トンネルを抜けて路肩に残る雪

 

 伊那谷の西も東も 山眠る

 

 御神渡り見たしサービスエリア寄る

 日本のお臍あたりの氷湖かな

 

 八ヶ岳 こんな所に霧氷かな

 遊ばせてもらう心も 銀世界

 前を行く人の小突きし枝の雪

 

 山小屋に雪山写真 夕餉の間

 山小屋に明日の冬晴れ信じつつ

 

 次のぼる山 団欒の切炬燵

 

 山小屋に弾む会話や 冬灯

 炭足され火力に足の歓べり

 

 山小屋を出て冬銀河 燦々と

 充分な標高に来し 星冴ゆる

 

 手袋を脱いで掌 較べおり

 暖房の人引き寄せる力かな

 

 二日目は吹雪 決断 帰路につく

 小雪舞ふ 信濃の国をあとにして

 

  短歌

 ハンバーグホワイトシチューに埋もれるを

  俳句にせんと 盛り上がりおり

 

  川柳

 ハンバーグ俳句に詠めと無理をいい

四月から参加している句会の形式は、探題、というスタイルだ。

あらかじめ、各自が、お題(七音以内で三つのうちの一つは季語にするというルール)の書いた紙を袋の中に入れておく。

全員が入れ終わったら、今度は、籤のように三つ引く。

そのお題を織り込んで、即興で俳句を作らねばならない。

かなりスリリングである。小生が出した題は、

「秋思」「話」「聞」

突拍子も無いお題を出す人もいるが、自分が当たるということもありうる。作りやすいお題が当たるように祈りながら、袋から三昧だす。全員が取り出したら、折った紙を広げ、お題を見る。

何事も公平を期すためである。

「碑」「撒いて」「お前にやる」

とうとう難しいのにあったってしまった。

 

作った句は

  秋霖とともに滲みて 芭蕉句碑

 

  金色の小さき翼 撒いて 秋

 

  採っただけ お前にやると 柿たわわ

 

十分ほどでできた。何やら形になると達成感が大きい。

 

 「撒いて」は「水」を使うと夏の季語になってしまうので、水でないものを「撒いて」見せねばならない。そこで、ふと思い出したのが、与謝野晶子の歌「金色(こんじき)の小さき鳥の形して銀杏散るなり 夕日の丘に」「散る」と結びつけて本歌取りにしてみた。

 

 それにしても「お前にやる」って何なのさ、六音やさかい中七に使うより外ないではないか。くれてやるものは、何ーーー

「娘」が浮かんだが、季語が難しい。たくさん収穫できるものはどうだろうか?故郷の柿が浮かんだ。採っただけ自分のものだ。

これだ、使える。と閃いた。初めは、「獲った」と表記したが、辞書で調べると「採る」が正しいとわかった。こんな時のために「新明解国語辞典 第四版」を携行しているのだ。

 

さて、句会は、4点句が四つあったので紹介しよう。なお作者名は合評が済んだ後に明かされる。

 

 折り紙の 動物園へ 星月夜  山本純子   題「菱月夜」

 

 法然が 酒を飲んだ日 曼珠沙華  大澤ほてる 題「然」

 

 秋の日の 農夫の家の 鳩時計  加藤綾那  題「鳩時計」

 

 秋茄子や 夭折という憶え方   加藤綾那  題「秋茄子」

 

上の三つは、選句で迷ったが、取らなかったのが悔やまれる結果となった。

 

 

 京都・伏見から名古屋港までは130kmの道のりであった。

休憩抜きなら3時間といったところか。途中、道の駅関宿で休憩15分、そこでの買い物は船中での夜の楽しみとなった。松阪ハム400g千円なり。到着時刻が早そうなので、コンビニで赤ワインを購入、夕食はサンドイッチとそれらの予定。

 夜行の長距離フェリーに今のバイク(Dio110)愛称”雪風”で行くのは2度目になる。この愛称は、二十代の頃読んだSF小説『戦闘妖精雪風』からの名付けで5代目である。

 フェリー埠頭までは、国道1号線と24号線を使った。平日はトラックの走行量が多いので、週末を選んだ。

 乗船手続きを済ませると約1時間、手持ち無沙汰となった。

  乗船の 手続き済ませ 遅日かな   秋野

 旅日記を記していると道中で盛りを過ぎた桜の花びらが道端に

溜まっているのを思い出した。

  風神に 吹き寄せられし 花の屑   秋野

 今回の旅の目的、三つ目の日本三景である松島の観光、世界遺産の平泉・中尊寺の観光、最上川下り、そして、立石寺、と松尾芭蕉の足跡を巡る事により、『おくのほそ道」ではないが、俳句を交えた旅日記というか紀行文を残す事にある。

