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エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

自分や自分がたずさわっている事柄などの評価について


どんな風に伝わってくると


よりリアリティを増した情報として受け取ることとなるのか。


ある側面から見ると


ひとつのテクニックみたいな話のようですが


自らも経験していながら、気がついていない人が意外と多い


想いを確実に伝えたい場合の


表現方法があります。


経験しているはずなのに


うまく使えていないやり方。


たとえば


自分の家族(親や人生のパートナーやこども)や友だち、志を同じくするチームメイトなどに


強くというか効果的に思い(想い)を伝えたい時に


真正面から直接、自分の口で伝えるという方法があります。


これはこれで、信頼関係とか、タイミングとか、それぞれのポジションとか、コンディションとかさまざまな要因がミックスされているので


ストレートなのだけれど


受け手がきちんと受け止められないケースがあったり


それが親子の関係だったりすると


「それって親だからじゃん。」とか「親バカ」というものさしが横たわっていたりして


真意が伝わらなくなってしまったりすることもあります。


もちろん


リアルタイムに反応がわかりますから、雰囲気や口調、声のトーンを変えたりして


より伝わるように演出できたりもします。


でも


自分の評判を


第三者を媒体として、他人を経由するなどして聞くというところに


さらにリアリティを増幅させる効果があることを


実は、みなさんが経験しているのです。


自分が子どもだったころのことを思い出してみればよくわかります。


自分の評価について


親から直接聞かされるよりも


友だちや友だちの家族を経由して


小耳にはさむと


その内容が、イイことでもよくないことでもとんでもなく心に刺さったはずです。


当然、媒体を経由させるわけですからメリットもデメリットもあります。


第三者の方のバッファー(衝撃を和らげるという意味)がかかってしまうことと逆に大げさにデコレーションされたり、脚色、演出をされてしまうというところです。


これが、うわさ話や下衆の勘繰りを生んでしまったりするのですが


良いこととか、奮起を促す時に


鈍感な人に真実に気がついてもらいたい時にもこんなやり方が効果的だったりもします。


わかりやすく、プロフェッショナルのスポーツの世界で言えば


指揮官である監督さんが、直接選手に話すのではなくて


マスコミを通じてメッセージを伝えるみたいな手法です。


ご存知の通り、キャッチーなところ(センテンス)ばかり使われて、曲解されてしまったりするケースもあります。これがデメリットの部分です。


いずれにしても


第三者の声というものの重要性は


ホームページやブログ、オンラインショップなどを展開する上では、欠かすことのできないキーポイントであって


このカテゴリーのコンサルタント(らしき)と現在お付き合いをしているのなら、ましてやお金を払っているのならこの件についてコメントを求めてみてください。本物かどうか判明しますから。


SEO対策やらサイトアテンションやらサイトのデザインやらを気にする前に


教えてもらわなければならないことです。


あるCMが聞こえてきました。


このCMの主(ぬし)は、カタログ通販の大手の企業さんです。


そのCMは、女性用のアンダーウェアをアピールするもので「3D」というコンセプトを訴えていました。


そこまでは悪くないでしょう。


ところが、最後に語られたキャッチコピーが、申し訳ないのですがたいへんお粗末です。



「〇〇(ここには企業名が入っています)って、ちょっとヤルでしょ。」



これを聞いて、ありゃりゃと思うわけです。


そして、たぶんプロのコピーライターさんに依頼しなかったのだろうなと思うわけです。


プロの方は、いまどき、こういう表現はしません。


逆を狙ったにしてもダサすぎます。


どこに違和感を感じたのか。



「ちょっとヤルでしょ。」って


なんとなく共感を生むようなセンテンスですが


これを言うのは


生産、販売者側ではなくて


お客様だということです。


「ちょっと」というハンドルの遊びみたいな言葉をくっつけてごまかしているパターンも良くありません。


そんな小手先のテクニックで共感などできないのです。


「俺ってすごいだろ。」


って言われても


みたいなことです。(「すごい」っていうのも更にあいまいです。)


