治療イメージについて | kyupinの日記 気が向けば更新

治療イメージについて

その少年は、僕がこの病院に来る4年ほど前から入院していた。入院は22歳。生来、発達が遅れ気味で小学校から高校に至るまでずっといじめを受けていたような子供だった。学童期から特殊学級には入らず、なんとか普通学級では学んでいた。その後、高校を卒業して職についてもなかなか続かず、どの職場も数ヶ月で辞めていた。車の免許は10ヶ月ほどもかかったが、なんとか取れたという。入院の経緯であるが、家族への反抗や暴力、家族の目の前で包丁で手首を切ったりと、どうにも家族の手に負えないため精神科病院に連れてこられたらしい。

僕が初めて彼を見た時、ぜんぜん会話ができない状態であった。センテンスにすらならない。発作的に「10円、10円、10円」と繰り返したりするような状態で、これにはちょっと驚いた。病棟ではトイレや保護室でよくウンコまみれになっていた。本当になんなんだ、といった感じである。婦長によれば、この状態になってもう長いのだそうだ。入院カルテを見ると初診時には既に会話にもならず、以下のように記載されていた。

本人はほとんど会話は不能。車の免許の更新があるが、入院中、延期ができるが、まず無理ではないか?

僕は一見してその少年は統合失調症だと思った。ただ、軽度の知的発達障害を伴っている。彼の治療は最初は後輩に任せていた。窓の外に毛布や布団を投げ捨てたり、行動がさっぱりまとまらなかった。これは緊張型の症状であり、何かの拍子に劇的に良くなる可能性を秘めているとは言えた。

そのうちに、千載一遇の治療チャンスに遭遇するのである。

後輩が治療していたが、次第にかつてないほどの昏迷状態を呈するようになった。おまけに高熱である。僕はECT(電撃療法)をかけるように言った。普通、僕は若い統合失調症の患者さんにはECTをかけないが、このケースではやむを得ないと思った。(その後の細かい経過は省略)

この1クールの電撃療法の後、彼は魔法が解けたように劇的に回復した。あの局面はおそらく精神病状態の変曲点みたいなものだと思う。その後、彼は普通に会話ができるようになり、体の動きにもかつてのぎこちなさが消え、病院から自転車であちこち遊びに行けるほどになったのである。

はっきりしてみると、彼が普段どのようなことを考えているのかよくわかった。統合失調症というのは、個々の機能は保たれているのだが、それがバラバラになっているのが問題なのである。「精神分裂病」というのはよく言ったもので、確かにスプリットしていると言えた。

これは、例えばベルリン・フィル・オーケストラで個々の演奏家はすごくても指揮者が不在のようなものだ。指揮者がいなかったら、確かに名演奏家がたくさんいても良い演奏にはならない。逆に言えば、統合失調症の人たちをなめてはいけない。これはどうしようもないように見えても、本人がどうせ聞いていないだろう、と思って軽口を叩いてはならない。彼らは案外わかっているからである。

僕には「治療イメージ」みたいなものがあり、あのような深く精神病状態にはまっていて容易に薬物療法で回復しない状態を引き上げるのには、ある程度の治療速度とパワーが必要だと思っている。アインシュタインのいうE=mc²のようなものだ。

ある壁を突破するスピードが出ていないと、精神病のダークサイドは脱出できない。

彼の場合、あのタイミングで、あの治療をしなかったら、なかなか回復していなかったと今でも思う。彼にはその後はECTをすることもなく、今はセロクエルとルーランで治療している。

参考
3人目の女性患者
双極2型の激鬱とECT
電撃療法と統合失調症