あきらのブログ 一期一会 











 

そういえば、今日は弱虫メダルの本を持参して、下鴨神社に母に行ってくるといい、何故か、上賀茂神社に変更しました。

 

ラジオ寺小屋で、午年には、上賀茂神社が、ご縁があるようなことを言われていました。僕は午年は、稲荷社だと思うが、そういう寺小屋の人は宗教を無学に学んだ人であり、何かあると思います。上賀茂神社は、今年初めてです。

 

上賀茂神社で、午に人参をあげられて、薄切りの人参をあげました。美味しそうに食べていました。やっぱり、午は、人参が好きだと思いました。

 

千円払って、拝観席を確保していました。上賀茂神社は、家から、遠いです。葵祭りを拝観するなら、下鴨神社の糺の森だと思います。でも、僕は、時間も遅かったし、行列はすぎさって、お参りになるなら、行列を観たいので、上賀茂神社にしました。

 

本当に暑いです。手拭があり、頭が剥げてるから、頭にのせて、熱中症にならないように、しっかり、ガードしていました。ハゲは、暑いと大変です。

 

上賀茂神社の神様は、下鴨神社の神様の子供であり、賀茂別雷神といい、雷の如く強いお力で厄を祓う厄除けの神様のようです。さらに、方除・雷除・必勝などのご利益があるみたいです。

 

下鴨神社の神様は、賀茂建角身(カモタケツヌミ)は、お母さんの父であり、上賀茂神社の神様のお爺さんです。母は、タマヨリヒメみたいです。間違えていたらすみません。

 

京都は、一宮が賀茂社であり、大切な社です。ただ、僕のような生活圏が奈良では、春日大社になります。

 

葵祭は、滞りなく、無事に終わっています。終わってから、本殿にお参りに行きました。拝殿から、おねだりかも知れないけど、真剣に手を合わせました。








そういえば、京都駅までバスで帰り、第一旭で、拉麺食べました。凄く行列で、1時間ぐらい並びました。

 


















#純粋

#純粋

#純粋

#過去は変えられない


 








 

そういえば、眼科に行くと、右目が、PM2.5や黄砂などのほこりで、アレルギー結膜炎になっていました。目が痒かったが、目はこすらず、目を水で洗うなどはいいが、こするとよくないみたいです。点眼剤を貰い、3日もしたら治ると言われました。

 

何事も、早め早めに治療して、治療部位を拡大しないようにしています。僕は、今年は、たしかに、副鼻腔炎がひどく、2ヵ月ぐらい朝晩と、クラリスと子供用のムコダインの粒状を飲んでいます。うつだけでなく、難治性のパニック障害です。それに、生まれつきの発達障害であり、自分の事も大変だけど、母の介護もしています。

 

これから、僕ら就職氷河期世代で溺れた人間は、大変です。本当に、共助も、公助もないような気がします。とにかく、一番は、仏様を礼拝するしか中卒ぐらい馬鹿な僕には、それぐらいしか思いつかないです。

 

高野山にいったことは、旧正御影供であり、本当に、無事故で行けて良かったです。後は、薬師寺で、8日参りである『ようかさん』の法要に参列出来てよかったです。薬師寺は、薬師如来様が本尊であり、薬師如来様は、身体や心の病を治す仏様です。本当に、僕とは、相性がいいと思います。

 

まず、健康です。そこから、仕事などに来ます。健康でないと、本当に、生活の支障が出るので、薬師如来様に、母の足の不住なことなどを切実に祈りました。

 

大般若転読法要。600巻にも及ぶお経の旋風を12人の僧が50巻づつ転読され、病魔退散と思いました。

 

ただ、睡魔に襲われないように、昼からの辻説法に望みました。説法師は、玄奘三蔵の話をされていました。玄奘三蔵は、夏目雅子さんの西遊記の印象が強いですが、女性でなく、男性のようです。

 

ここだけ肝心な点と言われたのは、

 

経蔵

律蔵

論蔵

 

のこの3つの習得した僧を三蔵法師というと言われたと思います。だから、三蔵法師は、何人かはいるみたいですが、

 

日本で有名な

大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる

という諺のように、『三蔵は、玄奘に奪われた』というような感じかなと思います。それぐらい、偉大な功績を残した僧だったと思います。

 

90分ほどの辻説法であり、お茶の接待もあり、高野山のあずき汁が、心を癒されたと懐かしく、高野山の余韻に浸っていました。

 

