【引退ブログ】梅野磨比流物語~九大柔道部編~ | 九大柔道部のぽかぽかぶろぐ

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九州大学柔道部の部員の近況報告などをほっこり運営中。

皆さんお久しぶりです。

 九大柔道部前主将の梅野です。大変遅くなり申し訳ありませんが、引退ブログを書かせていただこうと思います。(T綱、遅くなってごめん)

 

 引退してからもうすでに半年がたとうとしており、今更感があるとは思いますが一年の中で最も七大戦から遠い今の時期だからこそ伝えたいこともありますので、時間があるときにのんびり読んでいただけると嬉しいです。

 

 まず初めに、四年間の私の柔道生活を支えてくれたOBの方々、同期、後輩のみんなそしてともに高めあってくれた七大のライバル達、本当にありがとうございました。

みんなのおかげで最高に熱くて楽しい日々を過ごすことができました。

 

 七大戦の結果は2位で優勝には一歩届かなかったけど、チームとしてはおそらく九大はどこよりも楽しく柔道ができていたと思うので私の中では大優勝です。

ただ個人としては、やはり七大最強を目指し続けてきましたが、それに足るほどの実力を身に着けることはできなかったなと感じています。もっと強くなってもっとたくさん強い人たちと試合をしたかったなと思っています。

 いろいろ悔しさや自分自身に対しての物足りなさはありますが、チームとしてみんなで優勝を目指し、個人として最強を目指し続けたその過程は何にも代えがたい最高の思い出です。

こんなこと言うと後輩に「梅野さんまた嘘言ってるわ」と言われそうですが、引退して改めて思うのは、

”俺って柔道部めちゃくちゃ大好きだな”ってことです。

 なのでこれからもOBとして大好きな九大柔道部を支えていきたいと思います。

本当にありがとうございました!

 

 

 

と、これで引退ブログは締めさせていただきます。

 

 これから先は多分かな~~~~~り長くなるので、興味のある人だけ読んでください。かなり個人的な意見とかよくわからん事を思いのままに書きます。俺が何を思い、何を考え、何を目指して今(俺が主将だった時代)の柔道部をつくったのか、そこに思い至るまでの歴史を長々と書きたいと思います。これは主に後輩へのメッセージです。梅野磨比流という人格を知った上で読んでいただきたい。

 

 

 

梅野磨比流物語~九大柔道部編~

 

 

 

1. 考えの根底(1年~3年夏) 

まず初めに、俺が柔道部に入部したときの状況を説明しておきたい。

 高校から柔道を始めて、柔道の楽しさに目覚めた俺は九大に入っても絶対に柔道をやろうと思って大学に入学した。けどその当時はコロナ全盛期で部活やサークルは活動停止の状態ですぐには入部できずに結局練習に初めて参加できたのは1年の9月頃だった。

 その当時の柔道部は、先輩方みんなが柔道に全てをかけてきたような人たちばかりで週5練習に来るのが当たり前で、練習を休んだりするにはかなり勇気が必要でバイトで休むなんてもっての他だという雰囲気を一年生ながらに感じていた。

 最初は俺も柔道への意欲と新しいスタイルの七大柔道の楽しさで、その雰囲気が全く苦ではなく毎日練習に休まず参加してた。

 

 けど、半年くらいたって一年生の春休み頃にふと自分のことを考えた時に、コロナのせいっていう部分が大いにあるけど、それにしたって「俺この1年なになにやってたんだ」て虚無感に支配されてしまった。入学当時には熱く燃えていた闘志が、ワクワクが、モチベーションが、消え去ってしまったことに気づいた。コロナで授業がフルオンラインになり、クラスの友達とも対して親しくならず、勉強を頑張れたわけでもない。部活はしていたけど試合やイベントもなく淡々と目標もなく練習を続けるだけの日々。それなのに週5の拘束力で体力的にも時間的にもバイトができず、お金も減る一方。「あんなに憧れてた大学生活これでいいんか」って思った。

 

