エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -20ページ目

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NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

熱中症での救急車の出動要請が昨年の5倍であるとのニュースを見ました。


丸の内線で、苦しそうなご老人に席を譲れない重苦しい雰囲気を感じました。


我慢とか


辛抱とかには


限界があります。


無理をすることは


結局のところ誰のためにもならないのです。


多くの方々が、節電をいっしょうけんめいにやっています。


実は、冷房のスイッチを切らなくても良い年配の方々のほうが


我慢強かったりして


体調を崩されていたりもします。


これはリアルです。


「元気がある。」というと語弊があるかもしれませんが


あえて、ひとつの表現として使いますが


元気がある若者たちは


早朝出勤や節電対策をボヤキ


自分たちも被害者とばかりに


疲れたような顔をして


心に余裕が無くなって


いつもよりイラついていたりします。


そして


東北や福島の方々を思いやることも暑さでボーっとしたアタマでは


忘れがちになっています。


でも


くれぐれも


無理してはいけません


しかし


自分より「弱い」というか、困難な立場にいる方々のことも考え続けなければならないのです。


それが


少しだけ踏ん張ってみる


ちょっとだけ我慢してみる


ちょっとだけ辛抱してみる


できる範囲で無理なことを無理なことと捕らえないで


率先して行動に起こすってことを


いま


やらなければならないときです。


昨日から東京都内では一斉にサマーバーゲンがはじまりました。


デパートは、買い物をするお客さまでいっぱいです。


イイことだと思います。


経済活動が活発になるし、節電をしているといっても涼しいデパートにいれば個人の家庭での節電にもなるので悪くないでしょう。


アプローチの仕方って


いろいろあってイイんだと思います。


その一方


被災地から、自衛隊の皆さんが次々と撤退されています。


当初の目的を達成されたことは素晴らしいことであって、現地の方々も大変なる感謝の気持ちをもって別れを惜しんでいます。


そして


いよいよ


ボランティアの人手が不足してきました。


学生さんたちは夏休みを利用して


どんどん被災地に行って欲しいと思います。


知り合いにさまざまな余裕がある人がいたら


声をかけて欲しいと思います。


もちろん


無理をしてはいけません。


被災地のボランティアから帰ってきたら


食うに困るとか


居場所がなくなっちゃったとか


一時の感情みたいなもので見切り発車してはいけません。


でも


心の底で


もやもやと


ハラハラと


もぞもぞと


どうにもこうにも衝き動かされてしまうようなパワーを感じているのなら


まず


動いてみるということが大切じゃないかとも思います。


ボランティアに行った文章を書いてから


意識的に更新をやめていました。


その間に


さまざまなリアクションをいただきました。


ありがたくやさしいお言葉も数多く頂戴しました。


また


「やっぱり行ったんだ。らしいですね。」とか


「水臭いじゃん。」ってもの多かったです。


そこから見えてくるものもありました。


行動を起こしながら


自分も受身だったんだなって。


受身の立場にいる人が


多いなって。




動いてみてわかること


それが


自分のやり方だったってことも


あらためて


再確認もできたのです。



我慢とか


辛抱とか


できる範囲の努力が


無理って一言でどこかに蹴っ飛ばされるんじゃなくて


思いやる心


って


変換されると


イイなと


心から思います。





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娘がポツリと言いました。


「やっぱり、家族が全員揃うのっていいね。」


日曜日の夕方から昨日の午後まで


宮城県の南三陸町志津川の被災地に


行ってきました。


3月11日から三ヶ月もの間


モヤモヤし続けて


現場に行けない理由を羅列して


腰が重かった自分の背中を押してくださった周りの人たち


現地で短期、長期のボランティア希望者を上手に受け入れてくださるシステムを構築しているスタッフのみなさん


たずさわるさまざまな方々のおかげで


ようやく現地にたどり着きました。


今回は、カリタスジャパンブログ 仙台教区サポートセンター活動日記 を窓口にエントリーをして


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ニュースなどで何度も何度も見聞きしてきた


あの防災無線塔のアンテナや青いマークが印象的な大型スーパーマーケット、ドラッグストア、多くの人を避難所として受け入れながらそのまま津波に飲み込まれて多くの被災者を出すことになってしまった老人ホーム