 ワイン一本分の酔いが回って、S寝台についた。スマートフォン、Wi-Fiなどの充電のために用意した三又ソケットが役に立つ。大きなうねりの中に、エンジン音が聞こえる。次からは一等にするかーまあ予算次第だがー

 アナウンスで目が覚めたが暗くて時刻がわからない。またまた用意した登山用のヘッドランプで腕時計を確認する。もうこんな時刻であったか。ラウンジの一角を陣取る。隣や向かいのソファーに座る人が来たら、お喋りするのもいいだろう。暇ですることがないのだ。

  朝寝して 時間たっぷり 船の旅    秋野

 

 

 新年

富士山も 和食も 登録され 雑煮

 

 春

風神が はたく袋の 余寒かな

風神の 袋の自在 黄砂舞ふ

風光る 名人戦の 行方かな

マゼランとなり 春眠の 虜かな

青き踏む 社交辞令を 逃れ来て

春愁や 血液型にこだわって

 

 夏

薫風に 恋の二の矢を 番へけり

必要とされたい私 更衣(ころもがえ)

百合祭 直会の巫女 まだ忙し

紫陽花や 庭を孕ます 水の精

七月や 京都とパリは姉妹都市

バーゲンというのに 日傘でやって来し

  東三河の新城市を説明するには

昨晩はNHK大河ドラマで久しぶりに三河弁を聞いた。

正確には、遠州弁かぁ。出身地の新城市シンシロ市は

東三河地方で、名古屋を中心とする尾張地方とは言葉も異なり

お隣の浜松市の方が近い。

バスケットボールのBリーグでも

県をまたいでお隣との合併チームがあるほどだ。

新城市で有名なものは長篠合戦だ。織田徳川連合軍が

鉄砲隊で武田の騎馬隊を破ったことで知られ、NHKなどの

歴史の番組でも取り上げられることが多い。

戦国時代に詳しい人なら通用するのだが、

京都の人は案外、地方の歴史などには興味を持っていない。

小牧長久手の戦いで両市が知られているのであるから

新城市も長篠市にすればいいのにーと姉貴はのたまう。

さらに議員がバカだからーとも、

そうすれば、歴史の番組で取り上げられるから

知名度が上がるのに、と思うのである。

 

 東三河地方を離れて、場所の説明をする手間が省けるというのは

会話の上で大きなメリットだ。

例えば、京都の通りには名前が付いているので、

場所を説明するときに、便利だ。新城市の場合だと

お互いが知っている建物を確認することから始めなければならない。

だから京都の合理的な精神に習い、

通りに名前をつけることを提唱したことがあったが、

浸透していないのが現状である。

やはり、市民の利便性を考慮する議員が少ないということか。

だから、見限って、京都に引っ越してきたわけであるが、

やはり、実家の場所を説明するのに苦労する。

大学時代の東京へ行った同級生は、浜名湖の上の辺、と言ったら

リゾート地のように思われたらしい。

その静岡県西部の中核都市、浜松市と新城市は隣接している。

昨晩、大河ドラマの後で紹介された龍潭寺と庭園も自宅から

30分で行ける。

であるから、出身地の説明には今年はこれを使わせてもらおうと思う次第である。

今回の大河ドラマの時代考証は小和田哲男氏がなされているが

感心したシーンがあったので、紹介しておきたい。

それは、井伊家当主が花を活けていたシーンである。

今日でこそ、生け花というと女性の嗜み、花嫁修行のイメージ、

もしくは、假屋崎省吾さんのイメージとなってしまいますが、

それは、明治維新後、富国強兵の元に取られた政策であって、

武家政権の下では床の間の花を活けるのは男の嗜みであったのである。

床の間の原型が生まれたという慈照寺東求堂、今日の町衆の若旦那などは、

そこへ華道を習いに行っているという。

温故知新とでもいうのであろうか、歴史を知り、今日に至る紆余曲折を知ることは人生を豊かにすると信じたい。たとえ少数派だとしても、話題の提供にはなるであろう。

例えば、最近NHKのラジオで知った知識であるが、お蕎麦を食べるときにすする音を出すのは、ラジオ放送で落語の番組があってからということらしい。海外などでの麺類を食べるときに音を出すのは顰蹙(ひんしゅく)を買うらしい。しかし、日本ではどうかというと、特にお蕎麦などは、通ぶって、音を出してすするというのは、やはり近年の習慣なのだ。この知識を知ったからといって音を出さずに食べるようになる人は少ないであろう。それは、周りの大勢に合わせるという国民性からくるものであろう。しかしながら、実際に科学的にも口に空気を吸うようにして食べると香りが引き立ち美味しく感じられるというデータもあるのだ。

