた。そのうち、よくわからない理由で彼の幻覚は消失したのである。
今から考えると、あの時の治療はいろいろ処方変更して際限なく試してみるという「ある種の治療リズム」が良かったんだと思う。サッカーで言う「単調なパス回し」とか「玉離れの良さ」などと呼ばれるものである。そういう視点で見ると、このブログの過去ログでも良くなった人の中には時々、そのような処方変更が見られている。
その先輩医師のカルテの中で、1度だけやはり1行に近いものの、わりあい意味のある記載を発見したことがある。それは、
病室で○○さんに数学を教えている様子をずっと見ていたが、とうてい精神分裂病には見えない。
と書かれていたものである。この記載はとても印象に残っている。その患者さんは同室者の子に時々勉強を教えていたのであった。
経験的に、このように統合失調症でない若い子の場合、何かの拍子に幻覚が消退することがある。ある事件をきっかけに、ドラマティックに消失することもある。これは単に薬物変更であったり、悪性症候群であったり、あるいは原因不明の痙攣であったりする。
現代社会では、彼にはデパケンRを使いながら、ラミクタールを処方してどうなるか?というところであろう。セレネースやオーラップの処方も決して悪くなく、今風の非定型抗精神病薬、ルーラン、ロナセンも良い可能性がある。エビリファイは強迫を悪化させなければ良いかも?といったところであろう。いくつかの気分安定化薬やアナフラニールのような3環系抗うつ剤は試みる価値がある。レキソタンのような強い抗不安薬も補助的には選択肢の1つである。
後年、その先輩医師と会う機会があり、急にその時の患者さんを思い出し、今、どんな風にしているか聴いてみた。
あの時の少年は、その後、ある文系の資格をとり、しっかり働いているらしい。どうも税理士か経理関係の資格をとっているようなのである。
その少年は予後良好だった。その1行医師も治療のやり方としては乱暴なことをしておらず、穏和な選択をしていたことも良かった。ただ、その治療の技術のようなものがカルテに全く残されていないだけだ。(その1行の医師は僕より5年ほど先輩になる)
どうみても、当時、SSRIがまだ発売されていなかったことが良かった。また、当時の抗精神病薬は薬理作用的にシンプルなものが多かったことも経過を複雑にしない点で良かった。
神経症はむしろベースは器質性疾患であり、内因性疾患とは異なる位置にある。
また、彼は強迫性障害を伴っていることもあり、軽微な器質性ないし広汎性発達障害と捉えることも可能だ。このタイプの人は強迫や一時的な幻覚(特に幻視に特徴付けられる)があったとしても、長い時間を経て荒廃状態に至らない。これを我々精神科医は、
幻覚妄想があっても、「Zerfahrenheitがない」などと言う(本当か?)
ドイツ語のZerfahrenheitは、英語ではincoherence of thoughtのことである。(滅裂思考)
参考
精神科医のカルテ
内因性幻聴と器質性幻聴
広汎性発達障害の強迫性とSSRIについて
アスペルガーと前頭前野
その子の病状はいわゆる強迫性障害であり、特徴的なことは激しい幻聴があること。ここが普通の神経症と異なっていた。
ところが、全く統合失調症に見えないのも不思議な点であった。
その担当医は実は過去ログに1度だけ出てきている。「精神科医のカルテ」から、
僕の先輩で、毎回1行しか書かない人がいた。ある日のカルテ(それも外来)を読んだら、「最近は食事がおいしい」しか書いてないんだな。だから1ページのカルテ(2号用紙)で半年は大丈夫だった。こういう人に文句を言ってくれよと言いたい。
この1行の先生である。だから、彼のカルテの最も重要記事は「処方」だけであり、どのように考えて処方変更をしたのか、直接、聴く他はなかった。全く大変なことだと思う。
ある日、彼がある患者さんの過去のカルテを見に行くなどと言い出したので、一緒に黴臭いカルテ庫に一緒に行ったことがあった。なぜ見に行ったのかまでは憶えていない。
パラパラとカルテを見ているうちに、彼は急に笑い出し、
フラッハなカルテだなぁ・・
と感想を述べたのである(平板なカルテという意味)。また、○○先生はこんなカルテだったんだ・・と妙に感心していた。そのフラッハなカルテとは、長文に書いてあるが、単調な記述に終始しているタイプである。(電子カルテを使うとなぜかこういう感じになりやすい)
「人のことは言えない」というのはこのことだと思った。(アンタは言えないみたいな・・)
どういう意図なのか直接聴かないとわからないカルテしか書かないような人が、多く記載している人の批評をしているのがおかしくてたまらなかったのである。(笑いをこらえるのに必死)
ある時、その先輩に、
幻聴は激しいけど、あの子は精神分裂病ではないですよね?