ほんとうに根こそぎ何も無くなってしまった人間が造り上げた一つの町


この現地の様子を簡単に表現したくないというのがいまの正直な気持ちです。


匂いや空気感は、実際に自分の目で確認して


そのときに何を感じ、何を思うのか


それぞれが自ら動くということをして欲しいなと思います。


南三陸町志津川から約40分ほど離れた米川というベースキャンプに受け入れていただき


ありがたいことに寝る場所を提供していただいただけではなく、食事、お風呂などのサポートもしていただきました。


南三陸町にに設置された仮設の自治体庁舎やボランティアの拠点


南三陸町災害ボランティアセンター

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ここで、お仕事の振り分け(本人の希望する作業の有無の確認もできます。)をいただき


ぼくは、志津川高校に設置された避難所兼物資配給拠点で


物資の受け入れ、仕分け、配送準備などをお手伝いさせていただきました。


避難所や仮設住宅には、被災された方々がたくさんいます。


三か月後


復旧、復興、新興は、間違いなく進んでいます。


進んでいるというと順調にドンドンというイメージをしてしまうかもしれませんが


はじまったばかり


何も終わっていません。


ほんとうに何も終わっていないのです。


現地にやってくるボランティアの方でも希望した仕事ではないと怒って帰って行ってしまう人もいるそうです。


それまでのプロセスを知らずに、作業拠点に出来上がりつつあるリズムにあわなくて、ジリジリして、組織や仕組みややりかたやそのスピードに口出しをしてくる人も少ないと聞きました。


もちろん思いは一つにはずです。


被災された方々を助けられるような行動をしたい、被災地を一日も早く何とかしたい


それぞれの持つスキルが発揮できないことも多いようです。


でも


行動を起こした、現場に出向いたというリアルは


そこで感じた、経験した事実は


必ず良い方向へ進んでいくためのパワーになっているはずです。

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自己満足?偽善?長期?短期?


時間が無い?きっかけが無い?どこへ問い合わせたらイイかわからない?


一回募金したからもうおしまい?


福島の原発のこともあって不安?


東京も被災してるから?


精神的に無理?