 さすがに2年になるまでに絶対に何か変ようと思って、とりあえずバイトを始める決心をした。最初は部活や授業の時間に被らないように早朝や曜日を指定できるバイトを探した。でもそういうバイトはかなり限られるし、時給とかもそんなに高くないことが多い。いくつか面接を受けてはみたけど結局ダメで、どうしようかめちゃくちゃ考えた。やっぱり部活を続けながらバイトをやるのは無理なのかもしれん。でもバイトはどう考えてもやらんといかんし、でも柔道も絶対続けたい。でもやっぱ週5の部活をこなしながらのバイトはできなくはないけどそれ以外の遊びの時間がほぼ取れそうにない。どうしよう。

 めっちゃ好きな柔道をやめてバイトを頑張るか、バイトや遊びを諦めるかの究極の二択を迫られてた。悩みに悩んだ末に出した結論は、どちらも諦めない。部活も当然続けるし、バイトもやるし遊ぶときは遊ぶ。結論が出てしまうと、それ以外の結論を出すなんてアホらしいと思うくらい自分の中では納得ができた。これはつまり、部活を休むってことだ。

 

 週5フルで参加しようとするから難しいけどこれを週3とかで考えると何も難しいことはない。ただ俺はこの結論を出すのにすごく時間がかかった。というか部活を休むって発想があの当時の九大柔道部ではできなかった。けどコロナのせいなのかおかげなのかはわからないけど、いろんな伝統とか雰囲気の伝達が薄れてたあの時期だったからこそ出せた答えだと思う。

 

 そしてこの結論の通りに行動した。バイトを始め、バイトがあるときは遠慮なく部活を休んだし、遊ぶときは遊んだ。あの時の行動が絶対正しかったとは言い切れないし、当時の上級生には本当に申し訳なかったと今でも思ってる。それに対して何も言わず見守ってくれたことは本当に感謝してるし、そのおかげで今の俺があると思う。ただそれでも俺は信念をもってやってた。あの時、先輩がそれはダメだって言ったら潔く部活をやめるつもりだったし、練習に参加したときは誰よりも全力でやってた。なによりもこのやり方に文句を言わせないくらい強くなってやろうと思ってた。

 

 この行動の結果変わったこととしては、まず柔道に対するモチベーションがかなり上がった。週5で練習に参加してた時は他のやりたいことを削らざるを得なかったために、他のやりたいことと練習を天秤にかけてそれだけの価値がこの練習にあるのかって考えてしまって、モチベーションが下がってしまってた。でもやりたことをやりながら練習に参加すると常に高いモチベーションで練習に参加できた。それは自分が柔道をやりたいと思える時に練習に行ってたから。自分の意志でやる分、週5のやらされている感のある練習と違いめちゃくちゃ楽しく感じた。

 そして当然ながらその他の大学生生活がとても充実した。部活があるからと断っていた誘いや、バイトでの新しい出会いや経験、お金が貯めれるからこそできる大きな買い物。

 そんな風にコロナ禍の中であっても俺が思い描いていたような、最高の大学生活を送れるようになった。

 

 ここまでが今の考え方に至ったいきさつであり、俺の理想の柔道部像の根底にある考え方だ。ただ勘違いしてほしくないのは、全員がこうである必要はないと思うしこれが楽しいと思うかもわからない。柔道に全てをささげてがんばってた当時の上級生たちを本当に尊敬しているし、それを否定するつもりは全くない。週5で練習に心から楽しんで参加できる人もいるだろう。週5全力で頑張ってるやつが結局は一番強いとも思ってる。でも俺にはできなかった。だから俺は自分が全力で楽しみながら頑張れる分だけ練習に参加してた。ただしその行動は当時の柔道部にはきっと受け入れがたいものだったと思う。だから俺は、週5に参加し続けられる人だけが続けられる柔道部じゃなくて、柔道をやりたい、興味がある人みんなが自分のペースで続けられるような、当時の俺が「やめようかな」なんて考えなくていいような、そんな器の大きな柔道部をつくりたかった。そんな思いをもって俺は主将となり、俺が考える最強で最高の柔道部作りを目指した。

 

 

 

2. 理想の柔道部とは(主将時代) 

 ここからは俺が考えた理想の柔道部像とそれに向けて実際行ったこと、俺が最上級生として、主将としてどう考え行動していたのかを書きたい。

 

 まず俺が思い描いた理想の柔道部像を端的に書くと、

「誰もがそれぞれのペースで自分の意思を持ち、全員で一つの目標を目指し、最高の思い出、最高の仲間を作れる場」

 これが俺の目指したものです。ここからはこの理想像について細かく説明をし、俺が何を意識していたのか、そして今後の後輩へのメッセージを残したいと思う。

 