と尋ねた。彼は
それだ!
と言い、「間違いなく彼は精神分裂病ではないと思う」と答えた。ただ、いろいろやってみたが、あの幻聴は収まりにくいようなことを話していた。
当時、僕のオーベン(指導医)にもその子について意見を聴いたことがある。オーベンはこういうタイプを精神分裂病と診断しないことが多く、概ね同じ意見だったが、神経症とは言え、あのように幻聴が活発な人は、そうでない人より治療は厳しいといったことを話していた。
今から考えると、あの幻聴こそ内因性とは異質の幻覚と言えた。
その強迫神経症の患者さんは、セレネースやオーラップなどの少量で治療されていた時期もあるが、最もメインな処方はレキソタンであった。またある時、急に病状が悪化しているような時期もあったため、いったい何をしているのか聴いたことがある。彼は、
しばらく乳糖だけで診ていたが、やはり何らかの薬は必要なようだ・・
と答えた(プラセボではうまくいかないことを言っている)。全くアッサリしたものである。その子は薬は飲まないよりは飲んだほうがまだ落ち着くのである。
結局、その子の処方はレキソタンだけに戻った。
いろいろ考えてやっている割にカルテにほとんど記載がないので、何を考えて治療しているのかサッパリわからないと言えた。そのうち、よくわからない理由で彼の幻覚は消失したのである。
今から考えると、あの時の治療はいろいろ処方変更して際限なく試してみるという「ある種の治療リズム」が良かったんだと思う。サッカーで言う「単調なパス回し」とか「玉離れの良さ」などと呼ばれるものである。そういう視点で見ると、このブログの過去ログでも良くなった人の中には時々、そのような処方変更が見られている。
その先輩医師のカルテの中で、1度だけやはり1行に近いものの、わりあい意味のある記載を発見したことがある。それは、
病室で○○さんに数学を教えている様子をずっと見ていたが、とうてい精神分裂病には見えない。
と書かれていたものである。この記載はとても印象に残っている。その患者さんは同室者の子に時々勉強を教えていたのであった。
経験的に、このように統合失調症でない若い子の場合、何かの拍子に幻覚が消退することがある。ある事件をきっかけに、ドラマティックに消失することもある。これは単に薬物変更であったり、悪性症候群であったり、あるいは原因不明の痙攣であったりする。
現代社会では、彼にはデパケンRを使いながら、ラミクタールを処方してどうなるか?というところであろう。セレネースやオーラップの処方も決して悪くなく、今風の非定型抗精神病薬、ルーラン、ロナセンも良い可能性がある。エビリファイは強迫を悪化させなければ良いかも?といったところであろう。いくつかの気分安定化薬やアナフラニールのような3環系抗うつ剤は試みる価値がある。レキソタンのような強い抗不安薬も補助的には選択肢の1つである。
後年、その先輩医師と会う機会があり、急にその時の患者さんを思い出し、今、どんな風にしているか聴いてみた。
あの時の少年は、その後、ある文系の資格をとり、しっかり働いているらしい。どうも税理士か経理関係の資格をとっているようなのである。
その少年は予後良好だった。その1行医師も治療のやり方としては乱暴なことをしておらず、穏和な選択をしていたことも良かった。ただ、その治療の技術のようなものがカルテに全く残されていないだけだ。(その1行の医師は僕より5年ほど先輩になる)
どうみても、当時、SSRIがまだ発売されていなかったことが良かった。また、当時の抗精神病薬は薬理作用的にシンプルなものが多かったことも経過を複雑にしない点で良かった。
神経症はむしろベースは器質性疾患であり、内因性疾患とは異なる位置にある。
また、彼は強迫性障害を伴っていることもあり、軽微な器質性ないし広汎性発達障害と捉えることも可能だ。このタイプの人は強迫や一時的な幻覚(特に幻視に特徴付けられる)があったとしても、長い時間を経て荒廃状態に至らない。これを我々精神科医は、
幻覚妄想があっても、「Zerfahrenheitがない」などと言う(本当か?)
ドイツ語のZerfahrenheitは、英語ではincoherence of thoughtのことである。(滅裂思考)
参考
精神科医のカルテ
内因性幻聴と器質性幻聴
広汎性発達障害の強迫性とSSRIについて
アスペルガーと前頭前野