追儺と節分 | あきらのブログ 一期一会 

 

 







今日は、祭りの日でした。この祭りは、追儺という意味があると僕が勝手に思っています。節分というのは、年4回(立春、立夏、立秋、立冬)だけでなく、24等分した二十四節気と72等分した七十二候という季節があり、それも、節分のようなものと無学の僕は思っています。でも、追儺は、基本、立春を節目におくから、2月3日が節分です。それで、1年間の除災招福を今年は、祈ってもらいました。

 

鬼であっても、救わないといけないとそういう気持ちで、節分は望まないといけないと中源寺様の地藏菩薩様に指導を受けたように思います。

 

僕の村の小さな祭りは、この2月第三土日が、節分のようなことをしているように思います。門の儀と大松明の儀で、今年は、一族を代表したのは、大学2回生の甥でした。

 



明日は、饗応(あえ)の儀とお田植祭です。甥が立派にやり遂げてくれるように、だいぶ疲れていたけど、写経を書きました。戒名ではなく、除災招福にしました。

 

それが、兄が出したサイコロの答えです。弟も中学3年生の時に、座っています。

 

こういう祭りに参加することも、厄除け祈祷をしたのと同じ意味があると思います。

 

Blogの内容は確認できる体力など、持ち合わせていません。後で、祭りが終わり次第、文面が悪いと、削除しますし、これも、修行と書いています。

 

坊さんの偉い人とかは、ネットで情報発信しないなど、駄目だと言われていました。僕は、商業科でもなく、農業科、パソコンなど、触ることなしで、学業を終えています。

 

パソコンも、父が仕事の関係で購入した中古を、兄の指導で、覚えて、タイピングなどは、未だに、ブラインドタッチは出来ないです。

でも、ローマ字打ちです。

 

常盤塾のおじさんに、金魚すくいを習いましたが、金魚すくいは、沢山とることに意味があるのではなく、弱っている金魚をすくって、助けることが大切です。

 

動きの遅い金魚を狙えと、言われていました。

 

大切なのは、大きな神社の大きな祭りではなく、小さな神社の小さな祭りを救うことです。

 

小さな祭りこそ、祭り本来の意味が大切にされていることもあります。僕は、氏神様の祭りを見て、年々、屋台も激減して、参拝者も少なくなり、神様は、物凄く威力があるのに、不思議なものです。

 

僕には分からない神様の事情があると思います。

 

今日の途中段階ですが、初日の儀式は成功です。新型コロナ感染症もあり、拝めてなかったので、相当、治ってから、拝みました。この祭りは、とにかく、体力勝負です。本当は、3日間目の朝まであるのですが、祭りは、秘儀なので、Blogでは、書けないです。

 





#すくってごらん

#七難即滅

#宮司不在