 

 

 

「誰もがそれぞれのペースで」
 

 細かく説明すると、「誰もがそれぞれのペースで」というのは大学生は高校生の頃に比べてやれること、やりたいことがとても多くなる時期でそれに加え生活環境や金銭的な負担が人それぞれ全く違う。考え方にも個性が固まってきて、いろんな考え方の人がいる。そんな中で全員に等しく週5の練習を強制してしまうと、せっかくやる気があったり興味を持っている人たちが入部や部活の継続を諦めてしまうことがある。実際に自分がそうなりかけた。だから、大前提として練習を全力でがんばって欲しいというのはあるけど、「金銭的にバイトをたくさんやらなければならない人」、「兼部をしたいひと」、「勉強を頑張りたい人」、それでも柔道が好きな人には柔道をやって欲しかったし、やれる環境を作りたいと思った。それを達成するために基本は週5だけど他にやりたいこと、やるべきことがある人は遠慮なく休んでも大丈夫なようにした。週5フルで頑張りたい人には頑張れる環境を、フルで参加はできないけど柔道も頑張りたい人も柔道を続けられるような環境づくりに取り組んだ。

 結果として、九大柔道部はかつてないほどに部員数が多くなった。在籍メンバーも今までの柔道部にはいなかったような、留学生や女子マネージャー、白帯の初心者の入部が増えたように思う。今の七大学の状況からして、部員数というのは圧倒的に力だと思うし、多種多様な部員の在籍は練習の質の向上につながる。実際自分は練習の質は以前より上がったと感じている。またモチベーションのない状態で長時間の練習をするのではなく、モチベーションを高く保った短い練習を目指すことで、楽しく効率的な練習を行えるようになったと思う。

 けどこの方針の欠点というか難しい部分は、練習に対する優先順位をそれぞれの判断に委ねざるを得ない部分が多いため、練習に対する熱量に温度差が生じてしまいやすくなること。バイト一つをとっても人によってその重要性は変わってくる。バイトをしなければ生きていけないような人にとってはバイトは部活よりも圧倒的に大切になるとは思うし、逆にバイトをせずとも十分にお金があり、あくまでバイトはおまけの人にとっては優先順位が低くなる。だからここまでは休んでOKでここからがダメという明確な基準を設けることができないため、人によっては「そんなことで休みやがって」みたいな感情が生まれてきたりする。

 だからこれに対処するために俺が意識的に行ってたのは、ミーティングや日頃の会話で自分の中にある基準を部員に伝え続けること。全員が目に見えない基準を一致させることは難しいけど少なくとも「俺はこの基準でやってる、みんなもそうであって欲しい。」というのを伝えて、それに合わせてもらえるよう努力すること。

 部としてもしこの方針を続けるのなら、主将を含め最上級生にはぜひこれをやってほしい。これはとても難しいことだで、たくさんコミュニケーションをとる必要がある。ただし大変だけどこれができないと段々緩いだけの部活になってしまうと思う。まずは上に立つ人間が自分の中で基準を明確に持ち、それをコミュニケーションを通して示すこと。それが必ず必要だと思う。

 

 

「自分の意思を持ち」

 そして次に「自分の意思を持ち」とは部として強制してやらせることを絶対にしないこと。

人の力というのは自分がやりたい、楽しいと思ってる時が一番強くなると思う。だけど人間の感情は難しいもので、どんなにやりたいと最初思ってたことでも強制されてやらされていると感じた瞬間に意欲が急速に消え去ってしまう。現に自分も気づかない内にモチベーションが下がりきっていた時期があった。だから俺はこのみんなの「意思の力」を潰さないために上述したように練習の強制やその他、どんなことも強制しないように意識した。あくまで主将としてのスタンスは「俺はこうしたい、こうして欲しい」というお願いであって、「これをやれ」という命令ではないこと。そんな風に上の人にやらされるのではなくみんなの「意思の力」によって動く組織を目指した。

 結果としては、あくまで個人的な意見ではあるけど、みんながのびのびと元気に積極性を持って柔道ができる明るい組織になったと思う。これはOBの方々の「いい雰囲気になっている。」という言葉もこれが要因ではないかと思う。組織の雰囲気が良くなると、強制せずとも「練習に行くのが楽しい、もっと行こう!」と良い循環が作りやすいとも思う。当然これも自分の意思を持って練習に取り組める分、一日一日の練習の質は嫌々やるよりは向上していると思う。