商品やサービスに自信があることを表現したいことは理解できます。


でも言葉が違いました。


だから何度も書いていますが


「カリスマ」なんとかって冠をつけてる人は


「俺ってすごいから信頼しろ。」って伝わると思っている人たちで


ホンモノは


自らそんな風に名乗りませんよってことです。


誇張や誇大広告をする必要が無いからです。


「俺ってすごいだろ。」って言う人で


その通りだった人は、残念ながら一人もいませんでしたから。



いま


考えや想いを


どうやって伝えていますか。


なぜ


何を目的に


その言葉をチョイスするのですか。



共感するということ。


共感して欲しいということ。



誰の言葉が


胸に


心に


響いていますか。





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パソコンに向かって


なにやら難しそうな顔をして


腕組みしたり


首を傾げたり


顎をさすったり


もちろん個人差があって


微動だにしない人もいたりするのですが


何かに行き詰ったり


判断がつかなかったり


妙案や解決策の糸口をさがしていたりしているのは


ある程度の観察力と感受性を持ち合わせている組織のトップやリーダーにはわかります。


そんな風にしている相手のパーソナリティやタイミングなど複合した要因は存在しますが


ぼくは、澱んだ水たまりが腐ってしまうような状態にならないように声をかけます。


それは、助け舟であったり、クールダウンになったり


抱えている課題や問題とその質の整理をするきっかけになるからです。


成長とか応用力を身につけてもらうために


粘り強く考え抜くということはとっても大切なプロセスなのですが


それを「悩んでいる」というベクトルへ向けて欲しくないというのがもっとも大きな理由からです。


言葉の妙みたいな話しになってしまうのですが


「悩む」というのは、思考能力というものを持った人間に与えられた機能というかセンスというか、まさに人間らしさの根っこみたいなことなのですが


どなたかも同じようなことをおっしゃっていたと記憶していますが


悩むという行為の前提には、答えが出ないことである、答えが出ないかもしれないという重い重い呪縛というか思い込みみたいなものがあって


悩んでいるという状態はネガティブなものであって


「考えているフリ」だと思うわけです。


これってひたすら身も心も疲弊するばかりで


時間のムダってことになっちゃうんじゃないのかと思うのです。


「でも、簡単に答えが出ないから人は悩むんじゃないですか。」


そう反論をしたくなるでしょう


まさにそこがキーポイントで


「簡単に答えが出ない。」というところの「簡単に」というのは、どんな状態ですかと。


どんな方法や手法を解決法としてチョイスした結果なのか


それは、自分にはわからないことなのか


誰か、答えを知っていそうな人に聞いてみたのか


それとも答えを知っているような人を知らないことが問題なのか


「だって、社長に何でもかんでも質問していたら、能力が無いと思われちゃうじゃないですか。」


まずその判断すら残念な状態であるということです。


特にネット社会は、パソコンに向かって検索という作業をしてみれば


いろいろな情報が入手できます。


ときには「そんなことも知っているのか。」って評価されちゃうこともあったりします。


事実、そうやって上澄みだけを上手にすくい取って生き抜いている人もいます。


情報商材やアフィリエイトの類はそんなものでしょう。


決して、そのカテゴリーを否定しているのではないです。


何かの解決策を提供していて、そのうちのたった一人にでもその効果が発揮されるのなら意味があることでしょう。


ただし、言うまでも無く、すべての人にピタッとあてはまることなど存在するわけも無く


「イイお客さん」になってしまっていることに気がつかない人も多いです。


ウマい話なんて無いって、連日ニュースなどで報道されているのに


自分だけが探り当てたことみたいな、それこそお宝情報発見みたいな勘違いだか思い違いを


ネット環境に存在する別人格の自分は、まんまと騙され、傾倒していくのです。


自分が自由にできる時間に、自分が自由にできるお金を使って、何をしようとそれこそ自由ですが


いまは


仕事をしているのです。


仕事をするということは


何かを生み出すことです。


何かが変わることを生まないとわかっていることをやり続ける