できない理由はたくさんあります。


帰ってきて何日かぶりにテレビを観ていてなんだかがっかりします。


またまた新しいキーワードが画面で踊っています。


「ホットスポット」


「被災地の女川の建物を記念碑として残すのか残さないのか。」


東京は


東京に住んでいる人は


東京で生活している人は


どんなポジションにいるのでしょうか。


こんな


「もう終わった感」が


ぼくは、とても気持ちが良くないです。


「何も終わってないです。」


これは、不安になる言葉ではありません。

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以前に聞いた


ヘレンケラーの言葉を思い出します。


「本当の幸せとは、誤解している人が多い。


 それは、自分の欲求を満たすことではなく


 価値ある目的に忠実に取り組むことだ。」


いま


価値ある目的って


なんなのでしょうか。


おとうさんがまだ見つかっていない女の子が


ぼくに声をかけてくれました。


「いっしょに遊ば。」


近いうちに


またアクションを起こそうと思っています。


ボランティアに行ってきたと書くのってどうなのかなって思っていましたが


いまは自信を持って言葉にしたいと思っています。


そして


何度も言います。


何も終わってない。





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「国民の信を問う」


解散総選挙をチョイスすると


およそ800億円の公費(ほとんどが国民から徴収した血税)のコストが発生すると言われています。


被災地への義援金として募金をするという行為に置き換えてみると


ひとりあたり1000円を募金箱に入れたとして


8000万人分ということです。


そのプロセスを経て


今度は、政策的に志を同じくする人たちが集まった(ことになっている)それぞれの政党において


それぞれの代表が選出されて


さらに


議会制民主主義においては


多数決という数字のバランスによって


一国の首相が選出されます。


小泉純一郎さん以降は


五年間に5人もの人が


文字通り、入れ替わり立ち代わり我が国の内閣総理大臣に就任し


多少の長短の差異はあるにしても


ほぼ一年に一人という


任期も


人気も短命な


状況が続いています。


どなたかが


「生徒会長か。」って言ってましたが


笑えません。


生徒会長選挙で思い出すことがあります。


田舎の中学校の生徒会長選挙


クラスからの推薦を受けて


当時中学二年生のぼくは


選挙戦というのを経験させてもらいました。


いまからもう30年以上前のことです。


同学年には4つのクラスがありました。


ということは、対抗候補がぼくの他に3人存在します。


当時の田舎の中学校だと勉強ができるかどうかっていうことよりも


スポーツができるとか


背が高いとか


ひょうきんだとかおもしろいとかって


ものさしが


そう


人気投票みたいなのがベースのあるワケです。


ぼくらの世代は、ぼくを含めて選挙に立候補した4人ともがバスケットボール部に所属していて


全員がレギュラークラス。


運動ができる男の子が、ほぼ全員バスケ部に入部してしまって


他の部からやっかみ半分のクレームが出てしまうほどでした。


新人戦でも過去数年には無かった成績を上げて


指導の先生にも恵まれて


学校での知名度は高かったものです。


ぼくは、新チームでキャプテンに任命されていることもあって


わがクラスから推挙されることになったのです。


単純に言えば


「お前なら人気投票で勝てるはずだ。」ってことです。


もちろん誰もそんな風に正直に口にする人などいませんでしたし


自慢になってしまうようで微妙なのですが


明るくて、元気で、背が高くて、まぁ、リーダーシップみたいなものもありそうだと


周りからは思われていたようで


当時からその辺の感覚はというか感受性は高かったので


その空気感みたいなものに薄々気がつきながら


その上、期待に応えて見せますよ、みたいな調子に乗っている部分もあったりして


意気揚々と選挙戦に臨むわけです。


給食時間や休み時間に下級生、上級生のクラスをまわって


選挙演説をします。


ここで、ただのイケイケのぼくは


簡単に馬脚を現すこととなるわけです。


下級生の教室をまわっている時には気がつかないのですが


上級生の教室をまわりはじめると


演説の後に質問が飛んでくるのです。


質問というと聞いたところがイイのですが


「お前の言っていることに中身が無い。」ってダメ出しそのものです。


昔から年上の人にはかわいがっていただけるような部分も持ち合わせていたので


好き嫌いではなくて


生徒会長に向いているかどうかっていう


とってもシンプルで


本質的なふるいで


いとも簡単に


はじかれるのです。


当時は、経験もスキルもありませんから


途中で感じ始めた違和感に対応できませんでした。


そして現実を突きつけられることになります。


上級生のあるクラスで、対抗馬の一人で


バスケ部でもナンバー3くらいのポジションにいる彼が