 ただし当然欠点もあり、強制力がないというのはつまり今までの柔道部にあったような「強い鎖」がないということ。この鎖は確かに上で述べたように「意思の力」を潰してしまう可能性をはらんではいるが、組織を強固にし強いつながりを持たせるという役割も持っている。強制であったとしても練習量という圧倒的な物量で80%くらいの成果は簡単に担保できる。全員が心から同じ意思を持ってなかったとしても、鎖による強固なつながりにより最低限、行動は規律を持った行動をとれるからだ。「意思の力」で動くことを目的とした方針では、この「80%くらいの成果の担保」がない。この方針の特徴としては、「100%の成果にたどり着く可能性は大いにあるが、0%にもなりうる」。これはつまり、鎖につながれているような規律を持った行動の80%に「意思の力」の20%が乗って100%を達成することができる。だけど鎖による強いつながりがないため、全員が全くバラバラな行動をとる可能性があり、その80%すら得られない可能性もあるということだ。

 この欠点を克服するために意識したことは、目指すべき方向を示し続けること。鎖があれば、下級生達は上級生が何を目指しているか知らなくとも何も問題はない。なぜなら知らなくとも行動できるから。でも鎖がない状態で同じことをするとなると、上級生が何をしたくて、何を目指しているのかその先で何を得たいのかを「伝えて共感」してもらわなければならない。

 これもかなり難しいことではあると思う。これには二つの難しさがあって、まず「伝える」ためにはコミュニケーションをたくさん取らないといけないこと。自分たちがどうしたいのかしっかり理解してもらわなければならないから。それと「共感」を得るためにはその発言者が尊敬できる人物であること。頑張ってない人間に「頑張ろう」と言われて「頑張ります!」となる人はいない。主将や上級生は、コミュニケーションによる言葉と柔道に取り組む姿勢、そして強さ、その背中で下級生を導く必要がある。背中で示す部分に関してはどんな方針だとしてもやって損はないから、ぜひとも意識して頑張ってもらいたい。

 

 

 全員で一つの目標を目指し

 全員で一つの目標を目指し」というのは説明することはほとんどないけど、一つの目標を目指すというのは上述したように上級生が下級生に目指すべき道を示しそれに向かって全力で走り抜けるということ。そして大事なのは「全員で」という部分だ。上級生だけや男子選手だけ、ではなく女子選手やマネージャー、また指導者やOBも含めて同じ目標に向かっていってほしいということである。それぞれに役割が違ったり立場が違うとは思うけど、その一つ一つは小さなベクトルだとしても、それが束になって同じ方向を向くことで絶大なベクトルになることは言うまでもないと思う。当然その目指すべき目標は「七大戦優勝」だろう。

 ただし、これはかなり難しいことで、正直に言うと俺が主将時代の九大柔道部でそれを達成できていたかというと、悔しいけどそれは完璧には達成できなかったと思う。やはりその要因としては、コロナにより七大戦が二年間行われなかったためにその目標意識を自分含め最上級生が、歴代の先輩方ほどの熱量を持てていなかった。それを目指した先にあるものを後輩に伝えきることができなかった。それ故に最終的にはほとんどの人が同じ方向は向けてた、けど俺の目指した「全員」ではなかったと思う。

 だから後輩たちにはぜひとも全員で七大戦優勝を目指してほしい。それを目指せる組織であって欲しい。それを成し遂げるためには目指すことで得られるものが何なのかを知っておく必要があると思う。なのでこの下ではその先に得られたものをOBとして伝えておきたいと思う。

 

 

 