たった二日後に、薬師寺にいったので、余韻は、高野山は、残ると思います。根本大塔の夜に御開帳された大日如来を見て、外からの拝観ですが、何か、言葉を失う状態で、額ずいていました。


『大悲』

 

いつも、奥の院大師御廟まいりだけであり、大伽藍の根本大塔の荘厳な姿には、やはり、高野山は、比叡山のように、仏教の聖地だと思います。

 

南無大師遍照金剛。それで救われないなら、僕は、真言とは、何かと思います。

 

そういえば、本題に入り、1日遅れでしたが、高の原イオンに行き、母の日でしたので、花屋で花を買いました。日頃、世話になっているので、花は、小さなものですが、ほんの気持ちです。

 

それと、安いパック寿司も買いました。僕は、フードコートで、銀だことペプシを頼んで、食べました。弱虫ペダルを知り、アラキタの心は大事だなと思います。

 

でも、やはり、漫画は、葬送のフリーレンです。僕は、その本には、人生を学ぶことも感じます。マラソンも、人生と一緒でした。練習を真剣にひたむきに走ると、結果は出ます。とにかく、地球半周ぐらいは、走っていますが、大会は、42.2㎞程度であり、そのたった一つのことを完走するために、470倍も練習で走らないと結果は出ないスポーツでした。

 

僕のような箱根駅伝や京都代表で走る中学生などの全国大会経験者でなく、素人では、42.2㎞程度を2時間45分で走るには、毎日、前だけを見て、走るだけです。走る時に、禅のような考える事が出来ました。練習で考えることは、楽しく走ることぐらいでした。マラソンは、とにかく、泥臭く、しんどいスポーツです。どうやったら、楽できるかなと僕は思っていました。

 

他の人は、もっと強くと、僕のような考えでなく、強くなるために、真剣な人もいると思います。走ろう会の人は、楽しく走る人が多く、どうしても、僕も同感でした。

 





#マラソンと人生

#こしあん

#牡丹

#母

 

 

 




















 

今日は、母の日でした。疲れがどっと出て、ラジオ寺小屋の再放送を本棚の大師様を拝んだ後、寝ていました。母は、今日は、隣組の川ほりの日であり、母は、朝に、川ほりに行き、帰って来て、母の友達と近くのカフェに行かれました。

 

大切な時には、本当に役立たずであり、萬福寺の開山堂に、意味が違うが、禅語で、三文字。瞎驢眼(かつろげん)です。役立たずの息子ですが、母の日は、静かに静養していました。

 

母は寿司が食べたいと言われていましたが、片目が赤く充血して、目薬をさして、中古の軽トラで、寿司を買いに行くことは辞めました。

 

体調悪い時は、静かに昼寝です。ラジオ寺小屋を土曜日も聞いたが、まさか、日曜日も再放送で聞くと思いませんでした。ラジオ寺小屋は、高野山の法会や、高野山の歴史など、高野山に行く時に、参考になる話をされています。

 

高野山は、旧正御影供を、5月6日に行き、登嶺は、23回目です。元気な時は、九度山から2度歩いて、180町道を利用して、大門を目指して登ります。一度は、丹生都比売神社も参詣して、行きました。

 

マラソンの練習をしている人も町石道で出会いました。町石道は、5時間6時間と歩いて、高野山の大門迄かかります。そこから、お腹ペコペコで、腹が減っており、定食屋でご飯食べて、殆ど、お堂も閉まっており、奥の院だけを目指して、歩を進めていました。

 

高野山は、2回、高野山検定を受験する時と合格してから、2度、宿坊で止まって、お大師様の結縁を結ぶ勉強をしています。

 

あれも、1回で、無くなりましたが、あの試験に受ける時に、同じ試験を受ける人から誘われて、大師教会で、受戒を一緒に、受けました。真っ暗闇で、僧から、十善戒の受戒を授かります。

 

とても、貴重な体験であり、受戒の札は、家の仏壇に一つは置いています。もう一つは、試験合格後に受けて、鞄に今入れましたが、ずっと、百均で買った御守を置いているところに袋に入って置かれていました。今、また、鞄に入れました。

 

高野山は、やはり、弘法大師空海様というこうやさまが居られるから、電車の線路もついて、今も生きて衆生を救っているみたいです。有名な言葉は、色々ありますが、

 

人の相知る必ずしも対面して

久しく語るに在らず

意通ずれば即ち

傾蓋の遇なり

 