「考えているフリ」は


ムダの巣窟です。


わからないことは恥ずかしいことではないです。


それを隠して、聞くというアクションを起こせないこと


考えたフリをしていること


これが、恥ずかしい状態です。


考えているフリ=仕事をしているフリ


ということなのです。


問題に真正面から向き合っている姿はすてきなのです。


そうしていると解決策ではない、何かに気がつくことがあるかもしれません。


でも


フリ


はNGです。


そんなことしているのなら休む。


いまだったら有給休暇を使って、ボランティアが少ないといわれているウィークデーに被災地に行ってみるとかってチョイスもアリでしょう。


簡単にあきらめろって言ってるんじゃないです。


答えが出るという前提のもとに


ポジティブに「考えるということ」になっているのかということです。


楽して、近道を必死にさがそうとしているその自分の範囲内で行われているそのアクションそのものが


ムダだったりするのです。


ムダと言えば


議会制政治において


民主政治において


決議をする大事な大事な国会内の投票行動を棄権するって


その棄権をするという行為をされた代議士のせんせい達を選挙で選んだ方々の意見を無視し、無駄にしていることになることを理解しているのでしょうか。


「棄権をすることも意思表示である。」


何を言ってるのですか。


即退場でしょう。


だって、有権者になり代わって、代表して


議会政治にたずさわっているのでしょ。


それこそ


議員のフリはやめませんか。


まさに


答えの出ない


悩んでいるだけの気持ちの悪い集団になりさがらないでほしいのです。



そんな姿を


いま


マネしていませんか。





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11年前に


当時の政権政党で、現最大野党で


今回の内閣不信任案の言い出しっぺが


全く逆の立場にありました。


世に言う「加藤の乱」というものです。


そのときに


涙ながらに


「あんたが大将なんだから。」と言って


造反を思いとどまらせようと必死だったのが

言い出しっぺの野党の現総裁さんです。


たぶん


運命的に「内閣不信任案」とは、ご縁が無いのでしょう。


結局


「期限を決めない辞意」という


なんだかよくわからない落としどころに納得した与党からは


二人の造反が出ただけでした。


与党のお家騒動ってオチのために


有権者を


被災者を


やきもきさせ


ガッカリさせたってことです。


信任されたわけでは無いというのは「へ理屈」であって


否決というリアル、事実はどこかへ蹴っ飛ばされそうです。


党員資格の無い剛腕さんにイイように振り回された


内閣不信任案を提出した三つの党のことは


みなさん、忘れてはいけません。


そして今後の動向も今まで以上にジロジロ見ていなければなりません。


言い出しっぺというか、この後に及んでは


矢面に立たされた


最大野党の総裁さんは


きっと、お役目ごくろうさまとなるのでしょう。


だって


「加藤の乱」の時点で


こんな風に


こんなときのために


ガス抜きにされることが決まっていたようなものなのでしょう。


被災地におばあちゃまが言ってました。


「国民の税金からお給料もらってケンカしてるのバカみたい。」


これが


皮肉でもなんでもない


リアルな



切実な


想い


でしょう。


政治の世界というのは


魑魅魍魎が跋扈するものなのですよと


このタイミングで


あらためて国民にアピールすることに


どんな意味があるのでしょうか。


どんなメリットがあったのでしょうか。


それにまつわる報道が


どれほどムダの垂れ流しに使われたのでしょうか。


造反した議員さんが叫んでたじゃないですか。


「みんなおかしいよって。」




だめだこりゃ。




でも


こんな状態だとしても


一日も早い復興に向けて


前に進ままなきゃならないんです。


いろいろなことを


前に進めなきゃならないんです。





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被災地を中心として


途轍もなくピンチに見舞われている


この日本で


復興よりも優先することがあるのでしょうか。


内閣不信任案の提出に関わるかけひきや暗躍は


うんざりを通り越して