しかし、この手の問題は、

郷に入りては郷に従え、であることが望ましいように思う。

だから、小生は、日本に来てまで、祈祷をして、食べ物に、ハラルを求めるイスラム教徒をどうかと思うのである。

京都に来て三年余り、京言葉のイントネーションに慣れねばと思う今日この頃である。

朝日俳壇入選句より

 秋

錫杖の響き 一山 秋に入る

新涼や 第一印象 佳しとせり

シロクマやゴリラに習う 秋思かな

花入れを 作る利休や 竹の春

忠敬が 周りし岬 鷹渡る

歳時記と 風月が友 小鳥来る

黄落や イヴ・モンタンを流す店

 

 冬

風神が 袋繕う 小春かな

シャンソンに 名曲のあり 落葉掃く

冬に入る 煮つけと煮物は 違うとか

もう一句 入選したき 十二月

数へ日や ウサギについてゆくアリス

山眠る 白川静 眠りけり

書くことは 頭の整理 寒見舞

法然の 教へのままに 春を待つ

秀吉の正室北政所ゆかりの高台寺にて紅葉狩り

 

北政所は天下統一を果たした豊臣秀吉の正室で、

通常「ねね」「おね」の名で呼ばれている。

北政所とは、朝廷から贈られる称号で、天皇を補佐する摂政・関白の正室を指すが、

今では北政所は「ねね」の代名詞ともいえる。

北政所は単に秀吉の妻というだけではなく、

天下人の補佐役として内政・外政にと卓越した政治手腕を振るった女性だった。

特に調停や寺社との交渉は彼女の最も得意とするところ。

江戸幕府と異なり豊臣政権が朝廷と円満でいられたのは、

北政所の活動があったからとされている。

 秀吉の死後、豊臣家が凋落していく中で

徳川家康は北政所の持つ影響力を怖れていたと言われる。

これは彼女の持つ朝廷や大寺院、(淀殿と違い官位を持っていた)

さらには秀吉の大名統制を補佐する上で培った人脈が多大なものであったからだ。

中でも多くの大名達が豊臣の人質時代に北政所に養育され、

薫陶を受けていて(大阪城の西の丸におわした)

二代将軍秀忠でさえ、おふくろ様として

尊敬していたといわれる。

 

そんな北政所が秀吉の菩提を弔ったのが高台寺である。

大坂城落城の折には、三日間その炎が眺められたという。

 

ちなみに、大坂の陣における徳川家康の攻略ぶりは

司馬遼太郎の著作『城塞』に描かれていますので、ぜひ、ご覧下さいませ。

 

天気がいいのを見越して旅行に出かけることにした。

八代亜紀とちゃう、アンジェラ•アキとちゃう

芸術の秋、ということで瀬戸芸へ出かけてきた。

 

京都から高松まで高速バス、11:35にバスターミナルに到着

昼食におうどんのセットを頼み、乗船のチケットを求めると

やはり、宿泊地の豊島(てしま)行きは直ぐにない。

アナウンスを聞いていると直島行きなら直ぐに出航になるというので

行動計画を変更して、直島の地中美術館を目指すことにした。

下船すると直ぐにバスが出ていて、地中美術館へ。

到着すると整理券売り場に並び、15分

整理券はチケット購入には一時間後。

 

地中美術館は、

クロード・モネ

ウォルター・デ・マリア

ジェームス・タレル

の作品を安藤忠雄設計の

建築に恒久設置しています。

 

瀬戸内の自然と地中につくられた空間を通して

自然と人間との関係を考える場所です。

 

とパンフレットにある。

安藤忠雄の建築は

松山市の坂の上の雲ミュージアムで

そのモチーフが具現化されていることに

感動した。

今回も期待を裏切らなかった。

 

さて、島旅

直島から豊島への便がすでにない!

止む無く岡山の宇野港へ出向き

小豆島行きのフェリーに乗ることに

待つこと一時間半、

本を持って行って良かった

と思った。

 

そこで、一句、

 

文化の日 島のアートを 巡り来て

 

 

 

本日は凩(木枯らし)が吹いたとのことで

 

鍋料理の恋しい季節がやって来ました。

 

そこで、こんな川柳を紹介します。

 

 

 

 すき焼きの 鍋が 2センチ 向こう側

 

 すき焼きの 肉は 陣地の ネギの下

 

 とびきりの 笑顔で 妻が 寄ってくる

 

 飲みにくい 妻が 笑顔で 注ぐ酒

 

 イノシシが 里に現れ ボタン鍋