性霊集巻二・玄珠を瑩く碑(定八・二七)

 

ある人の本心を知るには、必ずしも直接会って

長く語らなくてもよい。肝心なのは、ただお互い

の心が通じあうことだ。そうすれば、一見しただけで

も旧知のように親しくなれる。

日光山を開いた勝道上人を讃嘆する文章の一節である。

 

時間をかけ言葉を尽くしても信じられない。なぜか安らかでない人間関係があります。私たちは言葉や外見に過大な依存をしています。耳に聞える言葉、目に映る外見に惑わされてはいけません。頭で理解できても心に響かない言葉に意味はなく、心が通じ合うことが大事です。心が通じるとは同じものを目指し、同じものを善しと思うこと。同じ価値観を持つ友に一人でも出会えば人生は豊かになり寂しくないのです。

 

参考文献

東寺長者 砂原秀遍様の心で読みたい弘法大師のことば

 

 

高野山の法会を、運よく参列できて、萬燈会に、涙するぐらい来て良かったと思いました。赤い巨塔である根本大塔を外から、拝みましたが、本当に、荘厳の一言でした。

 

何か、言葉を捨てろと言われるぐらいの出来事でした。20時40分には、参与会の会員ではないが、10班で入らせて貰えて、御影堂の外陣内拝を初めて体験しました。うす暗い堂内に、こうやさまが居られると、見えないが、とても、厳かな空間。50年生きて、初めて、御影堂に、外陣内拝できて、ほんの短い時間でしたが、神秘体験をしました。

 

旧正御影供。こうやくんやあずき汁の無料接待。母の日参りを早くした気分でした。

 

物事は、建前と本音。この二つがあるが、山は、本音で話す場所だと思います。やはり、裸の付き合いが大切です。偶然、出会った縁でも、何かの因縁で、会っていると思います。

 

















#こうやくん

#翔

#アラキタ

#恕

#恕



 

 

 

 

 

 






 

今日は、8日であり、薬師縁日です。薬師寺は、教誨師が崇敬しており、雑居ビルの雲水も、写経のススメを、蔵王権現様のように、寛容と慈悲で、折伏を受けていました。薬師寺で書いたお写経は、一番最初は、平成23年ですから、平成38年(令和8年)であり、15年前です。

 

薬師寺は、8日は、法要が盛んであり、今日は、中古の軽トラに乗り、薬師寺に、写経と法要と辻説法を聴聞に行きました。それと、うどん接待もあり、薄味で、やわらかいうどんで、油揚げとほうれん草が入っており、優しいおふくろの味です。

 





この近くに蕎麦切りよしむらというお店もあり、そこの胡麻豆腐は、本当に美味しいです。ただ、空いている時間が、非常に短いです。薬師寺と、蕎麦切りよしむらは、味わいのある旅の想い出になると思います。

 





GWは、高野山に行きました。5月6日であり、旧正御影供でした。本当に、あずき汁の無料接待には、血圧上昇していたので、癒されました。それと、高野山は、こうやくんは、何か、大切な役割を感じます。それと、僕は、ファミリーマートがあり、そこで、ボリューム感のある安いコンビニ弁当が、山で食べて、これは、美味いと思いました。殆ど、外国人の人がコンビニにいましたが、高野山は、人里離れた空海様の御廟があるが、高野山の僧が、色々、研鑽されているから、外国人の人も来ると思います。日本人でも、高野山は、怖いと思う場所です。そんな聖域で、怖がらせることなく、こうやくんには、癒しを感じます。

 










高野山に行く前に、学術的な人なら、ラジオ寺小屋で紹介があった五来重先生の高野聖という文献は、難しい本ですが、高野山のことが詳細に書かれており、僕は、高野山の知る本では、一押しです。

 





奥の院で、親鸞聖人の墓所も見つけて、『なんまんだぶつ』と念仏いただきました。

 





後、豊臣秀吉公のお墓も、バナナやみかんのお供えがあり、僕的には、さつま芋を連想しました。高野山は、本当に、寛容と慈悲が強く、簡単には行けない靈域です。ここに辿りついている外国人も、何かの前世の因縁で来られていると思います。

 

それぐらい、比叡山や高野山、伊勢神宮などは、軽い気持ちで行けない場所です。それと、東寺大師堂も、本当に、21日の御影供は、荘厳であり、街中に佇むお寺なのに、東寺は、特別な空間を感じます。

 