怒りを覚えるとしか言いようがありません。


「内閣不信任案の提出がされた場合は、小沢派の造反は、少なく見積もっても50人は下らない。


不信任案は否決されても民主党は割れる。


王手飛車取りだ。」


表現はよろしくなくなってしまいますが


「何を得意げにほざいてんだ。」ってレベルでしょう。


煽るとかそういうつもりは毛頭ありませんが


このざまは


中東諸国で起きている


市民運動につながったとしても不思議では無いような内容と言えます。


この一連の動きで


誰が、どのグループが


どれだけの時間を費やして


復興目的以外のムダな会議やらミーティングやら工作活動やらをやっているのか


じっくりと


ジロジロと


見るようにしてください。


奇しくも


最大野党の総裁さんが


「現政権のもとでこれ以上、復興を進めるのは難しい。我々が代わってやるという意思を示す。」と街宣車の上から叫んでいましたが


具体的な対案みたいなものは、全くと言っていいほど提示されませんし、少なくとも見えていません。


大義名分はそうかもしれないけど


いま、そんな風にアクションを起こさないとご自分のアイデンティティが危ういからでしょって


たくさんの人が思っています。


ベテランと中堅の主導権争いも醜く浮き彫りになっています。


ここぞとばかりに議席の少ない政党が自己主張のチャンスとばかりにくだらない駆け引きに顔を出します。


内閣不信任案が可決されたら


内閣総辞職か解散総選挙という選択肢が有力で


現状、解散に踏み切れるはずがないと


総選挙になったら選挙基盤の脆弱な現政権与党の若手議員はたまったもんじゃないから、造反を促すとか


勝手な妄想に思いをはせて


不信任案が否決された場合のことまで視野に入れて


結果的に王手飛車取りになるのだからという詭弁で


責任を回避までしようとする品もフィロソフィも無い


実にくだらない


政局を優先する


KYの集団。




これで剛腕元幹事長さんが自分のポジションを復権させて


造反すら起きなかったら


人騒がせな


内閣不信任案を提出するというチョイスをした責任は


テロ行為くらいに


重いものになり下がります。


宮城県南三陸町で被災された方がこう言っています。


「不信任案?それどころじゃないっぺさ。」


岩手県釜石市で避難生活を続けているおじいちゃまは、こう言っています。


「被災地がひと段落したらどうぞ何回でも解散してください。いま解散するなら、私は棄権します。」


原子力発電所の事故の影響を受けている福島県の浪江町の町長さんはこう言っています。


「まずは、原発事故を収束されることに全力を注ぐべきだ。こうした動きをする政治家に怒りを感じる。」


いま


誰が


何を


優先して


やるときなのでしょうか。


もしも


このような流れが止められないのだしたら


とにかく


ジロジロと


見ていましょう。


そして


どのような結果になったとしても


優先順位がわからないような代議士せんせい様方には


退場していただくような選択を


有権者である我々国民が


明確な意思として


表明しなければならないときです。


現状のトップの方には不満はあるけれど


代えるとか降ろすとか言ってる場合じゃないでしょって


こういう雰囲気は


こういう民意は


伝わらないものでしょうか。


こんなことで大幅なロスを発生させるのなら


そのくだらない綱引きに費やした時間は


国民の血税から支払われている報酬を差っ引くことは当然として


そのポジションにいなくてもイイ人という


レッテルを貼ってあげるというのはどうでしょう。




今回の一連の流れには


どんなソリューション(解決策)が盛り込まれているのか


まったく見えません。



これだけのムダを見せつけられて


これからやってくる


真夏に


省エネしましょうって言われても


誰が納得して


協力しようと思うのでしょうか。



ぼくらはこの一連の動きを


子どもたちにどうやって伝えたらイイのでしょうか。



お笑いの方のギャグのフレーズを思い出しました。


「どうかしてるぜ!」


笑えませんが。






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台風が遠くに行き過ぎようとしていることが


この日差しと


風の強さが教えてくれているようです。


いつもの川沿いのコースには


公園が併設されていたりするので


