復讐の二字はない | あきらのブログ 一期一会 

 














※大幅に加筆修正致しました。

晴明神社には、今日も行きました。僕は、晴明公は今の時代には、必要不可欠な人だと思っています。

 

ゆっくり寝すぎて、起きたら昼でした。いつも通りだと思いながら、ゆっくり、本棚の小さな大師を拝んで、行きました。

 

安倍晴明公は、映画などで知ることはありませんでした。僕は、今回の映画が一番最初の陰陽師の映画です。賛否があるみたいですが、陰陽師のことが詳細に分かり、僕には勉強になりました。

 

今は、劇場版コナンみないで、どうすると思う人ばかりでしょうが、僕は、不定愁訴やうつ病、パニック障害に足まで片足不住で、仕事もない。コナンに行きつく要素がないというのが事実です。

 

人も、鬼も、もののけも

同じ都の暗がりの中に 時には同じ屋根の下に

息をひそめて 一緒に住んでいたこの時代

 

陰陽師は

あやかしを支配する技を持っている

と、信じられた―――

 

パンフレットにのっていた一番最初の頁の言葉です。

 

今日は、雲がいっぱいで、雨は降っていないが、暗がりでした。晴明公に、『救い』を求めて、真剣に拝んでいました。僕は、呪文など知らないから、ひたすら手を合わせるだけです。

 

色々な悩みがあり、小さな神社ですが、参拝者が絶えない神社です。千年以上の時空を超え、清明公の救いを求めて来られている人は多いと思います。

 

本当に、晴明公の呪術で、この見えない魔物を祓っていただきたいです。

 







「此は是れ剃頭の俗人なり。……いわんや飽食・安眠・放逸にして時を過ごす者、此を緇流と謂わんや。古人喚んで衣架飯嚢と作す」
わかりやすくいえば、
学問ばかりで実際の修行を積まない僧は、坊主頭であっても俗人である。ましてや托鉢はするが、人の恵みでご飯を食べて、居眠り坐禅ばかりして、何もせずに時を過ごす者を、僧侶の仲間といえようか。昔の人もいっているように、そういう人間は単なる衣架けか大飯を食う糞袋にすぎない
と説いている。ずいぶんと手厳しい。しかし、死に臨んで夢想国師が弟子に残したこの遺誡は、一語一語そっくりそのまま二十一世紀に生きる私たちに発せられた言葉だと受け止めねばならないと思っている。

参考文献 古寺巡礼 京都 天龍寺


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