今は、奈良国立博物館で、吉野大峯展があり、健康と時間とお金がある人は、一度、訪れると、本当に、『寛容と慈悲』を感じます。物事は、実際、体験しないと、分からないです。凄い展示が、生活圏でされており、僕は、東京から来ても、価値があると思いました。僕はパニック障害だから、そんな遠くからは行けないけど、本当に、図録だけでも、ネットで高いけど、そのお金ぐらいの価値はあります。




体力ある人は、浮見堂で、静かに湖畔を眺めていると、喧噪とした毎日を癒されると思います。

 

奈良は、京都のような賑やかな所ではないけど、奈良は、今年50歳になる年になり、古都であり、薬師寺で、薬師如来様に会いに行き、春日大社本殿行きのバスで、奈良国立博物館で、吉野大峯展で、山上の秘仏の蔵王権現様と会われると、何か、言葉で表現できないものがあります。大型スクリーンで、座る場所もあり、吉野蔵王堂の映像は、涙さえ感じます。僕は、遠くには行けないから、余計に思うのかも知れないです。

 



















#ようかさん

#あずき汁

#こうやさま

#ありがとう

 

 

















 

そういえば、今日は、奈良博に遅くになったが、行きました。奈良博は、生活圏であり、お金がかからない所ですが、ここのグッズ売場は、欲しいものは、買っています。役行者のポストカードと、図録です。図録は、重いですが、3200円もしますが、それだけの価値はあります。

 

15時すぎに入り、役行者倚像に挨拶しました。この仏様は、何か、特別な仏様と感じます。でも、今回の展示では、大峯山寺の秘仏蔵王権現様だと思います。

 

後ろにも、蔵王権現様が5体安置され、周りにも、沢山の蔵王権現様が居られます。何か、大峯山寺には行ったことはないが、垂幕で、大峯山寺の幕のようなものがありました。撫で仏様もあり、行ったことがなく、足も不住で、行くことは出来ないが、ここに、訪れることは、秘仏本尊様が、祀られているから、大峯山寺に行ったことと同じ御利益はあるかは、謎ですが、少なくとも、秘仏本尊様と会っています。

 

それと、前にも書いているが、その部屋の後ろ側に、椅子もあり、大きな映像で、吉野蔵王堂の蔵王権現様がリアルにあり、本当に、凄いです。蔵王堂は行ったことがあるが、ここまで、ゆっくり、映像越しですが、本尊様を見ていて、涙が出そうなぐらい感動する場面もあります。寛容と慈悲を感じる仏様です。吉野は、本当に、コロナ禍になり、行ってないが、蔵王堂は、昔、特別開帳の時に、大きな本尊を見て、凄く感銘を受けた想い出があります。

 

高野山や比叡山。吉野蔵王堂。東寺大師堂。そういう場所は、何か、通常では、解決しない問題がある時に、訪れる場所の一つだと思います。身体が不住なら、到底、一人では行けないです。でも、この奈良博なら、車椅子の人も居られます。ただ介護者がいないと行けないかも知れないが、この機会に、奈良博に訪れることは、とても、いけない大峯山寺の秘仏本尊様に会いに行くことは、とてつもなく、有難い出会いです。

 

これ程、学術的に何も分からない僕でも、大安寺のすべては、本当に全てだったようですが、僕には縁なく行けなかったです。こういう吉野大峯展も、山の秘仏本尊も居られ、蔵王堂の映像を見ると、たぶん、感銘を受けると思います。

 

一般は、当日2000円とお値段は高いです。障碍者の僕は無料です。でも、中学生以下は無料だったと思います。高大学生は、1500円のようです。

 

この展示会は、僕のような無知な人間では、その大切さは語れないです。言葉をすてるとしんめいPさんの禅の話であったと思います。ピンチなときほど、言葉はすてるみたいです。しんめいPさんは、東寺の辻説法でも、説法師の先生が大師縁日の時に、話されるぐらい仏教をしっかり解説された人の一人です。

 

参考文献 しんめいPさんの『自分とか、ないから。』

 

そういえば、奈良博を出ると、遅くに春日大社に訪れて、若宮様や、奥の院の辺りなどをお参りしました。

 

帰り道に、参道から外れるが、浮見堂で、少し休憩しました。僕は一人だけど、外人の人や、観光に来る人がおられ、お茶飲みながら、静かに、池などを眺めていました。亀いるとか言われていたように思うが、僕は、亀は見つけられず、近くにある蹲を見て、『足るを知る』と感じた日でした。

 







#禅