こんな日には


たくさんある木々たちが


大合唱しています。


何かの音に似ているなと


耳のチューニング・ダイヤルと記憶のメモリをシンクロさせてみると


コンディションのイイ時の波がブレイクするときの音に似ていることに気がついて


目の前の情景が


突然、海になったりします。


もちろん一瞬で


ちょっと激しくなってきた自らの呼吸をする音で


現実に引き戻されるのです。


今日は、アタマの中で


ずっとBGMのように流れている曲があったりします。


DiVAというユニットの「月の裏側」です。


そう


それに気がついて、また思考がおもしろいところに飛んでいきます。


ぼくは、小さなころから、いわゆる女性アイドルといわれる人たちには、あまり興味がありませんでした。


小中学校のころ(1970~1980年代)、友だちは、キャンディーズやピンクレディー、山口百恵さん、キョンキョン(小泉今日子さん)、松田聖子さん、中森明菜さんなどなどで大いに盛り上がっていましたが


どんな理由だったのかは、いまでもハッキリしないのですが


何となくしっくりこないというか


その当時から


人と同じというのが、好きじゃなかったというか


もしかしたら


独占欲が強すぎたことの裏返しだったのかもしれませんが


女性アイドルに対して、みんなで熱狂するっていうか、流行に乗っかるっていうのに抵抗感があって


「芸能人だったら誰が好きなの?」って聞かれるたびに


「ソフィー・マルソー」って答えてたなぁ、などと思い出したりしていると


今度は


お会いしたことはないのですが


某大手芸能事務所の社長さんの有名なセリフみたいなささやきが耳元で聞こえてきます。


「You、とまっちゃいなよ。」


もちろん本当に幻聴のように聞こえてくるんじゃぁないです。


走るという運動を続けることが、苦しいのだったら


止まればイイじゃんって誘惑が襲いかかってくるのです。


そして、また、現実に戻されて


止まらないといけない理由を確認します。


実は、そんなに息も苦しくない。


慢性的に痛い膝も悲鳴を上げてはいない。


のどがカラカラということもない。


それこそ熱中症のような症状など微塵もない。


要するに


走ることを止める理由がないのです。


学生時代などに遊びではなくて、スポーツを極めようとした人には理解できると思うのですが


この


「You、やめちゃいなよ。」って囁きが聞こえてきてからが、本物というか、糧になるみたいな


科学的に証明されているのかどうかわからないのですが


根性みたいな部分も含めて


この心折れそうな誘惑に打ち勝つことを続けて、積み重ねてみたいなことが強さの素みたいなことをしているのですから


つくづく「ドM」だなと思ったりして


気持ちが、マイナス方向に向かいそうになる瞬間に


次の一歩の重心を前へ進む推進力にギリギリ切り替えて


走ることを続けます。


「それにしても今日は、カラダが重いな。」などと昨日の食事の分量を後悔してしてみたりしますが


実は、台風一過の影響での向かい風が強かったことに気がつきます。


この走っている時間は無駄じゃないと信じています。いや、信じようとしています。


もしかしたら


人間にはエネルギーの心棒みたいなものがあって


良かれと思っているこの行為が


命を削っていることになっているのかもしれません。


などと


いろいろなことがアタマに浮かんでは消えていきます。


こんなリアルも含めて


この毎日、権利を獲得して使っている時間は


とても意味があるものになっています。


途中の五日市街道の信号が赤に変わります。


80歳を過ぎたと思われるおじいちゃまが、首にタオルを巻いて、結構な勢いで歩いてきます。


赤に変わっている信号に気がつかない勢いで横断歩道に突進していって、ハラハラしていると


ギリギリのところで急ブレーキがかかって、歩きが止まってホッとします。


そんなことを知る由も無く


青信号を霊柩車を先頭に、喪主の方々が乗っている黒塗りの車が続き、その後を親族の方々を乗せたマイクロバスが走っていきます。


歩行者用の信号が


青に変わりました。




当たり前のような日常


でも


すべての事には理由があります。


台風が通り過ぎる風は


とても強いです。


東北地方に進路をとらないで


月の裏側にそれていってほしいものです。





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