演説している内容が耳に飛び込んできます。


彼は、頭脳明晰で、成績も学年のトップクラスでした。


それは、自他ともに認めるところで


ぼくも素直にそう思っていました。


彼は、本当はユーモアを持っていたのですが、それを表に出す機会があまりなくて


まじめという印象です。


その彼の演説の内容を初めて耳にして愕然とするわけです。


「おいおい、こりゃあまるで、大人とこどものケンカみたいじゃん。」


選挙の結果は


初めの投票で、すべての候補が過半数を満たすことが無く


上位二人の


彼とぼくとの決選投票になりました。


いまでも忘れません。


最後は、72票差でした。


わかっちゃいたのですが


選挙で負けるっていうか


落ちるっていうのは痛い経験で


他人様から選んでいただきことの大変さを身に染みて感じることとなりました。


いまになっては


非常にありがたく貴重な経験ができたと思っています。


この頃からです


まず


何を目的として


いま自分が動こうとしているのかを明確にしようと意識するようになったのは。


その当時には


プレゼンテーション能力や


リサーチや戦略や戦術って言葉は知りませんでしたが


このときに感じた決定的な違和感や痛みは


しっかりと礎(いしずえ)になっています。


実は、このブログのタイトルを思いついたときには


AKB48の選抜総選挙のことでもと思っていましたが


オヤジは小賢しいので


ちょっと


ハズしてみたりするわけです。






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感性を磨くとか


感性の違いなどとと


使ったり言ったりすることがあります。


感性っていうのは


物事を心に深く感じ取る働きのことで、感受性というのも同義語です。


この自分以外の外部から、外界からの刺激を受けとける感覚的能力は


文字通り、感覚的なモノであって


なかなかお互いにしっくりくることは無かったりします。


深く感じ取るの「深く」の深さ加減というのか


「そこだよね。」って共感できる


微妙なところというか


お付き合いをしている人、仕事上でもプライベートでもイイのですが


ウマが合うとか、気が合うとか


どこが、何がイイんだか正直良くわからないけれど


気持ちの良い関係みたいな。


もちろん


その反対もあって


「感性が違う」というときには


互いの歩み寄りとか努力の放棄を表明するのに使う便利な言葉になってしまっていることもあります。


感性という言葉は


悟性(ごせい)を対義語に持っています。


悟性というのは


物事を判断・理解する思考力のことで、知性と同義語です。


「あなたが言っていることの理由を明確に証明してください。それなら理解します。」


「判断材料を提示してください。」


みたいな感じでしょうか。


文字にしてくれ


何となくとかじゃ伝わらない、みたいな。


これが


男女関係(恋愛や結婚という切り口)だったりすると


また、エキサイティングだったりします。


これは、いまの世の中のすべての男性や女性にあてはまることではないかもしれませんが


女性の方は、言葉に出さなくても相手には気持ちや意図を察してほしいと願っていたりします。


それに対して男性は


残念ながら相手から気持ちを言葉に出してはっきり言ってもらうまで気づかないでいることが多かったりします。


つまり「察してほしい、気づいてほしい女性」と「言われるまで気づかない男性」というパターンになりやすくて


これが世に言う「すれ違い」の要因になっている事も多いのではないでしょうか。


しかし


恋愛経験がある方は思い出してみてください


恋愛初期の頃は男性も好きな女性の気持ちが離れていかないように、普段はしないような気配りや優しさを惜しみなく女性に与えるケースが多いでしょう。


このような表現はあまり好きではありませんが、こんなときに、よく引用される言葉


「釣った魚に餌をあげない。」みたいな状態。(あくまでも例えであって、男尊女卑みたいな意味合いで使っていません。)


でも、これは、ぼくらの時代ぐらいの感覚なのかもしれません。


いまは、「空気を読む」という万能ワードが存在して


恋愛ができない理由すら飲み込んでしまっていたりするからです。


とっても残念なのですが


「他人に心を揺さぶられるのが嫌なので恋愛をしません。」って自信満々に主張しても


なんとなく、みんながわかった風な顔で


「それもアリだよね。」


傷つくことにとっても臆病というか


できない言い訳のオンパレードです。


もちろん


ジェンダー(社会的な性のありよう)って概念は日々刻々と変化していることが当然と言えば当然で


ひと昔前までのように


「男は外で働いて、女は家庭を守るもの。」っていうのをいまかたくなに主張しようとしても共感はされないみたいな。


こんなことに思いを巡らせていると


この感性の、感受性をグレードアップしていくことの


「手抜き」


についてドンピシャに


往復ビンタをされるかのごとく


言及している詩に出会うわけです。


我が家の娘いわく


学校の教科書に載っていて私も知っていた、と。



~自分の感受性くらい~

     