 最高の思い出、最高の仲間を作れる場

 最高の思い出、最高の仲間を作れる場」というのは、七大戦優勝を全力で目指した先にあると考えるもので、七大戦優勝を目指す理由だと思う。ここで注意して欲しいのは、優勝すること自体にとても価値があるわけではなく、そこを全力で目指すことが大事なのである。適当部活に取り組んで優勝した人よりも、全力で頑張って最下位だった人のほうが得られるものは大きいと思う。(全力でやって優勝するのが一番良いのは当然として。)そして、全力でやるからこそ勝ったら最高に嬉しい「思い出」になるし、負けたら最高に悔しい「思い出」になると思う。そこそこでやった人は勝っても負けてもそこそこの「思い出」にしかならないと思う。人生というのはこの「思い出」を集める旅だと思っていて、その「思い出」の質が人格の豊かさを作ると思ってる。七大戦優勝を全力で目指した先にある「思い出」が最高のものになることは俺が保証する。俺は本当に最高の思い出を手に入れられたと思うし、大変なことも多かったけど心から四年間柔道を頑張ってよかったと思う。どうせやるなら全員がそう思えた方が良いと思う。こんな経験は今後の人生でもなかなかないと思う。(知らんけど)

 あと「最高の仲間」だけど、俺は後輩たちにはドライだと言われるけど上の引退ブログでも書いたけど、みんなが思っている以上に俺は柔道も柔道部も柔道部員も大好きだし、四年間で最高のつながりを得ることができたと思ってる。多分OBの方々の話を聞く限りみんなそうなんだと思う。大学っていう高校に比べて友人や人との関わりが薄くなっていく環境で、そう思えるつながりを得られるって実はとても貴重なことだと思う。でもそれは適当にやってる人は感じにくい気がする。お互いが全力できついことも楽しい事も共に経験してそれを共有できてこそだと思う。七大戦優勝を全力で共に目指すことによってそのつながりはより強固なものになると思う。今は特に部員数も増えて得られるつながりも多いからこそ、そのつながりを大切にして欲しいと思う。

 つまりここで言いたかったのは「全力でやったら絶対いいことあるぜ」ってことです。

 

 

 

 

3. 最後に、、、 

 

 長々と書きましたがこんなことを考えながら、意識しながら、行動して下のような柔道部を目指しました。

「誰もがそれぞれのペースで自分の意思を持ち、全員で一つの目標を目指し、最高の思い出、最高の仲間を作れる場」

 

 俺はいつまでもこんな柔道部であって欲しいと思ってる。でもこれはあくまで俺の理想であり、万人の理想になりうるとは思ってない。だからこんなにいろいろ書いたけど、後輩たちにはこれはあくまで参考程度に思っててほしい。君達は君達らしい柔道部を作ったらいいと思うし、俺は結局2位にしかなれなかったから、まだまだ改善の余地はあると思う。一年はとても短いからやりたいこと、目指す理想像を完璧に達成するのはとても難しい。でも悩んでぶつかってまた悩んでって経験は必ず自分を成長させてくれると思う。

 まあ極論、楽しければそれでいいと俺は思う。七大戦優勝目指して楽しくなくなるんなら目指さなくていいと思う。ただ勘違いして欲しくないのは楽しいというのはキツイことから逃げることじゃ無くてキツイことの先にある最高の「思い出」を得ることだとは思う。

 

 ここまで長々と読んでくれてありがとう。長くて読みにくい文章だったとは思うけど、俺がここまでいろいろ書いたのは、特に昔の厳しい時代の柔道部を知らない後輩たちに勘違いをして欲しくなかったし、意思を正しく伝えることが柔道部を大きく変えた俺の責任だと思ったからだ

 今の九大柔道部の方針というのは確かに緩くて楽しいものと感じるかもしれないけど、あくまでそれは厳しい時代の柔道部へのリスペクトを持った上で、その人たちに恥じないように、その人たちを超えられるようにという思いの上で成り立っていることを忘れないで欲しい。この思いを忘れずに今後の後輩たちにも伝えていってほしい。そしていつまでも九大柔道部が楽しく元気に活動してくれることを願ってる。

 

 

 最後に、梅野磨比流物語~九大柔道部編~は半年前、七大戦2位という結果で終わりを迎えた。でも俺が、俺達が残した意思が、柔道部が今後も活躍し続けてくれることでこの物語は更に輝くと思ってる。最強を目指し続けて、なすことができなかった。本当は自分の手で成し遂げたかった。この物語を君達に託したい。君達にしか頼めない。あの半年前の無念を、悔しさを、熱さを、楽しさを、忘れないで欲しい。俺に最強の九大柔道部を、最高の景色を見せて欲しい。あと半年弱の君達の頑張りに期待してる。任せた。

 

 九大柔道部 前主将 梅野磨比流

~完~