お久しぶりのアップです。
連休を皆さんどのようにお過ごしでしょうか?
9月も半ばですが、日中はとても暑いですよね。
先日も、ヒーリングの方でお問い合わせをいただきました。
涼しくなったら、お目にかかれると嬉しいです!
*
さて、今日は、
ある人の言葉をこれまで何度も聞いて、思ったことを書きますね。
「〇〇ちゃん(私)と約束するときだけ、いつも時間や日付を勘違いしてしまう」
予定や日程を勘違いしたときの、言い分で、
私たちは毎回笑いあっていた。
でも、今年に入って、彼女の優しさの反面で、大きな違和感を感じ始めた。
繰り返し何年にもかけて、何度も耳にして、
そうなのね。と笑って聞き流しているけれども、
その出来事の繰り返しのなかで見え隠れする
私がずっと感じている違和感。
それって、
「整わない理由を、何か、もしくは、誰かのせいにしていないかな?」
ということ。
今回も、家族に問題が起こって、
尊敬している誰かが言ったことを、疑う気持ちになっていて。
それって、いつも自分が正しくて、
誰かのせいにしていたい。
要は、現実を自分が全て作っているということを、
受けとめられないだけじゃないのかな。
人は完璧じゃなくて、誰もが悩み迷うことはある。
人が話す内容を聞いて、
本質を理解出来ず、どのように感じたかは、その人の問題で、
その人の報告を受けて、報告を受けた人が嫌な気持ちになったのなら、
それはその人たち同士の関係性と学び。
誰もが迷い悩みながら進んでいて、
自分のバイアスを通して人をジャッジしているなら、
その人がそう感じるのは、100歩ゆずって、それでもいいけれども、
受けとめ方が、全く違うことに気づいて欲しい。
私自身が感じる人の真実は、
人から聞かされることで惑わされることはあっても
その人本人との対話から感じる事しか信じない。
人との関係性は、
その距離感は違えども途切れることはないと思っているし、
あの人はこんなことを言っていました。
と、報告を受けたとしても、
その人との関係性がこじれるような報告は信じない。
また、誰かが発言(言い訳や釈明)をしないことで、
その人のせいにしておきたい人はいるように感じる。
エネルギーの高い人は、それらのロジックにすぐに気づくので、
巻き込まれはしないけれども。
でも、よく考えると、
誰かのせいって、いじめの構図じゃないのかな?
誰かのせいにして、
何も言わないあの人はこう言っている。と、レッテルを貼って、
自分が優位に立てる現実を作って、自分は悪くないと思いたい。
人は、誰かが反論しないと、
自分が正しいと勘違いしてしまう人がいる。
そして、いつも、
自分なりの正しさのなかで、
人のせいにして怖れを隠している。
自分の身体を通してだったり、
状況が整わないでいる現実を作っているのは、
周りの○○ちゃんじゃなく、
家族のだれでもなく。
自分自身。
その怖れが、自分にはある。と認められないのはなぜ?
それを認めれば楽になれるよ。
と、感じた出来事でした。
*
人は、怖れを、幾重にも重ねて、ごまかしているもの。
でも、
ヒーリングのお問い合わせを下さるかたは、
自分には怖れがある。
と、正直に認め、気づいているかたです。
エリックパール博士は、怖れを抱えたままで光のなかに入ってゆくことが出来る。
と、ずっと伝え続けてくれています。
こわくても大丈夫。
一緒に光に入ってゆきませんか。
*
今現在は、高松市の古民家で、
ヒーリングのお仕事と、カウンセリング・セラピー。
そして幼児教室をしています。
先日は、生徒さんとおいもほりをしようと、大家さんが提案してくれました。
おとついのお芋ほりは、予定が変更になったけれど、
地域のみなさまが応援してくださって、
古民家サロン&教室を運営させていただいています。
ありがたい。
ご縁のある皆さまに感謝です。
皆さまも、素敵な一日になりますように。