戒壇 | あきらのブログ 一期一会 

 

 

 











そういえば、今日は、唐招提寺に鑑真大和上に会いに行きました。この厳しいインフレで、物価高騰で、大変な時節です。こういう時は、過去に経験された人の話の本を再読するなど、経験した人の本に触れるのは、大切なことだと思います。

 

僕は、マラソン走る方法は、教えることは、完歩するぐらいは出来ます。ただ、それは、一度、完歩した経験があるからです。経験したことのないことは、やはり、説得力がないだけでなく、判断を見失うと思います。

 

これだけ、厳しい世の中に、美味しい話は、大阪の戎橋(通称 ひっかけ橋)で聞く話ぐらい信憑性に欠けると思います。僕は、とにかく、戎橋と水掛け不動尊には、通った経験があります。賑やかな処ですが、事実を見極めるのは、難しい土地柄でした。

 

唐招提寺に戻しましょう。金堂があります。本尊・盧舎那仏坐像(大仏)は宇宙の中心、釈迦の本地仏として中尊に、その東方に現世の苦悩を救済する薬師如来立像、西方に理想の未来へ導く十一面千手観世音菩薩立像があります。

 

盧舎那仏の印相がとても変わった形であり、何か意味があるのかと思いました。薬師如来は、薬壺などありませんが、今を救う力があると思います。最後の十一面千手観世音菩薩は、理想の未来とは、『和』だと思います。


講堂の弥勒如来坐像が、とっても、低い位置おられて、なんか、親しみを感じました。

 

昔、文殊菩薩の小さなお寺で、老僧が、外国人僧侶が、法隆寺のような立派な伽藍を作りたいと言われていたと思います。

 

相当昔で、パニック症で倒れる前です。平成26年7月2日の話であり、10年前です。

 

パニック症は、治らないのは、僕には分からない意味があると思います。

 

だらだら話をしていると、本質を忘れてしまいます。年金を頂けて、戒壇と思い、唐招提寺にしました。東大寺は、人が多いです。やはり、少ないお寺の方が心の静養になります。

 

東大寺二月堂は、観音様は、本当に居るんだなと思ったお寺です。それと、明日は、降誕会です。

 

元気なら、高野山に行きたいが、それは、無理があり、やはり、明日の体調を見て、近くのお寺に行けたら幸いです。

 

真言宗では、降誕会は、二つの意味があるみたいです。不空が亡くなった日と、空海が誕生した日という意味のようです。

 

不空は、空海の師匠の恵果の師匠であり、空海は、不空の生れ変わりと言われている説もあるようです。僕は、頭が悪いから、そういう学術的な話は苦手です。

 

夜の晩御飯は、母も年金で買い物いっていたから、細切れの焼肉でも食べれるかなと期待していましたが、母は、電動自転車というものを、10万円で、購入しました。母は、海外旅行も国内旅行も行かないです。車の免許も取得できない人です。自転車で、生活です。

 

今日は、野菜炒めでした。オイスターの効いた馬が好きような人参がたっぷり入っていました。歯が悪い僕には、かなり噛んで、食べるのも、修行と思いました。母は、料理は苦手なタイプです。僕は、病気になる前は、料理は、小学2年から卵焼きを焼けるぐらいですから、高校生ぐらいの時には、常盤塾の姫路の叔父さんは、100万円出すから、料理学校に行けと説得されていたが、辞めました。叔父さんは、苦労しているから、見えない世界が見えていたのかも知れません。







#One for all. All for one.

#料理学校に行けば...

#千手千眼観世音菩薩姥陀羅尼身経

#微笑相