ぱさぱさに乾いてゆく心を


ひとのせいにはするな


みずから水やりを怠っておいて



気難しくなってきたのを


友人のせいにはするな


しなやかさを失ったのはどちらなのか



苛立つのを


近親のせいにはするな


なにもかも下手だったのはわたくし



初心消えかかるのを


暮らしのせいにはするな


そもそもが ひよわな志にすぎなかった



駄目なことの一切を


時代のせいにはするな


わずかに光る尊厳の放棄



自分の感受性くらい


自分で守れ


ばかものよ




作:茨木のり子



なんだかヒリヒリと痛いくらいです。


できない理由というのは


いくらでも暗い水の底から湧き上がってきます。


かといって


それに無理やりふたをして


反省をするフリをして


自己弁護してみたり


誰かのせいにしていても


何も前に進まないことは


自分自身がいちばん知っています。


ほんとうに


目をそらしたいのは


自分の


心のありようではないですか。


そして


いま


話しを聞いてくれる人は


いますか。






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いつもの善福寺川沿いの遊歩道


いつもの五日市街道との交差点


いつもなのだけれど


いつもと同じことなどひとつとしてなくて


リズムが出てきて


ランナーズハイに近い感覚で


ここで止まりたくないってところに


横断歩道の赤信号。


万が一


自動車が来ないタイミングだとしても


やっぱり最低限のルールにのっとって


立ち止まります。


すると


男の子と女の子8人くらいの集団が、ワイワイガヤガヤ近づいてきます。


小学校3~4年生くらいでしょうか。


ストレッチをしながら、呼吸を整えているぼくの耳にその集団の話し声が飛び込んできます。


短い間でしたが、どうやらもめているようです。


もめているというのは、ケンカしてるってのとは違って


アツく意見交換しているって感じでした。


ちょっとだけ耳のチューニングをあげると


どうやら、学校のクラス単位でやる学習発表会だか音楽会だかの出し物について激論を交わしているようです。


「二つのうちどっちかを投票で選べって先生に言われたからそうしたら全くの同数だったでしょ。」


「でも今回は、最終的には先生が決めないってことになってるじゃん。」


「話し合いで決まらないときには、級長が決めるってルールでやったじゃん。」


「でも、級長はどっちかに決められないって、泣いちゃったでしょ。」


「じゃあ、どうすればイイと思う?」


「たとえば、級長を変えるとか。」


「え~、だってつい最近みんなの選挙で選んだばっかじゃん。」


「簡単じゃないね。」


「不信任案出すとか。」


ぼくは、思わず吹き出しそうになって


汗を拭くふりをして、タオルで口元を覆いました。


それからも


やり取りは続いていたのですが


本来、マイホームへ向かう楽しい帰り道のはずです。


その上、打開策も見えて来なかったりします。


そんな空気を打ち破るかのように


一人の男の子が空を見上げながらすこし大きめの声をあげました。


「あ、ひつじ雲だ!」


それまで重苦しかったその子たちの集団の空気が


一気にパッと晴れて


みんながいっせいに


「うわ~」


「ほんとだ~」


「あの右上にあるの龍みたいじゃない。」


「全然そんな風にみえな~い。」


結局


論議の結論が出たのかわからないし


そのひと言で問題の解決になったわけではないのですが


この


おとなとこどもの


狭間


みたいなのがリアルで


天真爛漫にもみえるそのひと言が


絶妙なタイミングで


みんなの共感を得られて


アツくなったアタマのクールダウンになったり


心の深呼吸のきっかけになったり


もしかしたら


妙案を思いついたりしたかもしれません。


煮詰まっている時に


窓を開けて


フレッシュな空気を取り込むみたいな


誰でもできそうでできないことを


さらっとやってしまう


無意識なのかもしてないけれど


自分の中の気持ち悪さを解消するために起こしたアクションだったかもしれないのだけれど


そういう感覚


嫌いじゃないなと。


気づいたら


急ぎなよって


青いシグナルが


点滅しながら


ぼくの背中を押してくれました。




一瞬で、その場の雰囲気を良いほうへ一変させられるような


そんな言葉


そんな感性


イイじゃないですか。



それが


いま


「ひとつになろう日本」


ってひと言であることを


信じています。


ひとつになる=「大連立」などという短絡的なフレーム作りの作業のことを指すのでは無いことは


言うまでもありません。


フレームは


責任の所在を明確にするという大切な機能を持っていますが


それにこだわっているうちは


死ぬまで


オールジャパンになど


なれるワケがありません。





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