エキセントリックにわずかに光る尊厳の放棄 | エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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感性を磨くとか


感性の違いなどとと


使ったり言ったりすることがあります。


感性っていうのは


物事を心に深く感じ取る働きのことで、感受性というのも同義語です。


この自分以外の外部から、外界からの刺激を受けとける感覚的能力は


文字通り、感覚的なモノであって


なかなかお互いにしっくりくることは無かったりします。


深く感じ取るの「深く」の深さ加減というのか


「そこだよね。」って共感できる


微妙なところというか


お付き合いをしている人、仕事上でもプライベートでもイイのですが


ウマが合うとか、気が合うとか


どこが、何がイイんだか正直良くわからないけれど


気持ちの良い関係みたいな。


もちろん


その反対もあって


「感性が違う」というときには


互いの歩み寄りとか努力の放棄を表明するのに使う便利な言葉になってしまっていることもあります。


感性という言葉は


悟性(ごせい)を対義語に持っています。


悟性というのは


物事を判断・理解する思考力のことで、知性と同義語です。


「あなたが言っていることの理由を明確に証明してください。それなら理解します。」


「判断材料を提示してください。」


みたいな感じでしょうか。


文字にしてくれ


何となくとかじゃ伝わらない、みたいな。


これが


男女関係(恋愛や結婚という切り口)だったりすると


また、エキサイティングだったりします。


これは、いまの世の中のすべての男性や女性にあてはまることではないかもしれませんが


女性の方は、言葉に出さなくても相手には気持ちや意図を察してほしいと願っていたりします。


それに対して男性は


残念ながら相手から気持ちを言葉に出してはっきり言ってもらうまで気づかないでいることが多かったりします。


つまり「察してほしい、気づいてほしい女性」と「言われるまで気づかない男性」というパターンになりやすくて


これが世に言う「すれ違い」の要因になっている事も多いのではないでしょうか。


しかし


恋愛経験がある方は思い出してみてください


恋愛初期の頃は男性も好きな女性の気持ちが離れていかないように、普段はしないような気配りや優しさを惜しみなく女性に与えるケースが多いでしょう。


このような表現はあまり好きではありませんが、こんなときに、よく引用される言葉


「釣った魚に餌をあげない。」みたいな状態。(あくまでも例えであって、男尊女卑みたいな意味合いで使っていません。)


でも、これは、ぼくらの時代ぐらいの感覚なのかもしれません。


いまは、「空気を読む」という万能ワードが存在して


恋愛ができない理由すら飲み込んでしまっていたりするからです。


とっても残念なのですが


「他人に心を揺さぶられるのが嫌なので恋愛をしません。」って自信満々に主張しても


なんとなく、みんながわかった風な顔で


「それもアリだよね。」


傷つくことにとっても臆病というか


できない言い訳のオンパレードです。


もちろん


ジェンダー(社会的な性のありよう)って概念は日々刻々と変化していることが当然と言えば当然で


ひと昔前までのように


「男は外で働いて、女は家庭を守るもの。」っていうのをいまかたくなに主張しようとしても共感はされないみたいな。


こんなことに思いを巡らせていると


この感性の、感受性をグレードアップしていくことの


「手抜き」


についてドンピシャに


往復ビンタをされるかのごとく


言及している詩に出会うわけです。


我が家の娘いわく


学校の教科書に載っていて私も知っていた、と。



~自分の感受性くらい~

     

ぱさぱさに乾いてゆく心を


ひとのせいにはするな


みずから水やりを怠っておいて



気難しくなってきたのを


友人のせいにはするな


しなやかさを失ったのはどちらなのか



苛立つのを


近親のせいにはするな


なにもかも下手だったのはわたくし



初心消えかかるのを


暮らしのせいにはするな


そもそもが ひよわな志にすぎなかった



駄目なことの一切を


時代のせいにはするな


わずかに光る尊厳の放棄



自分の感受性くらい


自分で守れ


ばかものよ




作:茨木のり子



なんだかヒリヒリと痛いくらいです。


できない理由というのは


いくらでも暗い水の底から湧き上がってきます。


かといって


それに無理やりふたをして


反省をするフリをして


自己弁護してみたり


誰かのせいにしていても


何も前に進まないことは


自分自身がいちばん知っています。


ほんとうに


目をそらしたいのは


自分の


心のありようではないですか。


そして


いま


話しを聞いてくれる人は


いますか。






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